07. 3月 2023 · 【後編】アーティストシリーズVol.101古橋香「クロストーク 古橋香×鷲田めるろ」 はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

前回に引き続き、「アーティストシリーズVol.101古橋香」関連イベント「クロストーク 古橋香×鷲田めるろ」の様子をご紹介します。
後半は、古橋さんの絵具へのこだわりや、油彩と水彩ドローイングの関係についてのお話、さらに来場者からのご質問に古橋さんがお答えする場面もありました。

左《Between Flickers》2022-2023年/右《Kaari》2021年

 

 

 

 

 

 

 

 

 


絵具について

鷲田:ここからは絵具についてお聞きしたいと思います。
古橋さんの作品を実際に拝見すると、写真では分からない絵具の物質感が見えてきます。特に透明感のある絵具がよく使われていて、それがまた層の重なりを生み出しているように思うのですが、この絵具は一般的なものですか?

《Between Flickers》(部分)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古橋:これは油彩用のメディウムというもので、画用液として一般に流通しています。油絵具に混ぜることで速乾性や堅牢性、透明感を増したり増粘剤として使われるものです。
もともと水性の絵具や油彩のステイニング(1)に関心があったのですが、それだけで表現することに限界を感じて、滲みに近い効果を探る中でこのメディウムにたどり着きました。ただ、完全な無色透明ではなく褐色の色味がついているので緑色の絵具と混ぜると濁った感じになってしまい、今もいろいろ調べながら使っています。絵具の流動的な感じがありながら色の濃いところは強調されて、絵具の盛り上がっている部分を通して下の層が見えているような状態を求めています。

鷲田:ひとつの画面の中に、絵具の盛り上がりや筆跡を見せる部分とフラットな部分を意図的に共存させようとされていますか?

古橋:そうですね。画面全体が油絵具でガチガチに固まった状態にはしたくなくて、水彩ドローイングのように一気に描き上げた感じを油彩でも取り入れたいです。以前、大学の先生から私のドローイングについて「(絵から)視線がはね返ってこない感じ」と言われ、その言葉に納得感があって意識しています。それは油彩の塗り残しや滲みの表現にも通じている気がします。

鷲田:具体的には、画面の中の余白や下地のまま残して抜け感があるようなところでしょうか?

《草色と午後、忘れること》(部分)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古橋:はい。そういった絵具のタッチとタッチの間を繋がない描き方も大事にしたいと思っています。油絵具は描き重ねるとどんどん物理的に強くなって抵抗感が増していく。その抵抗感が「はね返ってくる感じ」ということなんでしょうね。強さを求めていないわけではないですが、描いているうちに絵具が別物に成りかわってしまわないように、ということも考えます。

鷲田:そういえば、キャプションの素材欄を見ると綿布のキャンバスを意識的に使っているようですね。一般的に油絵のキャンバスは麻布が多いと思いますが。

古橋:実は麻布の荒い布目が苦手で。紙にラフに描く時のような感覚を油彩でも求めています。

《展示計画のためのドローイング》2022年

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲田:透明感のある絵具だけでなく、シルバーやパールなど光を反射する絵具も使っているようですね。《展示計画のためのドローイング》や《F0 のためのドローイング》の水彩ドローイングにもそのような絵具が使われています。

《F0 のためのドローイング》(部分)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古橋:パールの絵具の上に他の絵具をのせることで生まれる諧調を最近試しています。シルバーの絵具は、以前シルバーの上に白で網目を描こうとしたら、ラインがくっきり出てしまい、ぼかしがうまくいかなかったんです。他の絵具とは違う使い方をしなければと考え、今回出品しているF0号の作品に取り入れるまで1~2年くらい温めていました。

《shine. 1.31.2023》2023年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲田:絵画上の「イリュージョン」や「イメージ」に対する「物質」という点で、シルバーは絵具の中でも物質感が強く出るのかもしれませんね。
展覧会名の「点滅-Between Flickers-」は、このような絵具の光り方にも繋がるのでしょうか?

古橋:そういったことも含めて作品の配置による明暗や、作品に描いている望遠と見下ろしの視点の切り替わりを鑑賞者に促すようなイメージからつけました。

 

展示構成について

鷲田:今回の展示では、F0号から幅数メートルの大作まで様々なサイズの作品を展示されていますね。

 

 

 

 

 

 

 

古橋:単純に広い空間なので、これまでやってきたことを一望するような展示にしました。今回は作品のもとになっているスケッチも展示しています。これまでは、たくさん描いたスケッチの中から、水彩絵具でモノクロに転換して、色彩に置き換え、それを油絵具の物質にするというプロセスで制作してきましたが、そのプロセスを見つめ直す状況を展示の中でつくってみたとも言えます。

《F0 のためのドローイング》2022-2023年

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲田:実験を積み重ねて洗練させてきた表現から発想を転換する手段として、作品のサイズや手法を変化させることもありますか?

古橋:そうですね、この展示で試したことが今後1~2年の制作に関わってくると思います。

鷲田:大きな作品の場合は、遠くから全体を観ることでイリュージョンやイメージが見え、近づくと絵具の物質感が見えてくる。一方、F0号などの小作品は最初から近づいて観るので物質感に目がいく、という違いがあると思いますが、そういったことは展示構成でも意識されたのでしょうか?

古橋:今までの制作経験から、大きなサイズの絵の一部分を切り取るようにして小さなサイズの絵を描いてみると大抵うまくいかないんです。そういったサイズに対する意識の違いは今回の展示構成にもあると思います。

 

作品のタイトルについて

鷲田:作品のタイトルはどのように決めているのでしょう。例えば《Sleeping Seabirds》は?

古橋:最近は作品の中で具体的に描いていないものをタイトルに付けようと思っています。説明的にはしたくないけど「Untitled(無題)」にもしたくない。タイトルのつけ方も探っているところです。

《Sleeping Seabirds》2022年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色について

鷲田:全体的に明るくて淡い色を多用している印象を受けますが、それも意識的なのでしょうか?

