22. 2月 2024 · アーティストシリーズVol.103 内田涼「クロストーク 内田涼×鷲田めるろ」 はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

公募展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」の受賞者を個展形式で紹介する「アーティストシリーズ」。第103回目は「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」で審査員賞[鷲田めるろ]を受賞した内田涼さんの展覧会です。今回のブログでは、2月4日に開催した内田さんと鷲田めるろさんによるクロストークの様子を一部ご紹介します。


内田 涼(うちだ りょう)
1989年 静岡県生まれ。2015年武蔵野美術大学油絵学科卒業。近年の主な活動に、2023年「ウォーター・クロス・スナップ、スナップ・クロウス・ウォーター」NEWoMan横浜、2022年個展「夜」つつじヶ丘アトリエ(東京)、グループ展「ATAMI ART GRANT」HOTEL ACAO(静岡)、信濃大町あさひAIRレジデンス成果展「おもいっきり、水」旧金物のオビ(長野)、2021年グループ展「Re: examine」YOD Gallery(大阪)、2020年より現在までアート/空家 二人(東京)でのグループ展など。2020年「シェル美術賞2020」入選、2019年「NONIO ART WAVE AWARD」準グランプリ受賞。2023年より長野県と東京都の2拠点をベースに活動している。

鷲田めるろ(わしだ めるろ)
十和田市現代美術館 館長、東京藝術大学大学院 国際芸術創造研究科 アートプロデュース専攻 准教授、清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ審査員。
京都府生まれ。1998年東京大学大学院美術史学専攻修士課程修了。金沢21世紀美術館キュレーターを経て2020年から十和田市現代美術館館長。専門は美術史学(現代美術)、博物館学。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館キュレーター(2017年)。あいちトリエンナーレ2019キュレーター。2020年に著作『キュレーターズノート二〇〇七ー二〇二〇』(美学出版)を刊行。


展示風景(手前右《Flake》2022年)

鷲田:「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」の内田さんの受賞作がこちら《Flake》です。この公募展で審査員をさせていただき、たくさんの作品を観せていただく中で、とても不思議な作品だなと思い印象に残りました。画面の上方にチェーンのような輪っかが繋がっていますが、左の輪っかが手描きのストロークで、そのかたちと同じシルエットが繰り返されている。コンピュータのコピー&ペーストが混在しているようにも見えます。下の方も、はっきりとは分からないけれどもバイオリンのボディのような同じかたちの反復や、地と図の反転といったところに不思議な印象を受けました。

内田:この頃から筆のストロークを一つの素材として絵のパーツのように扱うことを考え、実験的に取り組んだ作品です。(左の輪っかのように)最初にきっかけとなる表情をつくって描き始めることが多いです。

《Flake》2022年

鷲田:最初にデッサンやスケッチはしないんですか?

内田:下描きは全くしないです。少しでもきっかけになりそうな絵具のたれや滲みなど、自分ではコントロールできない部分を残しながら描き進めています。

鷲田:ではこの作品だと、最初に描いた左の輪っかのかたちを型取りしている?

内田:はい。トレーシングペーパーでかたちを取って厚紙にカーボン紙を重ねて写し、カッターで切って型取りしています。できるだけアナログな手法でコピー&ペーストのような効果を試みています。

鷲田:グラデーションのような色の滲みは意図的に描いているのでしょうか?

内田:滲みの部分は水の分量と絵具の関係で自然に色が広がるようにしています。いろいろな描き方やかたちの写し取り方を試しながら(描いているものが)特定のものに見えそうになったら逃げる、緊張しそうになったら緩める、といったことを意識しています。

《オンザロータス》2022年

鷲田:《オンザロータス》は左右対称の図像にロールシャッハテストのようなイメージが浮かびました。描かれているかたちはどういったモチーフでしょうか?

内田:街中で見つけたかたちを取り入れていて、一つは古い建物のドアのシールが剥がれた跡のかたちだったと思います。最初に絵具の流れを描いて、その印象にあわせて街中へかたちを探しに行くということをしました。2022年に信濃大町で滞在制作をしたのですが、その時に木崎湖という湖を訪れ、湖面が鏡写しになっている風景を見たことが描くきっかけになりました。
あと、信濃大町はお土産物などで北アルプスの山の絵がよく登場するのでキーホルダーかピンバッジで見かけたイメージももとにしています。
実は今回、同時開催している収蔵作品展「小川武雄 冬を描く」にも木崎湖を描いた作品が展示されているという偶然がありました。

展示風景(左から《game= ゲーム》、《march= マーチ》、《athletic= アスレチック》全て2021年/手前右《ランドマーク:灰》2023年)

鷲田:《game= ゲーム》、《march= マーチ》、《athletic= アスレチック》は3点組の作品ですか?

内田:はい、いつも複数の作品を同時に制作しているのですが、この3点はそれぞれから見出したかたちを交換しながら描き進めることを試みました。信濃大町で滞在制作した時は、街中へ出掛けたり外から描くきっかけを持ってきていたのですが、それ以前は自分の絵の中からきっかけを探すというプロセスで描いていました。

鷲田:展覧会のサブタイトルが「スモークアンドミラーズ」ということで、ミラーは正確な反復ですが、スモークはぼやけて見えなくなる状況をイメージします。《ランドマーク:灰》では既製品の蝋燭立てを使っていて、真ん中には本物の蠟燭が挟まっていますね。

内田:はい、「スモーク」から火と煙を関連付けた作品になっています。

クロストークの様子(手前《ブロック:黄#1~#18》2023年)

鷲田:《ブロック:青#1~#18》、《ブロック:黄#1~#18》は、私は見ただけでは解読出来なかったのですがどういった作品でしょうか?

内田:これは日記のように毎日継続的に続けて描いたものです。N,X,Y,Zは数学で使う代数から用いています。意味よりもかたちや記号に着目していて、例えば電話している時に手が勝手に動いて意味のない落書きが生まれるような経験ってあると思うのですが、そういった手と脳の関係を吐き出すような作業と捉えています。最初に描き始めるマスを決めて、それを基準に左右対称にしたり反復させたりして塗り進めていくことで毎日違った図像が生まれていくことを試していったものです。

鷲田:今のお話を聞くと、20世紀のシュルレアリスムの作品に見られる自動筆記のような無意識の作業のようでもあり、しかし自由に描けるわけではなくマス目の制約によって機械的に現れてしまうパターンのようなものでもある。信号を入力したら別のかたちでアウトプットされるような受動性があるように思いました。

左から《サン#5》《サン#4》《サン#3》《サン#2》《サン#1》全て2023年

鷲田:こちらの5点組の作品《サン#1》~《サン#5》では、特に画面の中の前後関係が意識されているように思いました。共通する十字の直線を基点に手前と奥を操作しながら描いている。また、床置きのオブジェ《ランド#1~#3》は型紙を使ったものでしょうか。

展示風景(床置きの手前3点《ランド#1~#3》2023年)

内田:この辺りは同時進行で制作した作品です。《ランド#1~#3》は、絵画制作で使っている型紙を素材にして絵画と同じ感覚で立体作品を制作してみました。絵画制作で型紙をキャンバスに置く時、ピンを打つような感覚があり、その感覚をゆるやかに繋げて見てもらえると良いなと思っています。
長野県に拠点を移してからは窓枠の意識も持つようになり、窓の外の景色が手前に見えたり奥に見えたりということも絵画を描く上で意識しています。長野の地元の人に「この辺りは山並みが空間を区切っている」というお話を聞いて、そういった身近なものの見え方を絵画にも取り入れられないかと考えています。

鷲田:絵画の歴史でよく言われるものに窓と鏡があります。絵画は窓の向こうに見える風景を切り取ったものである、または、鏡のように現実世界を映すものであるということですね。今のお話を聞いて、長野の方は高い山並みが空を区切っていて、山の向こう側の世界に対するフレームのようになっている。そして、内田さんが使っている型紙も輪郭線が世界を切り取りかたちを作るという点で繋がっているように思いました。

《ラウンド:N、ラウンド:X、ラウンド:Y、ラウンド:Z》2023年

鷲田:《ラウンド:N、ラウンド:X、ラウンド:Y、ラウンド:Z》はまたタイプが違いますね。オセロのようにも見えるし、器はリンゴの入れ物でしょうか?