古橋:色は組み合わせで考えることが多いです。以前はビビッドな色も取り入れていましたが、色に関する課題に取り組む中で、ジョセフ・アルバース(2)の著書『Interaction of Color』(3)に書かれている色の相互作用を意識するようになりました。確か《草色と午後、忘れること》を制作していた頃です。それから、色単体ではなく色同士の組み合わせに関心を持って中間色を多く用いるようになりました。

鷲田:19世紀末の印象派の作品に見られる筆触分割(4)によって絵画の色調が明るくなったという革新があり、その後、観る人の目と絵具という物質との関係で絵画も成立するという考え方に移行していきます。これまでのお話から、古橋さんの作品もその流れの中にあるのではないかと感じました。

 

 

 

 

 

 

 


<来場者からのご質問>

___会場に入った時、大中小さまざまな絵がいろいろな高さで掛かっていて、そのリズムに不思議な印象を受けました。そのリズムの中に強い色の作品《石拾い、冬、折れた髪》がありますが、この作品は何か意図があったのでしょうか?また、フェンスの網目によって自然に画面分割が生まれると思いますが、それも意識していますか?

古橋:この作品については確かに異質ですね。実は、今回の展示では奥の空間を暗くする計画があり、この作品の配置によって手前と奥の空間を繋ぐ意図がありました。残念ながらトラブルがあり暗色の空間をつくることはできなかったのですが…。
反対側に展示している《Looking up/down, Crevasse》も暗く強い色を使っています。これは、画家の熊谷守一の作品で長女が亡くなった時にお供えした卵を描いた絵(5)があるのですが、卵の乗っているお盆の部分が暗い色を塗り残すように描かれていて、なんだか虚空に繋がってるような感じがいいなと思ったんです。それが、調和を断絶するような強い色を取り入れてみようと思ったきっかけです。
画面分割は描きながら意識しています。

左《石拾い、冬、折れた髪》2020年/右《Looking up/down, Crevasse》2022年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___手前のフェンスの網目と後ろの背景の位置関係は描きながら決めているのでしょうか?

古橋:はい、同時に進めています。

___どのような風景を起点にして描いているのでしょうか?例えば実際にある自然の風景なのか、想像上の心象風景なのか、あるいはテレビや映像から刺激されて生まれてくる風景なのか。

古橋:自分の作品に対して明確に「風景画」という認識はないのですが、今の住まいの近くにある「筑波山」や田んぼの景色など、日常生活の中で目にしているものが反映されていることはあると思います。

 

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古橋さんの作品を様々な視点で読み解きながらトークを進行してくださった鷲田さん。古橋さんも普段の制作から自然体の言葉が引き出され、貴重なお話をお聞きできたように思います。絵画や作品に対する見方・解釈も深まるトークになったのではないでしょうか。
鷲田さん、古橋さん、参加してくださった来場者のみなさま、ありがとうございました!


(1)画布に絵具を染み込ませながら描く技法
(2)Josef Albers(1888-1976)ドイツ出身のアーティスト。バウハウスのメンバーであり、アメリカへ移住後もブラック・マウンテン・カレッジやイェール大学などで美術教育に携わった。
(3)日本語版として現在以下の2冊が刊行されている。
・Josef Albers著、白石和也訳『色彩構成―配色による創造』ダヴィット社、1972年
・Josef Albers著、永原康史監訳・和田美樹/ブレインウッズ株式会社訳『配色の設計 色の知覚と相互作用 Interaction of Color』ビー・エヌ・エヌ新社、2016年
(4)絵具自体を混ぜ合わせるのではなく、画面上で隣り合う色を見た人が網膜上で重ね合わせることによってひとつの色に見えるようにする技法。
(5)熊谷守一《仏前》1948年 豊島区立 熊谷守一美術館蔵

清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.101 古橋 香 展 点滅-Between Flickers-

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04. 3月 2023 · 【前編】アーティストシリーズVol.101古橋香「クロストーク 古橋香×鷲田めるろ」 はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

 

公募展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」の受賞者を個展形式で紹介する「アーティストシリーズ」。第101回目は「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」で準大賞を受賞した古橋香さんの展覧会です。今回のブログでは、展覧会初日の2/11に開催した古橋さんと鷲田めるろさん(十和田市現代美術館館長・当公募展審査員)によるクロストークの様子をご紹介します。


古橋 香(ふるはし かおり)
1982年東京都生まれ。2004年筑波大学芸術専門学群美術専攻卒業。2007年筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了。2022年「3331 ART FAIR 2022」3331 Arts Chiyoda(東京)、グループ展「絵画のゆくえ2022」SOMPO美術館(東京)、2020年「シェル美術賞展2020」国立新美術館(東京)[2018]、2019年個展「泥濘の島」Viento Arts Gallery(群馬)、「中之条ビエンナーレ2019」旧第三小学校(群馬)[2015]、「FACE展2019 損保ジャパン日本興亜美術賞展」損保ジャパン日本興亜美術館(東京)、2017年「BankART Life V‐観光 Under 35 2017」BankART Studio NYK(神奈川)など。

 

鷲田めるろ(わしだ めるろ)
十和田市現代美術館館長、清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ審査員。
京都府生まれ。1998年東京大学大学院美術史学専攻修士課程修了。金沢21世紀美術館キュレーターを経て2020年から現職。専門は現代美術。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館キュレーター(2017年)。あいちトリエンナーレ2019キュレーター。2020年に著作『キュレーターズノート二〇〇七ー二〇二〇』(美学出版)を刊行。


鷲田:鷲田です。よろしくお願いします。
古橋さんの作品を最初に拝見したのは、実は「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」よりも前で、2020年に「シェル美術賞」(1)という公募展で審査員を務めた時でした。その公募展で古橋さんが出品されていた作品が《A Hundred Mornings》でしたね。

左より《A Hundred Mornings》2019年/《10.Isolated Point》2021年/《草色と午後、忘れること》2021年

鷲田:「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」の作品《草色と午後、忘れること》にも共通していることで私が興味を持った点が2つあります。ひとつは絵画の中に複数のレイヤー(層)の重なりがあること。もうひとつは絵具の物質感。特に絵具が盛り上がっている部分とフラットな部分が画面の中で共存しているところに興味を持ちました。
また、今回の展覧会では、作品自体もひとつの物質と捉えて空間に配置している印象を受け、支持体自体の物質感に対する繊細な意識が感じられました。展示作品は2015年から7、8年間のものですが、一貫したテーマがあるように思います。
まず、この特徴的な網目のような図像はどういったものなのでしょうか

古橋:今日はクロストークの機会をいただきありがとうございます。
この網目は「現象を一番手前に描いてみる」という発想がもとになっています。フェンス越しに風景を眺めている時、目のピントを奥の風景に合わせると手前のフェンスはぼやけて見える。そうやって風景を眺めるのが子供の時から好きで。絵画の中でも、手前にぼんやりした現象を、奥に物質感のある絵具でくっきりとした風景を描けるだろうか、という問いが最初の素朴な動機でした。油絵では手前のものをはっきり描くのがスタンダードな方法としてありますが、それを逆転することができるのか挑戦してみようと思ったのも、きっかけになっています。

鷲田:西洋の遠近法で、手前をはっきりと、奥はぼやけて描く空気遠近法という手法がありますが、その方法を逆転させてみる挑戦とも言えそうですね。

 

レイヤー(層)の重なり

鷲田:近年コンピュータ上で絵を描くことが普及して、社会の中でも「レイヤー」という言葉がキーワードとして使われ出したように思います。コンピュータ上で図像を操作しながら描く行為の中には、透明なシートに描いた絵を重ねて順番を入れ替えていくような感覚があるように思うのですが、古橋さんの作品にも透明な層が重なっているような印象を受けました。その考え方が《dialogue with light》を観て理解できたように思います。

《dialogue with light》2014年

古橋:この作品は和紙を3枚重ねたものにアクリル絵具や水彩絵具で描いています。以前は窓の前に吊るすかたちで展示したこともありました。通常、和紙は絵具が滲まないように目止めという処理をするのですが、この和紙は目止めしていないものを使っているので下の和紙に絵具が滲んでいく。その風合いが面白くて、和紙を重ねる順番を入れ替えたり、窓の光に透かしてみたところ、色あいや細部が違って見えてきました。その見え方を流動的に変えながら糸で縫い合わせてみたり。そのような、入れ替えたり固定したりする制作が心地よくできたと感じる作品です。

テーブル上の作品《F0 のためのドローイング》2022-2023年/壁の作品《dialogue with light》2014年

鷲田:複数のレイヤーの入れ替えを3つの和紙の層によって物理的に行う。この考え方が他の作品でもベースとなっているように思います。
さらに、同様の作品でライトボックスを使って展示しているものもありますね。先ほどは壁に吊るして展示されていましたが、こちらでは後ろから光をあてて展示されている。この展示室は窓がないですが、この展示方法によって、窓の光を透過させた見せ方と透明なレイヤーの意識が繋がるような気がしました。このライトボックスはあえて光を均一にしなかったそうですが…?

古橋:これはボックスの中にイルミネーション(電飾)を入れていて、ムラのある光によって作品の中で見え方が変わる部分と変わらない部分をつくっています。色々な光について考えていたのですが、身近なものを使って日常に近い光があるといいのではないかと思い、今回の展示では取り入れてみました。

左《making green》2014年/右《making red》2014年

鷲田:以前、私が金沢21世紀美術館で勤めていた時に美術館の建物の設計にも携わったのですが、展示室に自然光を取り入れるため天井に半透明のガラスを採用しました。そこで重要だったのが、自然光を拡散して展示室を均質な光で満たすだけではなく、太陽の動きが展示室の中にいても感じられるような解放感や、屋外と屋内の繋がりでした。
その時の経験を重ねてみると、古橋さんがこの展示方法で試みたことは、ライトボックスの面をひとつのレイヤーとして、その奥に別の空間、別の光をつくろうとしたのかなと。そのことで作品の奥に新たなレイヤーが加わるような感じがしました。そして、この状況が垂直になり窓の光になった場合も、窓ガラスを通した向こう側の世界や光の移り変わりによって新たな空間のレイヤーが生まれるのではないでしょうか。

 

実像と虚像

鷲田:ライトボックス上の《making green》では、上下が反転した図像から最初はロールシャッハ・テスト(2)のようなものを思い浮かべましたが、古橋さんから「鏡のように描くことを意識した」とお聞きして、図像を反転させることで(絵画内の)空間を複雑にしているような印象を受けました。
一方《不在の召喚》では水面を感じさせるところがあり、水面の反射による実と虚に加え、水の奥が透けて見えているような二重写しになっている。それらの要素が画面の中に重層的な構成を生みだしているように思いました。

《不在の召喚》2015年

古橋:この作品では最初から水面に反射して映っているものを描きたかったわけではないのですが、(鏡のように描きながら)手の動きをリピート(反復)しているうちにズレが生まれる。そのズレによって、どちらが実か虚か分からない世界を絵画ならつくることができると気づきました。さらに、反射を描くと虚の部分は抵抗感がなくなって奥に行くような効果もあり、そのような選択肢がこの作品から広がったように思います。

鷲田:対して、先ほどの《A Hundred Mornings》では、実と虚の対応があまりはっきりしていないように見えます。しかしカーブしたラインの下は水面を思わせるところがあり、そこが面白いと感じたところでした。

手前の作品が《A Hundred Mornings》

古橋:このカーブの表現は一番苦労したところです。最初はラインがもっとはっきりして絵具の物質感も強かったのですが、最終的には筆跡が付かないように弱めていくことを考えながら描きました。また、おっしゃるように、ラインの上下で完全に反射していると言いきれない状態にしたくて、描いては消してを繰り返していました。

鷲田:フェンスの金網の部分ですが、これまで白色だったのがこの作品では黒い色が使われていることで、光ではなく影のように見えました。それによって、この影をつくっている光源と物体が自分の目よりも後ろにあるような感じがして、この絵を構成するレイヤーの中に自分の目が挟み込まれているような感覚を受けました。

古橋:この色は意識的に変えました。子どもの頃に見ていたフェンスの色も暗い色だった記憶があり、その記憶を追ってみようと思ったのですが、暗い色で描くことは技術的にとても難しかったです。白の絵具は基本的に不透明なので隣り合う色と重ねてぼかしたりする表現がしやすいのですが、黒い絵具ではそれがうまくいかない部分もあり…でも、こういった挑戦はもっとしていきたいです。

 

次回、後編に続きます。


(1)40歳以下の若手作家へ向けた平面作品の公募展。2022年より「Idemitsu Art Award」に名称変更。
(2)心理検査方法のひとつ。インクや絵具をのせた紙をふたつに折って広げた時にできる左右対称の図像を用いる。

清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.101 古橋 香 展 点滅-Between Flickers-

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19. 1月 2023 · 「いい作品」ってなんだろう問題 はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

「いい作品」って何でしょうか?