内田:長野ではある時期になるとホームセンターにこの容器がたくさん並ぶようになるんです。上の段は白、下の段は黒でN,Y,X,Zになっています。

鷲田:これはドットの要素があると思うのですが、例えばオフセット印刷を拡大していくとドットが見えてくる。あるいは印象派の画家たちが(絵筆で絵具を細かく置くように)点描で描いた絵画にも同じことが言えると思います。一方で線はどこまで拡大しても線。そういった要素の違いが、この作品と、型紙でかたちの線を写して反復させる他の作品との間にあるように感じました。

展示風景(手前《ランドマーク:黒》2023年、右《コイン・イコン・インコ#1》2023年)

鷲田:入口にあった《ランドマーク:灰》と、こちらの《ランドマーク:黒》、そして「コイン・イコン・インコ」シリーズの作品は、かたちの繋がりから「ルビンの壺」が思い浮かびました。「ルビンの壺」の面白い特徴は、壺に見える時と横顔に見える時があるのですが、それが同時には見えないんですよね。どちらかが行ったり来たりする。そういった絵画上での前後関係の操作が内田さんの作品全体で繋がっているように思いました。

内田:今言ってくださったことをこれまでは作品単体でやっていたのですが、今回の展覧会では一緒に並べることで繋げて観てもらえるのではないかと考え展示しました。例えば2つの要素があるけど片方を見るともう片方が背景になったりする。そういった見え方の不自由さの中にイメージの豊かさがあると思っていて。鑑賞者の頭の中で何が起こっているのか私には分からないのですが、なるべくそういった不自由さが起こるように制作では意識しています。

鷲田:自分が見てもらいたいイメージを描き出すというよりも、観る人それぞれの見え方で認知できるような場を設えていくという感覚でしょうか。

内田:そうですね。イメージに対して中心だけを空けておいて、広がりをもつような場所をつくるような感覚です。

展示風景(手前《ムーン》2023年)

鷲田:会場内で時々聞こえてくるこの音は?

内田:これは映像作品《ムーン》に含まれている音です。普段「何に見えるか」「どう見えるか」を考えながら制作しているのですが、この作品では「どう聞こえるか」を同時に考えてみたいと思い制作しました。尾道で滞在した際に夜の海に映る月明りを撮影した40秒ほどの短い映像なのですが、ずっと見ているとあるカタカナのかたちに見える瞬間があって、その時にこのピアノの音を加えています。
人の音の認識には「絶対音感」と「相対音感」があり、絶対音感の人にはこの音が何の音か分かると思いますが、私は相対音感なのでこの一音が聞こえても何の音か分からない。相対音感には「移動ド」という性質があって、どんな音階も「ドレミファソラシド」を基準に変換されて聞こえてしまう。そういった不自由さがあるのだと知って、私が思っている音と、人が思い浮かべる音の「聞こえ方の違い」に興味を持ったことが制作のきっかけになりました。
この作品に関しては、まだうまく説明ができないのですが、私が今ここで展覧会をしていても、普段は別の場所にいてここにはいないので、どんな人が観に来てどう思うかは分からない。けれど、もし絶対音感の人が来たらこの音が何の音か分かるんだな、といったことを考えていました。

鷲田:「移動ド」のお話から、もし二つの音があったら音同士の関係で認識される、ということを視覚的な話に繋げて考えてみると、先ほどの「ルビンの壺」のように、あるかたちが絶対的なものではなく他の何かとの関係で相対的なものとして見えることを、内田さんは絵画や作品制作の中で追究されているように思いました。


<来場者からのご質問>

___滲みの表現は内田さんにとってどういったものなのでしょうか?

内田:情報源のようなものと捉えています。滲みの中から色の並びを見つけたり、かたちを見出したり、描く上で素材となるいろいろな情報が入っている。現在の絵画制作は全部アクリル絵具で描いているのですが、もともとは油絵具を使っていて、油絵具のスピードの遅さが自分には合わなくて下地にアクリル絵具を使うようになりました。そこで下地に滲みの表現を用いるようになり、キャンバス上で起こっている滲みの現象への興味を自覚していったのだと思います。
または、少し癒しというかセラピーのような要素もあるのかなと思います。子どもの頃は海沿いに住んでいたので水のある風景に親しんでいたこともあるのかもしれません。

鷲田:滲みの部分は作家自身がコントロールできない偶然性を取り入れている部分になるかなと私は観ていました。

 

___今日のお話にもあった、窓や鏡、色とかたちによる画面上のイリュージョン、同じかたちの反復など、割とオーソドックスな絵画の要素を多用していて、そういった手法は一つひとつ分かってくるのですが、先ほどの音の話のように特定の人にしか分からない要素というか、完全な答えは示さずにどこか分からない部分を作品に加えているような感じがしました。その辺りは制作上で意識されているのでしょうか?

内田:明確な答えを示すことの暴力性はずっと気にしていて、そこを避ける、反らすような操作が描く上でも入っているように思います。絵を描いている時は強い意志というか自分で画面をコントロールしながら描き進めていくことになりますが、先ほど鷲田さんがおっしゃった(滲みの表現のような)コントロールできない部分とのやり取りの中で描き進めていきたい。画面の中に自分が把握しきれないことや余白のようなものが常にあるように、ということはいつも気を付けて描いています。


描くことと真剣に向き合い、現れる現象に対して自身と鑑賞者の認識を大切にしようとする内田さんの姿勢が感じられるお話でした。
鷲田さんのとても丁寧な作品の観かたに導かれながら充実したクロストークとなりました。
内田さん、鷲田さん、ご来場の皆様、ありがとうございました。

k

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/vol103uchida/

05. 1月 2024 · 髙田裕大 アーティストトーク(12/16) はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

公募展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」の受賞者を個展形式で紹介する「アーティストシリーズ」。第102回目は、2021年に開催した「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」で審査員賞[杉戸洋]を受賞した髙田裕大さんの展覧会です。
今回のブログでは、12/16に開催した髙田裕大アーティストトークの様子を一部ご紹介します。

髙田裕大さん

・話し手:髙田裕大(本展出品作家)
・聞き手:加藤恵(清須市はるひ美術館 学芸員)


加藤:本日はたくさんの方にお集まりいただきありがとうございます。
最初に自己紹介も兼ねて今回の展示について教えてください。

髙田:もともと絵が好きで、高校は美術科ではなかったのですが美術の先生に教えてもらい進学した美術大学で日本画という手法に出会いました。在学中から自然物を描くことが多かったのですが、現在は測量の仕事に携わっていてそこで見た景色や経験が今の制作に繋がっています。

加藤:大学で日本画を専攻されたということですが、髙田さんの作品はぱっと見ただけではどういった画材で描いているのか分かりにくいのではないかと思います。加えて、画風が漫画的と言うかキャラクターのようで、それがさらに日本画のイメージから遠いと感じられるようにも思います。こういった表現に至った経緯は?

髙田:自分では特別なことをしている意識はないんです。自分が学んだ金沢美術工芸大学では絵具を厚く盛る描き方を教えられましたが、昔の絵巻物や日本絵画*といわれる作品と比較すると全然別物のように感じていました。今回の展覧会を観に来てくれた知人から「なんで(作品に)ラメを入れたの?」と言われたのですが、岩絵具の粒子がキラキラ光ってラメのように見えたのだと思います。

加藤:岩絵具というのは、もとは天然の鉱物を砕いた細かい粒子状の顔料ですね*。それを膠液という動物性の接着剤で溶いて絵具として使用するのが日本画では一般的かと思います。

髙田:実は今の制作では「アートグルー」という樹脂膠*を使っています。
もちろん動物性の膠も使っていたのですが、膠は腐るスピードが速く普段の仕事のペースと制作のペースがあわなくなってきて…。今回出品している《キジ》と《ヨウシュヤマゴボウ》は膠を使って描いたと記憶していますが、大きなサイズの作品はアートグルーを使っています。

《キジ》2019年

《ヨウシュヤマゴボウ》2019年

加藤:今回の展覧会では「続 測量の日々」というサブタイトルが付いています。測量のお仕事で経験したことを作品にされていますが、まず「測量」の仕事について教えていただけますか?