美術館で働く人間でありながら(だからこそ?)、その問いに答えるのはとても難しい。

「アーティストシリーズVol.100瀨川寛展」の関連イベント、瀨川寛×高北幸矢(当館館長)クロストークで、作品を審査することについての話が出たので、少し取り上げたいと思います。

瀨川寛さんと高北館長

瀨川さんの作品《耕地/中標津町》は、公募展「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」で審査員賞〈高北幸矢〉を受賞しました。

応募総数554点のなかから選ばれた1点。

私は過去2回の審査会に立ち会い、審査員によって作品が選ばれていく過程を目の当たりにして、その都度「いい作品ってなんだろうなあ」と考えさせられました。

そもそも個人の表現に優劣をつけること自体ナンセンスであるという意見もありますが、客観的な視点を得られたり、制作のモチベーションにつながったりと、コンクールにもそれなりの役割と意義があります。今私たちが見ている過去の「名画」も、誰かがどこかで「いい作品だな」と評価したからこそ保存されてきたわけですからね。

しかしその「いい作品だな」と思う基準は、時代や、地域や、人によって当然違います。美術館で見られる作品は「いい作品」なんだろうけど、どこが「いい」んだろう?と思うことは誰しもあるのではないでしょうか。良さがわからないのに「いいもの」として押し付けられる感覚が美術館嫌いを引き起こすのもわかります(自戒を込めて)。

コンクールとなると、それこそわかりやすく「賞」なんかが付けられるので、その作品に絶対的な価値があるように思われがちです。が、作品を選ぶのも人間です。もちろん客観的な判断ができる人材が任を担いますが、価値を明確な数値などに表せない以上(作品評価額などはまたややこしくなるので置いといて)、主観的な好みや考えを排除することは不可能です。というか、それでは審査員の意味がない。アートのコンクールでは「この審査員に見てもらいたい!」という動機で応募する作家さんも多いため、本公募展ではとくに審査員の個性に重きを置いてきました。

上位の賞であっても、必ずしも全会一致で決まるわけではありません。意見が割れて議論が平行線になることもあります。前回の公募で「審査員賞」という個人賞を新たに設けたのも、多数決でない評価方法が必要ではないかという提案を審査員から受けたことがきっかけでした。確かに、10人がなんとなくいいな、と思う作品と、たった1人が涙を流すほど感動した作品を比較して、多数決の原理を採用するのは・・・どうでしょうか。

また、トークで高北館長から述べられたのは「応募されたたくさんの作品のなかで求められるのは他と違う個性」ということです。当然といえば当然ですが、やはり美術の表現にも流行や類似はあります。ましてや数百点の作品を一度にすべて目視するなかでは「他の作品とは違う良さがある」ことが評価ポイントのひとつとなります。技術的に優れていたり、見た目にインパクトがあったりすることはとても素晴らしいですが、そういった要素を備えている作品はたくさんあるので、コンクールにおいてはどうしても本質的な評価ポイントにはなりにくいんですね。

言い換えれば、コンクールでの評価は相対的なものだということです。審査員によって見方は違うし、作品のラインナップ、置かれた環境によって結果が変わることは大いにあり得ます。ここでの「いい作品」とは、あくまで特定の条件下においてということであり、だからこそ具体的な価値をもつのだと思います。


 

さて、グーグルアースなどの衛星画像をもとに俯瞰した大地を描く瀨川さん。写真(デジタル画像)を用いた絵画は現代では珍しくありませんが、多くはモデル・モチーフの記録のためであったり、現実の代替として位置付けられます。一方で衛星画像は、現実の人間には物理的に困難な視界(地球を真上から見下ろし、静止したり自由に拡大/縮小したりする)でありながら手のひらで操作できる日常的なイメージでもあります。現実の風景よりもSNSなどで見る写真画像のほうがむしろリアリティを感じる現代の私たちにとって、見慣れたイメージとしての衛星画像を描いた瀨川さんの作品は現代ならではの風景画と言えるのではないか。そういった写真と絵画の関係性を想起させるオリジナリティが評価されました。

瀨川さんの表現意図は評価ポイントとはまた別のところにあるのですが、第三者が作品を見て思考を広げたり、多様な解釈をすることができるというのも、現代アートにおいては重要な要素かもしれません。

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清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.100 瀨川 寛 展「大地と耕地」

 

15. 11月 2022 · 清須アートサポーター アートスポットめぐり「トヨタ産業技術記念館」 はコメントを受け付けていません · Categories: 教育普及

 

 

 

 

 

 

 

清須アートサポーターのみなさんと行くアートスポットめぐり。
今回はトヨタ産業技術記念館(名古屋市西区)へ行ってきました!

ここはかつて豊田紡織株式会社本社工場のあった場所なのだそうです。
エントランスでは記念館のシンボルであり、トヨタグループの創始者 豊田佐吉が発明した「環状織機」(1906年開発)が迎えてくれます。

環状織機

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に訪れたのは常設展の「繊維機械館」。

とても広い建物の中に、糸を紡ぐ機械、布を織る機械がたくさん展示されています。
この建物は大正時代に建てられた紡績工場をそのまま使用しているとのこと!

 

 

 

 

 

 

 

会場のスタッフさんが一つひとつの道具や機械を丁寧に説明してくださいました。
スタッフさんの実演に思わず見入るサポーター一同。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は人の手で行われていた作業がどんどん自動化し、高度な技術が可能な機械へと進化していく様子をたどることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「繊維機械館」のお隣では、金属加工の実演で鋳造や鍛造作業の様子を見学しました。

 

 

 

 

 

 

 

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その後、一旦特別展示室へ移動してトヨタコレクション企画展「うつす展」を鑑賞。

映、写、移、模、遷、、、さまざまな「うつす」をテーマに、江戸時代中期から明治時代初期のカメラや時計、古写真、版画など、科学技術に関する資料が展示されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ここで時間となってしまい、サポーター活動は一旦解散して自由行動に。
再び常設展へ戻って「自動車館」にも行ってみました。

こちらでは、豊田佐吉の長男、豊田喜一郎が創業・発展を遂げた自動車事業の変遷について、豊田喜一郎の人物像とともに紹介されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の写真や設計図、部品、模型、広報物などの展示から国産自動車開発の歩みをたどります。

そして最後の広いホールには自動車をつくるための機械がたくさん!
様々な年代の自動車も並んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

機械の実演を通して自動車がつくられていく行程を知ることができます。
大きな機械が動く様子から、実際の工場を見学しているような感覚になりました。

 

 

 

 

 

 

 

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清須市から近く行きやすい場所にありながら今回初めて訪れたトヨタ産業技術記念館。
想像以上に広い館内と充実した展示に圧倒されっぱなしでした。

今回もサポーターのみなさんとともに盛り上がったアートスポットめぐりとなりました。
みんなで出かけるのはやっぱり楽しいですね♪

 

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前回のアートスポットめぐりはこちら↓

清須アートサポーター アートスポットめぐり「北名古屋市アートエリアロード」

 

 

25. 10月 2022 · 表現することの不思議――阿野義久展から はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

現在開催中の企画展「清須ゆかりの作家 阿野義久展 生命形態 ―日常・存在・記憶―」では、関連イベントとしてワークショップ「心のなかの形とわたしの風景」をおこないました。

心に思い浮かんだ形を粘土でつくり、それを見ながら絵具でスケッチするというシンプルな工程で、どなたでも気軽に取り組める内容です。

愛知県立芸術大学の先生である阿野さんが大学の授業でおこなっている手法のひとつでもあります。

絵画の授業なのに、なぜ粘土造形をするんでしょう?

そこには絵画制作につきまとう「何を描くか」という問題が関わっているようです。

 

阿野さんのこれまでの制作を振り返ると、5~6年くらいのスパンで描くモチーフや描き方が変化しています。

《Towers of Plant FEB’06》2006年

《TANKS》2010年

《two huts》2015年

《蒼風》2020年

阿野さんの場合、非日常性を感じる特定のモチーフに出会うとしばらくそれをテーマに描き、その非日常性が薄れてくる=日常になじんでくると再びモチーフが変化していくようです。

そこで思考されるのが、次は何を描くのか、なぜ今これを描くのか、という問題です。

描きたいものを描けばよい、と言ってしまえばそれまでなのですが、頭や心の中にもやもやとある何かを表現するって、意外と難しいことです(日常生活でもしかり)。

絵を描くことのできない私は、白紙を渡されて「自由に絵を描いてください」と言われても何を描けばよいのか途方に暮れてしまいます。しかし阿野さんのワークショップに実際に参加してみたとき、粘土を渡されて「自由に何か作ってみてください」と言われると不思議なことに手は動くんですね(久しぶりの粘土の感触が気持ちよかったというのもあります)。

そのまま「〇〇を作ろう」という意識もないまま適当に粘土をこねていると、何か気になる形ができてくる。知っている形に見えてきたりもするけれど、とにかく名前のない「何か」がそこに生まれてくるわけです。

これらをもとに絵具で絵を描いてみると、白い粘土からは想像できなかった色彩やそれぞれの形の関係性が紙の上に構成されていきます。

参加者の様子を見ていると、粘土をモデルに描いているというよりも、粘土あそびの延長で筆が動いているような印象でした。阿野さん自身も「粘土を見ながらでもいいし、見なくてもいい」とおっしゃっていて、絵画のモチーフとして粘土があるわけではなく、粘土を使って表現したときの感覚そのものが絵画に活かされるのかなと感じました。

(ちなみに絵具ではなく鉛筆でデッサンしようとすると、私は途端にその行為がつまらなくなってしまいました。「上手に描きたい」という欲が出てしまったからかもしれません。)

また粘土完成後と絵画完成後にそれぞれ、自身が表現したことについて発表する時間が設けられ、作品について「言葉で表現して、他の人に伝える」ことも重要なプロセスとして組み込まれていました。

 

一般的に美術作品は、まず明確な作家の意図があって、それに従って計画的に作られているというイメージがあるかもしれません。

もちろんそのようなケースもありますが、表現とも呼べないような行為を重ねるうちに思いもよらなかったものができあがったり、さまざまな表現方法を経るなかで自分の内側にあるものが無意識ににじみ出てきたりすることもあるようです。

阿野さんは今では絵画を専門としていますが、30代の頃は立体作品を作っていました。廃材や流木、コーキング材などを組み合わせた作品はとくに具体的なモチーフが念頭にあったわけではありませんが、改めて見ると学生時からの人体デッサンの描写などと呼応するところがあると言います。平面と立体、紙とキャンバスなど異なる媒体を往還することで表現が深まっていくこともあります。

《作品Ⅰ》《作品Ⅱ》《作品Ⅲ》1985年

《作品B》《作品A》1988年

《人のカタチ》1984年

《人のカタチ》1984年

また展覧会のタイトル「生命形態」は、個展開催にあたりこれまでの制作を客観的に振り返ってみたときに浮かび上がってきたテーマということで名付けられたものです。画風が変化しても貫かれる軸のようなものが改めて見出されたと言えるでしょう。

 

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2022年9月10日(土)~11月13日(日)
開館時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日が休館)
観覧料:一般 500円(450円) 中学生以下無料
14. 8月 2022 · 文谷有佳里ワークショップ「見えないドローイング」 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会, 教育普及

特別展「ON―ものと身体、接点から」の関連イベント。
参加作家の文谷有佳里さんによるワークショップを行いました。


写真右:文谷有佳里さん


文谷有佳里/BUNYA Yukari
1985年岡山県生まれ。2008年愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻卒業。2010年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。
主な展覧会に、「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」愛知県美術館(愛知、2019)、「トランス/リアル — 非実体的美術の可能性 vol.6 文谷有佳里」gallery αM(東京、2016-2017)、「ポジション2012名古屋発現代美術~この場所から見る世界」名古屋市美術館(愛知、2012)など。

文谷有佳里《なにもない風景を眺める 2016.2.8》2016年
文谷有佳里「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」展示風景 2019年 会場:愛知県美術館

 

 