髙田:自分が携わっている仕事では、土地の形と大きさを測る、明確にすることが主な業務です。誰かが家を買う時や、土地を親から相続する時などに関わることになります。過去の資料を遡って土地の境界を調査するのですが、その一連の業務のひとつとして山林に入ったりします。

加藤:実際に作品に描かれるものは、その場面に遭遇した時の気持ちや感情など、髙田さんの主観的な視点で描かれているように思います。結果的に測量の仕事の内容とは離れた表現になってるようにも見受けられます。

髙田:自分は調査士の補助者という立場で現場の仕事を任されているのですが、現場でしか見えない景色、自分しか知らない風景があるんです。しかし、測量の仕事で必要なのは土地の正確な図面と面積であり、自分が見た景色は誰も知らないまま埋もれていくことになる。それが勿体ないと感じて、形に留めておきたいという気持ちで描き始めました。

 

ドローイングについて

ドローイング(奥壁)

加藤:ドローイングでは髙田さんが測量の仕事を通して遭遇したできごとやその時の気持ちがよりダイレクトに伝わってきますね。

髙田:ドローイングは現地でいい石ころを拾って家に持ち帰って飾るイメージです。なので、できる限り色やかたちを変にこねくり回さず描こうと思っています。その石ころをきれいに磨いたのが絵画作品という捉え方をしています。

加藤:「測量」という言葉から浮かぶかたい印象とは相反するようなイメージが描き出されていますが、実際に現地で遭遇する風景やできごとと描くことをどのような意識で繋げているのでしょうか?

髙田:できるだけその場面から受けた印象をダイレクトに描くことは意識しています。そのため取り組み方が粗くなってしまうこともありますが、それも自分のストックになっていく。現地と帰って来た時の状況や気持ちは違うので、うまくいかない時もあります。仕事から帰ってきた時に描けず、ストックしておいたものはずっと取って置けるわけではなくて、あとで思い出したら大したものではなかったと思う時もあります。

加藤:そうした取捨選択もしながら作品化しているんですね。

髙田:はい。また、測量をもとにした作品だけではなく、違うテーマの作品も同時進行で制作しています。

 

コンピュータ上で描いた作品について

髙田:測量の仕事では、現地調査から帰って来たらコンピュータ上で図面を引きます。測量をテーマにした作品や展覧会を考えた時、こういった図面作成の技術を制作に落とし込めていないのは何か欠如しているように感じたんです。
具体的には地図上で緯度経度の代わりとなるXY座標を使って描いています。《石》は上野の森美術館で作品を出品した際に制作したものですが、上野恩賜公園をベースにしています。
(ドローイングにみられるように)自分の制作してきた絵は個人的なもの、想像を描き出したものが多かったのですが、この図面の作品では実際に存在する土地の座標を使って描いているので社会と直接関われる表現だと感じています。

《石》2021年

《ダンゴムシ》2023年

加藤:《ダンゴムシ》は今回の展覧会にあわせて、清須市はるひ美術館周辺の地図をもとに制作された作品ですね。

髙田:はい。1/100の図面になっているので100倍したら実際の土地の寸法ということになります。《石》から変化したところは、折れ点の座標点名を表記して図面っぽさを残したところです。これらの作品は、航空写真をなぞって机上のコンピュータで落書きをするような、いわば「机上絵」と捉える事もできるのかなと思ってます。

 

モルタル造形について

《測る人》2023年

加藤:モルタル*に油性塗料で着彩した作品も出品されていますね。

髙田:モルタルは測量の仕事で境界の杭を埋めて固める時に使うので自分にとって身近な素材と言えます。
境界は動かないと言いますが(ドローイングの《杭さがし》にも描かれている通り)実際には動いていることもあります。土の中は見えない。先ほどの航空写真で見るXY座標では分からない部分になります。

《杭さがし》2023年

髙田:実際に土の中から掘り起こした杭のイメージを描いたものが《under the ground(boundary marker)》で、入口の《under the ground2》から継続したテーマの作品になります。

《under the ground (boundary marker)》2023年

《under the ground2》2016年

加藤:測量の仕事と作品制作を繋げていく中で、実際に自分の目で見て体験したできことだけでなく、宇宙から土地を眺めるような視点や、実際には見えないけれども地中の世界を想像するような表現など、共通のテーマを通してさまざまな観点で制作された作品を一望できる展覧会になったのではないかと思います。

―――

*日本絵画:江戸時代が終わるまでの絵画。対して、明治以降の日本の伝統的な近代絵画を「日本画」と呼ぶ。

*岩絵具:近代以降は人工的に作られたものが普及している。

*樹脂膠:アートグルーではアルカリ可溶性アクリル樹脂がベースとなっている。

*モルタル:セメントと砂、水を混ぜ合わせたもの。

【参考文献】
・荒井経『日本画と材料-近代に創られた伝統』武蔵野美術大学出版局、2015年
武蔵野美術大学造形ファイル


来場者からのご質問

___《ヘビの壺》が気になりました。

髙田:実はこの作品は測量の仕事を始める前に制作したものなのですが、今回の展覧会にも繋がると考え出品しました。
アトリエが田舎の古民家なので、これまでも庭の手入れなどを通してふれてきた自然や、あるいは「火」など普遍的なモチーフを対象にして、対象を遠くから眺めるような俯瞰的な感覚が強かったのですが、今回の展示作品群は生活の大半を占めている測量の仕事をモチーフにしているので「今、ここ、自分」というかなり限定的なものになってます。
かなり対象の近くまできてしまった感覚がありますが、それについてはそういう時期かなと思っています。今後また変わっていくかもしれません。

《ヘビの壺》2015年

___描く風景やモチーフは写真に撮ったものを描いていますか?あるいは(測量の)現場で作業をしている自分の頭の中や身体感覚を描き出している感覚でしょうか?

髙田:写真は撮っていません。作品制作はその感覚に近いと思います。

 

___《開拓者》の人物は自分自身ですか?また、鑑賞者に対して正対している理由は何かありますか?

髙田:自分を描いたつもりはなかったのですが、過去に作品を観た人に同じことを聞かれて、考えてみたら自分の体験をもとに描いていった絵なので限りなく自分だなと思うようになりました。
正対についてはポージングに対する意識があります。測量は基本的に2人1組でおこなうので、作業中に相手と目あわせの状態が多々起こるんですね。そういった経験が絵にも表れているように思います。

左・中央・右すべて《開拓者》2021年

___人物の身体が長く顔との比率に非現実的な印象を受けました。何か意図があるのでしょうか?

髙田:これは感覚的な問題で、自分がそれでいいかどうか判断して作品化しています。

加藤:このトークの前に髙田さんと打合せする中でお聞きしたのですが、ドローイングだけでなく絵画作品も下絵を描かずそのまま描き進めていくそうですね。

髙田:この描き方でも許せるようになったというか、自然とそうなっていきました。運動(スポーツ)に近い感覚があって、手を動かしながら自分が思い描く状態にもって行けるかという意識があります。
また、細かい準備をすると絵が固くなってしまう問題もあり、ドローイングだけでなく絵画作品でも直接描くことで生きた線が描ける感覚を大事にしようと思うようになりました。いつかまた急にしっかり下絵を準備してから描き出すこともあるかもしれませんが。

加藤:《開拓者》の石の影の表現では、先に描いた石のかたちを追うように影を即興的に描いていくというお話も面白いなと思いました。

髙田:いったん画面全体に手を入れてから影や細かい部分を描いていくのですが、その行程がコンピュータゲームに似ていると思っていて、一回クリアしたステージをもう一度プレイすると敵が増えていたり同じステージなのに変化しているような感覚です。
単純に影を付けるとリアルに見えるという節もありますが、影があることで隣同士や前後関係が画面の中に生まれてくることを面白く感じています。