文谷さんの作品を参考に、はがきサイズの紙にカーボン紙を重ねていろいろなもので擦ってあとをつける(描く)ワークショップです。
カーボン紙を擦る道具は固い素材のものならなんでもOK。
鍵やキーホルダー、硬貨など、カバンやお財布に入っているようなものも使えます。
文谷さんいわく、あえて描きにくいもの(ペン状になっていないもの)を使うと、コントロールしにくく思いがけない線が生まれるのだそうです。

タイトル「見えないドローイング」の通り、カーボン紙に描いているときは紙にどんな線や図像がうつっているのか見ながら描くことはできません。
「ここで終わりにしよう」と思ったら、カーボン紙をめくって確認します。
このカーボン紙をめくるときがとっても楽しい🥰自分が描き残した痕跡と出会う瞬間です✨

 

やっていることはカーボン紙を擦るだけなのですが、人によってできあがりの雰囲気がまったく違うことに驚きました。

   

みなさん何枚も挑戦され、「次はこうしてみよう」とイメージしながら「見えないドローイング」との出会いを楽しんでいました。

文谷有佳里さん、ご参加のみなさま、ありがとうございました🙌


ON―ものと身体、接点から

会期:2022年6月25日(土)~8月21日(日)
開館時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日が休館)
観覧料:一般 700円(600円)/大学、高校生 500円(400円)/中学生以下無料
*()内は20名以上の団体及び清須市立図書館貸出利用カード提示者の割引料金
*各種障がい者手帳等提示者及び付添人1名は無料

出品作家:水木塁、文谷有佳里、谷本真理、時里充


文谷有佳里ワークショップ「見えないドローイング」(終了しました)

はがきサイズの紙にカーボン紙を乗せて、上から色々なもので擦って線を描きます。
どんな絵になるかは、最後にカーボン紙をはずすまでわかりません。

日時:7月16日(土) 14:00~16:00
講師:文谷有佳里(出品作家)
所要時間:3分
事前申込み不要(時間内随時受付)

09. 8月 2022 · ON―ものと身体、接点から はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

6月25日から始まった展覧会「ON―ものと身体、接点から」。
早いもので会期が残り2週間となりました。本当に早い💦

この展覧会では、ものにふれて何かをつくることや、そのさまざまな状態に注目することで、今改めて「つくること」について考えることができるのではないだろうか、という問いかけのもと、4名の現代作家の作品を紹介しています。

さて、この「ON」というメインタイトル。
とってもシンプルですが、どんな意味があるのか、ちょっと想像しにくいかもしれません。

「ON」は何かと何かが接しているようすを示すときに使われる英単語です。たとえば、

A cup on the table/机の上のコップ
Put on shoes/靴を履く
Light shines on someting/光が(何かに)当たる

など。
手で触れることのできるものだけでなく、光や影など直接触れられないものにも使われます。
そして、美術作品の手法や表現の中にも、

Oil on canvas/キャンバスに油彩
Ink on paper/紙にインク(版画や印刷物に使われる場合もあります)
Projection on the screen/スクリーンに映写(映像作品など)

と、何かと何かが「ON」しているものがたくさんあります。

そんな発見から、この展覧会のテーマにつながるのではないかと思いメインタイトルに採用しました。

(他にも、「O」が曲線で「N」が直線という造形的な要素の組み合わせであったり、単純にシンプルでインパクトのある言葉をタイトルに、という理由もあります。)

実際にどんな作品が展示されているのか、どんな展覧会なのかは、ぜひ会場でご覧ください!

ON展をより楽しんでいただくために、展示設営の一部を記録したメイキング動画を当館YouTubeチャンネルで公開しています。
作品に加え、展覧会をつくりあげていくようすからも、参加作家たちの制作に対する手つきや思想を感じていただけるのではないかと思います。
(こちら↓から直接ご覧いただけます。)
撮影・編集:ToLoLo studio

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ON―ものと身体、接点から

会期:2022年6月25日(土)~8月21日(日)
開館時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日が休館)
観覧料:一般 700円(600円)/大学、高校生 500円(400円)/中学生以下無料
*()内は20名以上の団体及び清須市立図書館貸出利用カード提示者の割引料金
*各種障がい者手帳等提示者及び付添人1名は無料

出品作家:水木塁、文谷有佳里、谷本真理、時里充

09. 6月 2022 · 清須アートサポーター アートスポットめぐり「北名古屋市アートエリアロード」 はコメントを受け付けていません · Categories: 教育普及, 未分類

いつも館の活動を支えてくださるアートサポーターのみなさんとの恒例お出かけ企画。

名古屋市営地下鉄壁画めぐり、尾張旭市城山公園、朝日遺跡ミュージアムに続き、今年度は「北名古屋市アートエリアロード」を探訪しました

感染対策を取りつつ、屋外での見学です。

 

清須市のお隣、北名古屋市には、道路沿いにたくさんの野外彫刻が展示されているのをご存じでしょうか?

県道名古屋豊山西春線や江南線沿いをはじめ、50点余りの作品がいつでも見られます。

北名古屋市として合併する前の西春町と、町内に美術学部を置く名古屋芸術大学との関わりから、1990年以降漸次的に設置されたというこれらの作品群。

存在は知っているけど、ちゃんと見たことはない…というサポーターさんからご提案いただき、お出かけ先に決定

 

2013年に発行された『北名古屋市彫刻ガイドブック』(北名古屋市歴史民俗資料館や市役所で、なんと無料でもらえます!)を早速ゲットし、これをもとにちょこっと下調べした「しおり」を携え、いざ出発

 

当日は気温高めだったものの、風がさわやかで散策日和(改めて写真を見るとめっちゃ青空)。

6つのエリアのうち、今回訪れたのは名古屋芸大周辺のアートエリアロードです。

おもに名古屋芸大の先生や卒業生の作品が並びます。比較的人体彫刻が多め。

 

岩井義尚《遊-Ⅲ》

3人の子どもが戯れています。見る角度によって見え方が異なり、「ここから見たほうがいい!」とベストポイントを探していました。

加納秀美《踊り子》

尾張旭の城山公園にも同じ作者の作品がありました。

石田武至《語らい》

金ピカ。オリーブの環と女性の手には鳩。平和の象徴でしょうか。(おそらくこれと同じ鋳型の作品が、名古屋市鶴舞の通信ビルのてっぺんにあるのですが、ご存じの方いますでしょうか…)