アーティストトークの様子


髙田裕大さん、ご参加のみなさま、ありがとうございました。
2回目の髙田裕大アーティストトークは2024年1月6日(土)に開催します。
1回目とは違ったお話になる予定ですのでぜひぜひご参加ください。

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/vol102takata/

26. 10月 2023 · 谷川俊太郎という人 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

みなさんはこれまでに、「詩」というものにどれだけ触れてきたでしょうか。

言葉による表現のひとつとして、教科書などで一度は必ず目にするものではありますが、正直なところ私は少し苦手な分野でした。

つかみどころがなく、どのように受け取ればよいのかわからなかったからです(これは多くの人が美術に対して感じていることでもありますね)。

そんな私でもよく知っている「谷川俊太郎」という存在は、現在の日本においてまず名前が挙がる詩人なのではないでしょうか。

20代から90歳を超えた現在に至るまで、ずっと第一線で活躍する詩人・谷川さんの絵本に注目したのが、「谷川俊太郎 絵本★百貨展」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまで手掛けた絵本は200冊にものぼる谷川さん。

親しみある作品で「これ谷川俊太郎だったんだ!」とはじめて知るものもいくつかありました。

 

【世界を違う角度からみてみる】

例えば、円柱を横に切ると切断面は円ですが、縦に切ると長方形ですね。

世界は多面的で、いろんな角度からながめることで新たな気付きが得られます。

これは谷川絵本の特徴のひとつでもあります。

・当時としては珍しい、写真による絵本(『こっぷ』『なおみ』など)

・何気ない日常、身の回りのものについて深掘りする(『いっぽんの鉛筆のむこうに』『このえほん』など)

・異なる視点の比較によってものごとをとらえる(『わたし』『へいわとせんそう』など)

目の前の現実がどのようにできているのか、ということについて考えるきっかけをくれる絵本たちは、子どもにも大人にも新鮮な驚きをもたらします。

『へいわとせんそう』(文・谷川俊太郎、絵・Noritake ブロンズ新社 2019年)より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼少期は童話などのいわゆる「物語絵本」よりも図鑑やカタログのほうが好きだったという谷川さん。

言葉だけでは表現できないこと、絵だけでは表現できないことを総合的に伝えられる絵本ならではの価値を最大限に活かすことを重視しています。

 

【ナンセンス、そして声に出して読みたい】

名作『もこ もこもこ』をはじめとして、谷川絵本には「意味がよくわからない」作品が多くあります。

「ナンセンス絵本」と言われたりもしますが、ことばそのものに向き合い続けてきた谷川さんの真骨頂と言えるでしょう。

ことばあそび(『ことばあそびうた』)やオノマトペ(『ぴよぴよ』)だけでできた絵本はユーモアがちりばめられていて、意味がなくてもなんだかおもしろい。

抽象的な作品は簡単につくられているように思われがちですが、意味を超えたところにあることばを成立させるのは容易いことではないと思います。

ほとんどひらがなで書かれているこれらの絵本は、声に出して読まれることを想定して書かれています。既存の言葉のように決まったアクセントやイントネーションがないだけに、語り手によって十人十色の『もこ もこもこ』が生まれます。

文字や単語をもたない赤ちゃんが発することばのように、声や音をからだで響かせる楽しさは根源的に人間に備わっているように思います。

『んぐまーま』(文・谷川俊太郎、絵・大竹伸朗 クレヨンハウス 2003年)より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日開催した「詩作ワークショップーまんまえ投壜通信」にて、詩人の村田仁さんから興味深いお話を聞きました。

投壜通信、いわゆるボトルメールは、もとは沈みゆく難破船から送られた最期のメッセージでした。

自らの終わりを悟りながら、ここではないどこか、今ではない未来の誰かにことばを届ける行為。

詩を書くことは、そんな投壜通信の在り方に通じるとおっしゃっていました。

絵本という形で届けられた谷川さんのことばは、多くの人の成長過程に影響を与えてきました。

彼の存在は時を超えて、これからも私たちに大切なものを残していくのでしょう。

 

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http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/tanikawa/

 

18. 6月 2023 · 栗木義夫アーティストトーク(4/30) はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

今回は4/30に開催したアーティストトークの様子をご紹介します。
当日は大変多くの方にお越しいただきました。
ご参加の皆さま、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

・話し手:栗木義夫(本展出品作家)
・聞き手:加藤恵(清須市はるひ美術館 学芸員)


※以下、撮影:谷澤陽佑

左:栗木義夫・右:加藤恵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤:本日はたくさんの方にお越しいただきありがとうございます。
まずは、展覧会が無事オープンして、ご自身で展示をご覧になっていかがでしょう?

栗木:この展覧会のお話をいただいたのが昨年(2022年)の秋頃でした。その時は自分の活動を振り返るような展示ができたらいいと考え、展覧会の方向性が決まりました。自宅のアトリエに残っている作品を担当の加藤さんと相談しながら決めていって、今回のかたちになりました。

加藤:開催に向けて栗木さんとはいろいろなお話をさせていただきましたね。過去の作品や展覧会の記録写真も見せていただき、展示構成や出品作品をご相談しながら決めていきました。
当館は絵画の公募展とともに歩んできた歴史がありますが、立体も平面も同等に制作されている栗木さんの展覧会によって、また違った絵画の見かたを考えられるのではないかという企画意図もお伝えしながら、一緒に考えていただきました。

(展覧会の趣旨については前回のブログをご覧ください。)

栗木:自分の中ではやはり彫刻が基軸になっていて、自分の考えている彫刻の世界をどう展開していくかが表現のグラウンドになっています。当然「彫刻とは何か」と言い切れる答えを持っているわけではなく、今も問いを抱えながら、人生の中でどのような表現が可能かを模索しつつ、立体を制作し、その中で必然的に絵を描く。「絵画」と言うと難しい解釈が入ってしまうので、自分にとってできうる「絵」は何かということになりますが、日常の中で彫刻という問題を考えながらメモのように記録していくのがドローイング。そのドローイングから想像しうるフォルムを、立体や自分の考える絵の世界の表現へと種別していく。それらを与えられた空間にどう配置するか、壁や床を使ってどう表現するか、それが彫刻ではないかと今は考えています。

《Untitled》1979年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤:今回の展示は栗木さんが学生の頃の作品から近年のものまで出品していただいています。展示室2の入口にある人体彫刻は学生の時に制作された作品ですね。当時は人体を彫刻することが多かったですか?

栗木:学生の頃は先生の考え方に影響を受けましたが、教授も自身が学んできたものの見方で学生に伝えるので、まじめな学生ほどその目線で考えるようになってしまう。大学卒業後、さまざまなチャンスの中で作品を発表してきて、ドイツで初めて個展を開催した時(2012年)に「なぜ作品をつくるのか」という話になり考えさせられました。そこから、自分の大学時代は何だったのかと考えるようになり、先生たちから教わったことと、自分がしたいことにズレがでてきました。表現するのは自分なのだから、先生たちから教えられたことをどう排除するのかということに気づかされた。自分は気づくのにとても時間がかかってしまったのですが。。。

《OPERATION》(部分)1989年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤:栗木さんが学んだ日本大学の美術科では、当時、彫刻家の柳原義達や土谷武が教えていましたが、彼らから彫刻とは何かを教えられ、そこから自分の表現とは何かを考えだした時に、この鉄板に溶接をする表現に移行していったと思います。その変化について当時はどのように考えていたのでしょうか?