三枝優《風》

マスクを着けていました。

両手で身体を浮かせて支えているようなポージング。腕がプルプルしそうです。

吉田鎮雄《踏》

手で髪の毛を引っ張る?不思議なポーズです。

身体の正面が道路側を向いているので、歩道側からはおしりが見えます。なぜこのような置き方をしたんでしょう。

大口明一《魚》

萩原清作《裸婦》

神戸峰男《春夢》

神戸峰男さんは2019年に公開された東岡崎駅の徳川家康騎馬像の作者でもあります。


 

野外彫刻は360度どこからでも見れて、触ることができるのも醍醐味。

ブロンズ、石、ブロンズだけどおそらく原型は木?(鑿の跡がわかる)など、質感の違いも楽しみました。

大学付近には公式情報にはない作品もひっそりあったりして、思いがけない鑑賞もできました。

 

普段は通り過ぎてしまうような場所で、みんなでわいわいと感想をおしゃべりしながら作品を見られたことが何より楽しかったようです。

最後に名古屋芸術大学 Art & Design Center Westで開催中の『儀間朝龍展 POP OR END』を鑑賞。

ダンボールを使ってアメリカや沖縄の文化を表現したポップな作品に、こちらでも大盛り上がりなのでした。

 

五条小前の歩道陶板。かわいい。

 

O

 

 

 

25. 1月 2022 · アーティストシリーズVol.96 藤森哲 アーティストトーク② はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

(①からつづく)

――抽象形体と仏像モチーフの過渡期にあたるのが《tableau 2020-04(FLORENCE)》あたりの作品ですが、これについてはいかがですか?

《tableau 2020-04(FLORENCE)》2020年

タイトルに“FLORENCE”とあるように、こちらはイタリアのフィレンツェがイメージソースとなっています。現地を訪れた際に、街中のいたるところにある彫刻作品をバシャバシャ写真で撮っていたんですが、そのときは自分の作品の資料に使おうとか、そういう気持ちはなかったんですね。

が、あとになって当時の思い出などとは切り離してその写真を見たときに面白いなという感覚があって、作品制作のきっかけになりました。これが仏像モチーフにつながる手法になっていきます。

抽象形体を描いていた流れで、全面を真っ黒に塗ったあとに白い部分が立体的に浮かび上がってくるように削って描いていったんですが、この手法で具体的なモチーフを描くのが思いのほか難しくて。本当はもう少し形を提示したかったですが、抽象と混在した表現になりました。

今同じ資料を使って作品をつくろうとしたら、全然違うものができるんだろうなとは思います。

削っていく作業って、自分の想像を超えた「現象」が要所要所で起きるので、その面白さを楽しみたい自分もいます。ただそこを追求しすぎていくと、当初描こうとしていたモノの形が「現象」に覆われていってしまうこともある。それがいいか悪いかはわからないですけど。

 

――西洋の裸体彫刻の生々しさと、東洋の仏像彫刻の石の質感。この対比も藤森さんの作品に異なる雰囲気をもたらしていると思います。

《tableau 2020-04(FLORENCE)》(部分)2020年

 

――では今回のメインシリーズでもある新作についてうかがいたいと思います。まずなぜこのような展示方法にされたんでしょうか?

まずこの大きさのキャンバスをパネルにすると運ぶのが大変なので(笑)、大きな画面でもロール状で移送できるというのがメリットとして一つあります。

それから、真っ黒な背景ではなく余白を残す描き方に変わり、中国の山水画や日本の襖・屏風・掛軸など、建物空間と一体化した画面形式を想起するようになったことも関係しています。パネルやキャンバス絵画のように空間と作品が独立している感じではなく、作品が空間に溶け込むような、また描かれているものたちが空間で蠢いているような、そういうイメージを実現するために布状のキャンバスを上から垂らす手法に行き着きました。

 

――ただ上から吊るすというだけでなく、降りてきた端のほうが床に這わされているのもポイントですね。

そうですね、床面にキャンバスが這うことを前提にモチーフを描いているものもあります。空間全体を包み込むようなイメージで考えています。

 

《tableau 2021-04(Kushan)》2021年

――描かれているものに関しては、仏像からまた新しい変化が生まれているようですね。

先ほど、自分の考えと鑑賞者の見方のズレをなくしたいというような話をしましたが、そのためには自分の考えていることをもっと具体的に出していかないと伝わらないんじゃないかと思ったんですね。で、それは好きなこととか、趣味とかを含めて自分が普段から考えていることをわかりやすい形で提示するのがいいんじゃないかと。

僕はSF映画が好きで、SFに関する思考をしていたりするんですが、そこから宇宙とかロケットといったモチーフが登場し始めています。

描くにあたっていろいろと調べたんですが、例えばここに描かれているのがアポロ11号のエンジン。アメリカがソ連との宇宙開発戦争に勝ったのはこのエンジンのおかげと言われていて、それが今では神話化されているというか、崇められているような存在なんじゃないかと感じたんですね。その在り方と仏像という信仰の対象とがつながる部分があって、今回組み合わせて作品にしています。

 

――そして、今回展示室の最後に象徴的な存在として展示されているのが《tableau 2021-s07(Houston)》です。

《tableau 2021-s07(Houston)》2021年

この展示室のなかでは異質な印象ですが、どうしても展示したかった作品であり、「往日後来図」という展覧会タイトルにも必要な作品でした。

吊り展示の5点シリーズをメインとして「往日後来図」というタイトルをつけているんですが、「往日」=過ぎ去った過去からみた「後来」=未来という意味を込めています。それを考えるきっかけになったのが、1992年に毛利衛さんが宇宙へ行った出来事です。当時は国全体で盛り上がっていて、夢物語のような宇宙開発の未来予想図などもよく目にした記憶があります。

それが21世紀になって、どうもそのとき見ていた未来と現実が違うなという印象なんですよ。あのときのいわゆる「きれいで明るい未来」と今現在の社会の様子のズレにSF的なディストピアの面白さを感じて、それを提示したいと思って、象徴としての「宇宙飛行士」を描きました。

宇宙飛行士ってヒーローみたいな存在で、それが崇められる仏像ともリンクするんじゃないかと思っています。

 