栗木:当時、日大の彫刻科では素材研究で石、木、テラコッタ(素焼き)、鋳造や金属など、素材の習得を3年生の半ばまでやっていました。土谷武が鉄の素材を得意とする作家だったので、学生たちも鉄は身近な素材でした。通常、鉄は量産された製品を加工して扱うのですが、たとえば、イカを天日で干すとかたちが反ってスルメになる。鉄も熱を加えることで同じ状況が起こる。鉄板に溶接をすることで自分との距離感が近くなるような、自分のものになり始めるような感覚が面白くて、夢中でやっていました。

加藤:私も今回はじめて栗木さんのアトリエで溶接を体験させてもらったのですが、やっぱりとても難しくて、作品のようにまっすぐで均等な線がなかなか引けなかったです。

《Untitled》1993年

 

 

 

 

 

 

 

 


栗木:
この作品(《Untitled》1993年)は、4×8(シハチ/1230×2430mm)というサイズで厚み12mmの鉄板3枚を、当時使っていた10畳くらいの広さの工房の床に並べて表裏に溶接しました。溶接は「グラウディング」という方法をとるのですが、鉄板を耕すイメージというか、表面を荒らして掘り起こす、それが新しいものをつくり出してくことと共通しているように感じていました。理屈ではなく自分の興味から素直に入って、ものができていくことに感動したんですね。これがシステム化されると感動が薄れてしまう。

加藤:溶接を体験させてもらった時、栗木さんに「鉄板を耕すようにやってください」と言われて「どういう意味だろう?」と思いました。

栗木:溶接を用いた自分の作品では最大級のものになります。鉄板の両面を溶接した後にカットして解体し再構築しているのですが、カットした鉄板1枚が約30kgあります。

加藤:計算すると全体で2トン以上の重量になりますね。
一般的に「溶接」は金属と金属に熱を加えることでつなぎあわせて一体化させる方法ですが、私も実際に体験させてもらって、自分一人の力ではどうにもできない鉄という重くてかたい物質を高熱によって変化させるということが、何かをつくりだす根源的な行為のように感じました。

壁面に展示されている紙の作品は、新聞紙でつくった再生紙を使って鉄板の表面を写し取ったものになります。この制作はどのような考えだったのでしょうか?

《Untitled》(部分)1993年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗木:解体(カット)する前の状態をどう記録させるかについて考えたことがきっかけでした。ただ、このサイズの和紙は単価が高額であることなどから当時の自分には限界だった。小原村に紙漉きの友人がいて、畳一畳分のサイズを漉くことはできたが、シハチになると技術が必要でつくることができなかった。その友人のアドバイスで、新聞紙は繊維が残っているので和紙に近い素材だというアドバイスを受け、新聞を36時間煮込んで泥状態にし、適度な状態で水と攪拌させ、網戸にのせて繊維だけを残す方法で紙を制作しました。その紙を鉄板に水ではり付けることで、鉄と水が反応してサビが発生し、紙がそれを記録する。この制作も自分の中に文脈(理屈)があって仕掛けたわけではなく、当時やってみたかったことを優先していったらこうなった。こうして展示してみると、当時のアートシーンを席巻していた国内のもの派や、イタリアではアルテポーヴェラの動向など、その時の作家たちがやろうとしていたことを振り返って見ているような気がしています。

加藤:私も展示された状態を観て、制作された当時の状況やそこで話されていたことを作品が含みこんでいるような感じがして、当時から現在までの時間の蓄積を感じました。

栗木:制作した時に新聞記事の文字が残っていてもっと煮込めばよかったと思った記憶があるので、よく見るとどこかに文字が見つかるかもしれません。今思うとそういった新聞の性質も作品に閉じ込めれば面白かったなと思ったりします。

 

(手前の作品)《Untitled》2006-2023年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤:今回出品していただいた、テーブル状の作品(《Untitled》2006-2023年)を観て、栗木さんが制作の中で大事にされている「手探りで思考する」というテーマをよく表しているのではないかと思いました。

栗木:彫刻の概念として「Crafting(クラフティング)」、手を通して考えるということがあります。ものにタッチして、その手触りによって五感が刺激される。特に立体は興味があると触りたくなりますよね。触る行為の中でものを確かめる、それは人の根源的な行為だと言えます。僕たち彫刻家はそういったものごとの考え方、見方をする。彫刻の三要素として「カーヴィング」「モデリング」「カルチベーション」があり、そこに根差した指向性が彫刻家の哲学のフィールド(領域)だと(日本大学で教わった)柳原義達、土谷武は言っていた。それは正しかったと今でも思っている。その問いかけに対して、自分らしさを掘り起こしていくためのドローイングであったり、スタイルに陥ることなく表現を絶えず変化させていくことが重要で、それが彫刻ということだと思っています。

加藤:本展の展覧会名でもある「Cultivation(カルチベーション)」は、耕す、耕作といった意味ですが、最近は頭を耕すとか、地域を耕すといった比喩的な使われ方をすることもありますね。栗木さんにとってこの言葉はどんな意味を持ちますか?

栗木:自分らしさとは何か、どこにあるのかという問題があり、それは「人と自分は違う」という考えが前提になっているのだと思います。日常の中で出会うものがあり、記憶の中に入っていく。それが蓄積され、攪拌されて、ドローイング*としてビジュアル化されることで確かに自分のものとして身近に感じるものになります。

《Untitled》1979-2023年 の一部として展示されたドローイング群

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤:ドローイングをすることが栗木さんの制作の中で重要になりますね。

栗木:ドローイングはかれこれ30年くらい取り組んでいます。近年は国内でもよく使われる手法ですが、多くのドローイングは自分の考えるものと少し違うように思います。言葉としてはデッサンの中の一部にドローイングというものがありますが、自分の意志が介在していないような、ただものを見たまま写し取るといったことではない。例えば線を引くと描いた人の性格が出ますよね。書道でもかっこよく書こうとすると先生からバツをつけられてしまったり。ドローイングも同じで、かっこよく描こうとしても自分との距離は埋まっていかない。距離を近づけるにはとにかくたくさん描く。僕たちはイメージの世界で生きているわけではなく、どこかで具現化して対峙しないと物事を理解できない。そこで対峙出来うるものは、自分から素直に出てきたものを、自分で客観的に意味を理解して判断するということだと思います。

*ドローイング:デッサンやスケッチのように見えているものをそのまま描くのではなく、自分の記憶や心の中にあるものを描く方法といった意味で「ドローイング」という言葉を使っています。

《Untitled》1993年を前にお話しする栗木義夫

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 来場者からのご質問

___鉄の作品で、鉄板のかたちを変化させることに対して魂(たましい)のような意識はありますか?

栗木:溶接は単純作業を繰り返す行為で、時間と集中力を要します。なぜこんなことをするのかという、心の問題になってくる。心無くしてものはつくれないですね。

加藤:1991年にギャラリー山口で開催された栗木さんの個展に関する論評*の中で、栗木さんの作品とアニミズム*を関連付けて書いているものがあるのですが、それに繋がるご質問だなと思いました。後世に残る作品には制作者の思考や手つきが宿るということは言えるのかもしれませんね。

*橋秀文「栗木義夫」、『美術手帖』643号、株式会社美術出版社、1991年9月、p203-204

*アニミズム:すべてのものに霊魂が宿っているという思想や信仰。

 

___色についてはどのように考えていますか?

栗木:自宅やアトリエの周りは自然の多い環境なのですが、四季による色の変化が自分の中の色を決定しているように感じます。日本人の持つ色の感性については、これからも自分の表現の中で考えていきたいと思っています。

 

___《Untitled》(1993年)は、展示によって形状が変化しているとのことですが、そのかたちの発想はどこから来ているのでしょう?

栗木:この作品では、溶接したシハチの鉄板を人の力で持ち上げられる単位(約40×60cm)にカットし、それを立体化させるため躯体に引っかけるという方法を考えました。発想のもとは、稲刈り後の干しわらのかたちが、東北や関東では円形、関西では四角く平面的に干すという違いがあると知ったことから、展示場所の地域にあわせて変化させています。当初はその土地の風土から生まれるかたちや状況を自分の表現に取り込むといった意図だったと思います。今回の展示ではそういった意図は考えず、ただ鉄板を躯体に引っかけるということをやってみました。今回のかたちが一番しっくりきています。

 

___ドローイングのお話で、栗木さんの中で数種類あると言うお話がありましたが、どういったものがありますか?

栗木:音楽の旋律のように(感覚的な)線で描いたものと、自分の記憶をたどって生まれてくるもの、その両方が混在したようなものがあり、そのドローイングから触発されてまた描くことで成長させていったりします。描いたものがそのまま見えてしまうのは自分にはつまらなくて、自分にしか分からない絵が生まれてくるまで(描き続けながら)待つことができるようになるといいなと思います。
例えば支持体(紙やキャンバス)の向きを変えたり、モチーフを置く机の角度を変えたりすることで見え方はまったく変わる。そういった見方の変化を日常的にできる環境を整えることが大事だと思っています。

 


展示作品とお話を通して、栗木さんの制作に対する考え方の深い部分にふれることができたように思います。
栗木さん、ありがとうございました。

6/24(土)は2回目のアーティストトークを開催します。
1回目とは違ったお話になる予定ですので、ぜひぜひご参加ください。

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/kurikiyoshio/

08. 6月 2023 · 彫刻家の造形論「栗木義夫 CULTIVATION-耕す彫刻」 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

 

 

 

 

 

 

 

現在、当館では企画展「栗木義夫 CULTIVATION-耕す彫刻」を開催中です。
本展では鉄や陶の立体から、油彩、ドローイングと言われる絵画まで、栗木義夫が手掛けてきた作品を幅広くご紹介しています。
特に栗木さんが30~40代の頃に制作した鉄の大型作品は圧巻!エントランスに展示しているこちらの作品はなんと重さが1トンあり、搬入設営の時は無事に展示ができるのかとてもヒヤヒヤしました。。。

《OPERATION》1990年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の栗木義夫展を企画したきっかけは、数年前にあるギャラリーで栗木さんの個展を拝見したことに始まります。
そこでは栗木さんの彫刻作品と絵画作品が一緒に展示されていたのですが、どちらがメイン・サブといったことは無く、お互いが交わり関係し合いながらもそれぞれ自立した状態で一つの空間をつくっているという印象を受けました。

そこでふと思い浮かんだ素朴な疑問、___彫刻家の描く絵とはなんだろう?

ご存じの通り、当館は開館当初から絵画の公募展を開催してきました。「はるひ美術館といえば絵画」というイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。私も美術館の仕事を通して絵画の見かたについて考えることがよくありますが、その時に観た栗木さんの作品は、「彫刻」と「絵画」、「立体」と「平面」といった領域を区別することなく、より根源的に「作品をつくる=表現する」ということを造形行為からとらえようとしているように感じました。
このような栗木作品との出会いが今回の企画の出発点になっています。

《Untitled》2006-2023年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の中にあるものをかたちにして表現するとはどういうことだろう」
栗木作品を眺めていると、そのような問いをゆっくり静かに投げかけられているような気持ちになります。
本展を観に来てくださる方々にもそんな時間を楽しんでいただけたら嬉しいです。
展覧会は6/25(日)まで。ぜひご覧ください。

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「栗木義夫 CULTIVATION-耕す彫刻」メイキング動画(ダイジェスト)

本展の作品搬入・展示設営の一部を記録したメイキング動画ダイジェスト版を公開しています。

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/kurikiyoshio/

07. 3月 2023 · 【後編】アーティストシリーズVol.101古橋香「クロストーク 古橋香×鷲田めるろ」 はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

前回に引き続き、「アーティストシリーズVol.101古橋香」関連イベント「クロストーク 古橋香×鷲田めるろ」の様子をご紹介します。
後半は、古橋さんの絵具へのこだわりや、油彩と水彩ドローイングの関係についてのお話、さらに来場者からのご質問に古橋さんがお答えする場面もありました。

左《Between Flickers》2022-2023年/右《Kaari》2021年

 

 

 

 

 

 

 

 

 


絵具について

鷲田:ここからは絵具についてお聞きしたいと思います。
古橋さんの作品を実際に拝見すると、写真では分からない絵具の物質感が見えてきます。特に透明感のある絵具がよく使われていて、それがまた層の重なりを生み出しているように思うのですが、この絵具は一般的なものですか?

《Between Flickers》(部分)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古橋:これは油彩用のメディウムというもので、画用液として一般に流通しています。油絵具に混ぜることで速乾性や堅牢性、透明感を増したり増粘剤として使われるものです。
もともと水性の絵具や油彩のステイニング(1)に関心があったのですが、それだけで表現することに限界を感じて、滲みに近い効果を探る中でこのメディウムにたどり着きました。ただ、完全な無色透明ではなく褐色の色味がついているので緑色の絵具と混ぜると濁った感じになってしまい、今もいろいろ調べながら使っています。絵具の流動的な感じがありながら色の濃いところは強調されて、絵具の盛り上がっている部分を通して下の層が見えているような状態を求めています。

鷲田:ひとつの画面の中に、絵具の盛り上がりや筆跡を見せる部分とフラットな部分を意図的に共存させようとされていますか?

古橋:そうですね。画面全体が油絵具でガチガチに固まった状態にはしたくなくて、水彩ドローイングのように一気に描き上げた感じを油彩でも取り入れたいです。以前、大学の先生から私のドローイングについて「(絵から)視線がはね返ってこない感じ」と言われ、その言葉に納得感があって意識しています。それは油彩の塗り残しや滲みの表現にも通じている気がします。

鷲田:具体的には、画面の中の余白や下地のまま残して抜け感があるようなところでしょうか?

《草色と午後、忘れること》(部分)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古橋:はい。そういった絵具のタッチとタッチの間を繋がない描き方も大事にしたいと思っています。油絵具は描き重ねるとどんどん物理的に強くなって抵抗感が増していく。その抵抗感が「はね返ってくる感じ」ということなんでしょうね。強さを求めていないわけではないですが、描いているうちに絵具が別物に成りかわってしまわないように、ということも考えます。

鷲田:そういえば、キャプションの素材欄を見ると綿布のキャンバスを意識的に使っているようですね。一般的に油絵のキャンバスは麻布が多いと思いますが。

古橋:実は麻布の荒い布目が苦手で。紙にラフに描く時のような感覚を油彩でも求めています。

《展示計画のためのドローイング》2022年

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲田:透明感のある絵具だけでなく、シルバーやパールなど光を反射する絵具も使っているようですね。《展示計画のためのドローイング》や《F0 のためのドローイング》の水彩ドローイングにもそのような絵具が使われています。

《F0 のためのドローイング》(部分)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古橋:パールの絵具の上に他の絵具をのせることで生まれる諧調を最近試しています。シルバーの絵具は、以前シルバーの上に白で網目を描こうとしたら、ラインがくっきり出てしまい、ぼかしがうまくいかなかったんです。他の絵具とは違う使い方をしなければと考え、今回出品しているF0号の作品に取り入れるまで1~2年くらい温めていました。

《shine. 1.31.2023》2023年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲田:絵画上の「イリュージョン」や「イメージ」に対する「物質」という点で、シルバーは絵具の中でも物質感が強く出るのかもしれませんね。
展覧会名の「点滅-Between Flickers-」は、このような絵具の光り方にも繋がるのでしょうか?

古橋:そういったことも含めて作品の配置による明暗や、作品に描いている望遠と見下ろしの視点の切り替わりを鑑賞者に促すようなイメージからつけました。

 

展示構成について

鷲田:今回の展示では、F0号から幅数メートルの大作まで様々なサイズの作品を展示されていますね。

 

 

 

 

 

 

 

古橋:単純に広い空間なので、これまでやってきたことを一望するような展示にしました。今回は作品のもとになっているスケッチも展示しています。これまでは、たくさん描いたスケッチの中から、水彩絵具でモノクロに転換して、色彩に置き換え、それを油絵具の物質にするというプロセスで制作してきましたが、そのプロセスを見つめ直す状況を展示の中でつくってみたとも言えます。

《F0 のためのドローイング》2022-2023年

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲田:実験を積み重ねて洗練させてきた表現から発想を転換する手段として、作品のサイズや手法を変化させることもありますか?