――今回の展覧会を通して、藤森さんの新たな展開が見られたように思います。

清須市はるひ美術館の特徴的な展示空間を意識しながら垂れ幕状のシリーズも展示できて、回廊のなかに仏像が並んでいるようなイメージで、自分のやりたいことができたかなと思います。

 

――藤森さんの作品の圧倒的な迫力を、当館の展示室で制御できるか心配な部分もありましたが、メリハリのある空間に仕上がっていたのではないかと思います。

本日はありがとうございました。

清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.96 藤森 哲 展

O

 

 

25. 1月 2022 · アーティストシリーズVol.96 藤森哲 アーティストトーク① はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

平面作品の公募展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」の受賞者のなかから個展形式でご紹介する企画、「アーティストシリーズ」。

開館当初から継続して、100名近いアーティストの方々にご参加いただいてきました。

2021年度に出品していただくのは、藤森哲さん(第10回展準大賞)、MITOSさん(第10回展審査員賞〈加須屋明子〉)、福嶋さくらさん(第10回展大賞)の3名。

今回は、藤森哲さんの個展に際し2022年1月10日におこなわれたアーティストトークの一部をテキスト形式でお届けしたいと思います。

(聞き手:学芸員O)


 

藤森 哲(ふじもり・さとし)

1986  神奈川県横浜市生まれ
2011  筑波大学人間総合科学研究科博士前期課程芸術専攻洋画領域修了

個展
2021  「絶対景感」 /コバヤシ画廊 、東京
2020  「REAL FICTION」 /コバヤシ画廊 、東京

グループ展・公募展
2021  神奈川県美術展/神奈川県民ホールギャラリー
(2020、2019、2017、2016、2010)
2020  シェル美術賞展2020/国立新美術館(2017)
おやま豊門芸術祭 うつろいの住処/豊門会館和館、静岡
IZUBI Final/池田20世紀美術館

など

https://satoshi-fujimori.jimdofree.com/


 

――清須市はるひ絵画トリエンナーレのことは何で知ったのですか?

定期的に、公募展にいくつか出品しようかなということで調べたりするんですね。全国公募かどうか、下世話な話ですが賞金がどれくらいか(笑)、また審査員が誰かということを基準に探すなかで候補に出てきたという感じです。

 

――準大賞という結果を知ったときのお気持ちはいかがでしたか?

大変うれしかったです。自分でずっと制作を続けているなかで、そういった賞をいただくことはそうそうないので、準大賞に食い込んだことは大きな出来事でした。

ちょうど作品のスタイルを変えている時期でもあって、それが評価されたということで「やってることは間違ってなかったな」と実感することができました。

 

《tableau 2021-02(Kushan)》2021年

――それではその受賞作《tableau 2021-02(Kushan)》についてお聞きします。まず、モチーフについて。

タイトルには、“tableau”(タブロー:作品)、制作年とその年の何作目かを数字で表記して、括弧書きで参照したものを入れるようにしています。

この作品は“Kushan”「クシャーナ」という、2世紀ごろに中東で栄えた王朝で作られた仏像をモチーフにしています。

 

――おそらく「仏像」と言われてもすぐにはわからない表現なのではないかと思いますが、どういう風に描かれているんでしょうか。

これはなかでもわかりやすいほうの作品ではあるのですが、仏像の上下が反転していて、ひっくり返すと手足や像の欠損している部分などが見えてくると思います。

が、自分は仏像を描きたいというよりかは、仏像のもっている実在感や存在感を画面に落とし込みたいので、これをどのくらい仏像だとわからないようにするかが重要なんですね。

そのために反転させたり、写真のデータを使ってぎりぎりまでわかるかわからないかくらいにまで加工したりして、描く準備をしています。

 

――私がこの作品をはじめて見たときに不思議だなあと思ったのは、近くで見たときと離れてみたときで印象がかなり変わることです。少し離れてみると物質の凹凸や陰影が緻密に描きこまれているなと思ったんですが、近づいてみると思いのほか荒々しいタッチでモノクロのグラデーションが表現されている。でも盛り上がっているような絵具や筆跡があるわけではなく、つるりとしている・・・どうやって描いているのかな、というのが素朴な疑問でした。

絵を描くというと、筆で絵具を載せていく、積層させていくというイメージがあると思いますが、僕の場合は逆です。最初に絵具を載せて、それを削り取っていく。白色の絵具は使っていなくて、白く見えている部分は削った結果出てくるキャンバスの地の色です。

削る道具で一番使っているのはゴムベラです。調理用のシリコン製のものとか、消しゴム、ゴム手袋をつけて自分の指で、など、適したツールを探すのが楽しかったりもします。

 

――削り方の多様さによって画面にいろいろな表情が生まれ、見え方も変わってくるわけですね。

 

《EPIDERMIS》(一部)2016年

 

――(当館館長・高北幸矢)審査員の一人を務めましたが、藤森さんの作品には非常に強いインパクトを感じました。他の応募作品とはちょっと違うなという違和感みたいなものがあって、順当に上位に残っていったという感じです。

先ほど、受賞作は作品のスタイルを変え始めたタイミングだったというお話がありましたが、確かに過去作と比較するとずいぶん変化しています。モノとしての存在感がはっきりしているというか。そのきっかけはどういうものだったのでしょうか?

以前は特定のモチーフを扱わずに純粋な抽象形体を描いているときもありました。何を描くかあらかじめ決めずに、感覚的に描きながら何か具体的なもののように見えてくるのを楽しんでたんですが、作品を見る人が自分とは違うものをそこに見ているということが起こったんですね。

自分の意図と鑑賞者の感じ方のズレはもちろん面白い部分ではあるんですが、そのズレをなくしたい、自分の考えていることをそのまま受け取ってみてほしいと思って、具体的なモノの形をはっきり描くという手段を取りました。

 

――(高北)作者が作品のなかに込めたものをいかに読み取るかというのは鑑賞の醍醐味ですが、作者が鑑賞者に対して「つかんでみて!でもわかんないでしょ?」みたいな駆け引きをするのがアートの面白さでもありますよね。藤森さんの作品の魅力としてそれが発揮されていたのだと思います。

 

(②へつづく)

清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.96 藤森 哲 展

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