古橋:そうですね、この展示で試したことが今後1~2年の制作に関わってくると思います。

鷲田:大きな作品の場合は、遠くから全体を観ることでイリュージョンやイメージが見え、近づくと絵具の物質感が見えてくる。一方、F0号などの小作品は最初から近づいて観るので物質感に目がいく、という違いがあると思いますが、そういったことは展示構成でも意識されたのでしょうか?

古橋:今までの制作経験から、大きなサイズの絵の一部分を切り取るようにして小さなサイズの絵を描いてみると大抵うまくいかないんです。そういったサイズに対する意識の違いは今回の展示構成にもあると思います。

 

作品のタイトルについて

鷲田:作品のタイトルはどのように決めているのでしょう。例えば《Sleeping Seabirds》は?

古橋:最近は作品の中で具体的に描いていないものをタイトルに付けようと思っています。説明的にはしたくないけど「Untitled(無題)」にもしたくない。タイトルのつけ方も探っているところです。

《Sleeping Seabirds》2022年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色について

鷲田:全体的に明るくて淡い色を多用している印象を受けますが、それも意識的なのでしょうか?

古橋:色は組み合わせで考えることが多いです。以前はビビッドな色も取り入れていましたが、色に関する課題に取り組む中で、ジョセフ・アルバース(2)の著書『Interaction of Color』(3)に書かれている色の相互作用を意識するようになりました。確か《草色と午後、忘れること》を制作していた頃です。それから、色単体ではなく色同士の組み合わせに関心を持って中間色を多く用いるようになりました。

鷲田:19世紀末の印象派の作品に見られる筆触分割(4)によって絵画の色調が明るくなったという革新があり、その後、観る人の目と絵具という物質との関係で絵画も成立するという考え方に移行していきます。これまでのお話から、古橋さんの作品もその流れの中にあるのではないかと感じました。

 

 

 

 

 

 

 


<来場者からのご質問>

___会場に入った時、大中小さまざまな絵がいろいろな高さで掛かっていて、そのリズムに不思議な印象を受けました。そのリズムの中に強い色の作品《石拾い、冬、折れた髪》がありますが、この作品は何か意図があったのでしょうか?また、フェンスの網目によって自然に画面分割が生まれると思いますが、それも意識していますか?

古橋:この作品については確かに異質ですね。実は、今回の展示では奥の空間を暗くする計画があり、この作品の配置によって手前と奥の空間を繋ぐ意図がありました。残念ながらトラブルがあり暗色の空間をつくることはできなかったのですが…。
反対側に展示している《Looking up/down, Crevasse》も暗く強い色を使っています。これは、画家の熊谷守一の作品で長女が亡くなった時にお供えした卵を描いた絵(5)があるのですが、卵の乗っているお盆の部分が暗い色を塗り残すように描かれていて、なんだか虚空に繋がってるような感じがいいなと思ったんです。それが、調和を断絶するような強い色を取り入れてみようと思ったきっかけです。
画面分割は描きながら意識しています。

左《石拾い、冬、折れた髪》2020年/右《Looking up/down, Crevasse》2022年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___手前のフェンスの網目と後ろの背景の位置関係は描きながら決めているのでしょうか?

古橋:はい、同時に進めています。

___どのような風景を起点にして描いているのでしょうか?例えば実際にある自然の風景なのか、想像上の心象風景なのか、あるいはテレビや映像から刺激されて生まれてくる風景なのか。

古橋:自分の作品に対して明確に「風景画」という認識はないのですが、今の住まいの近くにある「筑波山」や田んぼの景色など、日常生活の中で目にしているものが反映されていることはあると思います。

 

***

古橋さんの作品を様々な視点で読み解きながらトークを進行してくださった鷲田さん。古橋さんも普段の制作から自然体の言葉が引き出され、貴重なお話をお聞きできたように思います。絵画や作品に対する見方・解釈も深まるトークになったのではないでしょうか。
鷲田さん、古橋さん、参加してくださった来場者のみなさま、ありがとうございました!


(1)画布に絵具を染み込ませながら描く技法
(2)Josef Albers(1888-1976)ドイツ出身のアーティスト。バウハウスのメンバーであり、アメリカへ移住後もブラック・マウンテン・カレッジやイェール大学などで美術教育に携わった。
(3)日本語版として現在以下の2冊が刊行されている。
・Josef Albers著、白石和也訳『色彩構成―配色による創造』ダヴィット社、1972年
・Josef Albers著、永原康史監訳・和田美樹/ブレインウッズ株式会社訳『配色の設計 色の知覚と相互作用 Interaction of Color』ビー・エヌ・エヌ新社、2016年
(4)絵具自体を混ぜ合わせるのではなく、画面上で隣り合う色を見た人が網膜上で重ね合わせることによってひとつの色に見えるようにする技法。
(5)熊谷守一《仏前》1948年 豊島区立 熊谷守一美術館蔵

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/vol101furuhashi/

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04. 3月 2023 · 【前編】アーティストシリーズVol.101古橋香「クロストーク 古橋香×鷲田めるろ」 はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

 

公募展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」の受賞者を個展形式で紹介する「アーティストシリーズ」。第101回目は「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」で準大賞を受賞した古橋香さんの展覧会です。今回のブログでは、展覧会初日の2/11に開催した古橋さんと鷲田めるろさん(十和田市現代美術館館長・当公募展審査員)によるクロストークの様子をご紹介します。


古橋 香(ふるはし かおり)
1982年東京都生まれ。2004年筑波大学芸術専門学群美術専攻卒業。2007年筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了。2022年「3331 ART FAIR 2022」3331 Arts Chiyoda(東京)、グループ展「絵画のゆくえ2022」SOMPO美術館(東京)、2020年「シェル美術賞展2020」国立新美術館(東京)[2018]、2019年個展「泥濘の島」Viento Arts Gallery(群馬)、「中之条ビエンナーレ2019」旧第三小学校(群馬)[2015]、「FACE展2019 損保ジャパン日本興亜美術賞展」損保ジャパン日本興亜美術館(東京)、2017年「BankART Life V‐観光 Under 35 2017」BankART Studio NYK(神奈川)など。

 

鷲田めるろ(わしだ めるろ)
十和田市現代美術館館長、清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ審査員。
京都府生まれ。1998年東京大学大学院美術史学専攻修士課程修了。金沢21世紀美術館キュレーターを経て2020年から現職。専門は現代美術。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館キュレーター(2017年)。あいちトリエンナーレ2019キュレーター。2020年に著作『キュレーターズノート二〇〇七ー二〇二〇』(美学出版)を刊行。


鷲田:鷲田です。よろしくお願いします。
古橋さんの作品を最初に拝見したのは、実は「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」よりも前で、2020年に「シェル美術賞」(1)という公募展で審査員を務めた時でした。その公募展で古橋さんが出品されていた作品が《A Hundred Mornings》でしたね。

左より《A Hundred Mornings》2019年/《10.Isolated Point》2021年/《草色と午後、忘れること》2021年

鷲田:「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」の作品《草色と午後、忘れること》にも共通していることで私が興味を持った点が2つあります。ひとつは絵画の中に複数のレイヤー(層)の重なりがあること。もうひとつは絵具の物質感。特に絵具が盛り上がっている部分とフラットな部分が画面の中で共存しているところに興味を持ちました。
また、今回の展覧会では、作品自体もひとつの物質と捉えて空間に配置している印象を受け、支持体自体の物質感に対する繊細な意識が感じられました。展示作品は2015年から7、8年間のものですが、一貫したテーマがあるように思います。
まず、この特徴的な網目のような図像はどういったものなのでしょうか

古橋:今日はクロストークの機会をいただきありがとうございます。
この網目は「現象を一番手前に描いてみる」という発想がもとになっています。フェンス越しに風景を眺めている時、目のピントを奥の風景に合わせると手前のフェンスはぼやけて見える。そうやって風景を眺めるのが子供の時から好きで。絵画の中でも、手前にぼんやりした現象を、奥に物質感のある絵具でくっきりとした風景を描けるだろうか、という問いが最初の素朴な動機でした。油絵では手前のものをはっきり描くのがスタンダードな方法としてありますが、それを逆転することができるのか挑戦してみようと思ったのも、きっかけになっています。

鷲田:西洋の遠近法で、手前をはっきりと、奥はぼやけて描く空気遠近法という手法がありますが、その方法を逆転させてみる挑戦とも言えそうですね。

 

レイヤー(層)の重なり

鷲田:近年コンピュータ上で絵を描くことが普及して、社会の中でも「レイヤー」という言葉がキーワードとして使われ出したように思います。コンピュータ上で図像を操作しながら描く行為の中には、透明なシートに描いた絵を重ねて順番を入れ替えていくような感覚があるように思うのですが、古橋さんの作品にも透明な層が重なっているような印象を受けました。その考え方が《dialogue with light》を観て理解できたように思います。

《dialogue with light》2014年

古橋:この作品は和紙を3枚重ねたものにアクリル絵具や水彩絵具で描いています。以前は窓の前に吊るすかたちで展示したこともありました。通常、和紙は絵具が滲まないように目止めという処理をするのですが、この和紙は目止めしていないものを使っているので下の和紙に絵具が滲んでいく。その風合いが面白くて、和紙を重ねる順番を入れ替えたり、窓の光に透かしてみたところ、色あいや細部が違って見えてきました。その見え方を流動的に変えながら糸で縫い合わせてみたり。そのような、入れ替えたり固定したりする制作が心地よくできたと感じる作品です。

テーブル上の作品《F0 のためのドローイング》2022-2023年/壁の作品《dialogue with light》2014年

鷲田:複数のレイヤーの入れ替えを3つの和紙の層によって物理的に行う。この考え方が他の作品でもベースとなっているように思います。
さらに、同様の作品でライトボックスを使って展示しているものもありますね。先ほどは壁に吊るして展示されていましたが、こちらでは後ろから光をあてて展示されている。この展示室は窓がないですが、この展示方法によって、窓の光を透過させた見せ方と透明なレイヤーの意識が繋がるような気がしました。このライトボックスはあえて光を均一にしなかったそうですが…?

古橋:これはボックスの中にイルミネーション(電飾)を入れていて、ムラのある光によって作品の中で見え方が変わる部分と変わらない部分をつくっています。色々な光について考えていたのですが、身近なものを使って日常に近い光があるといいのではないかと思い、今回の展示では取り入れてみました。

左《making green》2014年/右《making red》2014年

鷲田:以前、私が金沢21世紀美術館で勤めていた時に美術館の建物の設計にも携わったのですが、展示室に自然光を取り入れるため天井に半透明のガラスを採用しました。そこで重要だったのが、自然光を拡散して展示室を均質な光で満たすだけではなく、太陽の動きが展示室の中にいても感じられるような解放感や、屋外と屋内の繋がりでした。
その時の経験を重ねてみると、古橋さんがこの展示方法で試みたことは、ライトボックスの面をひとつのレイヤーとして、その奥に別の空間、別の光をつくろうとしたのかなと。そのことで作品の奥に新たなレイヤーが加わるような感じがしました。そして、この状況が垂直になり窓の光になった場合も、窓ガラスを通した向こう側の世界や光の移り変わりによって新たな空間のレイヤーが生まれるのではないでしょうか。

 

実像と虚像

鷲田:ライトボックス上の《making green》では、上下が反転した図像から最初はロールシャッハ・テスト(2)のようなものを思い浮かべましたが、古橋さんから「鏡のように描くことを意識した」とお聞きして、図像を反転させることで(絵画内の)空間を複雑にしているような印象を受けました。
一方《不在の召喚》では水面を感じさせるところがあり、水面の反射による実と虚に加え、水の奥が透けて見えているような二重写しになっている。それらの要素が画面の中に重層的な構成を生みだしているように思いました。

《不在の召喚》2015年

古橋:この作品では最初から水面に反射して映っているものを描きたかったわけではないのですが、(鏡のように描きながら)手の動きをリピート(反復)しているうちにズレが生まれる。そのズレによって、どちらが実か虚か分からない世界を絵画ならつくることができると気づきました。さらに、反射を描くと虚の部分は抵抗感がなくなって奥に行くような効果もあり、そのような選択肢がこの作品から広がったように思います。

鷲田:対して、先ほどの《A Hundred Mornings》では、実と虚の対応があまりはっきりしていないように見えます。しかしカーブしたラインの下は水面を思わせるところがあり、そこが面白いと感じたところでした。

手前の作品が《A Hundred Mornings》

古橋:このカーブの表現は一番苦労したところです。最初はラインがもっとはっきりして絵具の物質感も強かったのですが、最終的には筆跡が付かないように弱めていくことを考えながら描きました。また、おっしゃるように、ラインの上下で完全に反射していると言いきれない状態にしたくて、描いては消してを繰り返していました。

鷲田:フェンスの金網の部分ですが、これまで白色だったのがこの作品では黒い色が使われていることで、光ではなく影のように見えました。それによって、この影をつくっている光源と物体が自分の目よりも後ろにあるような感じがして、この絵を構成するレイヤーの中に自分の目が挟み込まれているような感覚を受けました。

古橋:この色は意識的に変えました。子どもの頃に見ていたフェンスの色も暗い色だった記憶があり、その記憶を追ってみようと思ったのですが、暗い色で描くことは技術的にとても難しかったです。白の絵具は基本的に不透明なので隣り合う色と重ねてぼかしたりする表現がしやすいのですが、黒い絵具ではそれがうまくいかない部分もあり…でも、こういった挑戦はもっとしていきたいです。

 

次回、後編に続きます。


(1)40歳以下の若手作家へ向けた平面作品の公募展。2022年より「Idemitsu Art Award」に名称変更。
(2)心理検査方法のひとつ。インクや絵具をのせた紙をふたつに折って広げた時にできる左右対称の図像を用いる。

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/vol101furuhashi/

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19. 1月 2023 · 「いい作品」ってなんだろう問題 はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

「いい作品」って何でしょうか?

美術館で働く人間でありながら(だからこそ?)、その問いに答えるのはとても難しい。

「アーティストシリーズVol.100瀨川寛展」の関連イベント、瀨川寛×高北幸矢(当館館長)クロストークで、作品を審査することについての話が出たので、少し取り上げたいと思います。

瀨川寛さんと高北館長

瀨川さんの作品《耕地/中標津町》は、公募展「清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ」で審査員賞〈高北幸矢〉を受賞しました。

応募総数554点のなかから選ばれた1点。

私は過去2回の審査会に立ち会い、審査員によって作品が選ばれていく過程を目の当たりにして、その都度「いい作品ってなんだろうなあ」と考えさせられました。

そもそも個人の表現に優劣をつけること自体ナンセンスであるという意見もありますが、客観的な視点を得られたり、制作のモチベーションにつながったりと、コンクールにもそれなりの役割と意義があります。今私たちが見ている過去の「名画」も、誰かがどこかで「いい作品だな」と評価したからこそ保存されてきたわけですからね。

しかしその「いい作品だな」と思う基準は、時代や、地域や、人によって当然違います。美術館で見られる作品は「いい作品」なんだろうけど、どこが「いい」んだろう?と思うことは誰しもあるのではないでしょうか。良さがわからないのに「いいもの」として押し付けられる感覚が美術館嫌いを引き起こすのもわかります(自戒を込めて)。

コンクールとなると、それこそわかりやすく「賞」なんかが付けられるので、その作品に絶対的な価値があるように思われがちです。が、作品を選ぶのも人間です。もちろん客観的な判断ができる人材が任を担いますが、価値を明確な数値などに表せない以上(作品評価額などはまたややこしくなるので置いといて)、主観的な好みや考えを排除することは不可能です。というか、それでは審査員の意味がない。アートのコンクールでは「この審査員に見てもらいたい!」という動機で応募する作家さんも多いため、本公募展ではとくに審査員の個性に重きを置いてきました。

上位の賞であっても、必ずしも全会一致で決まるわけではありません。意見が割れて議論が平行線になることもあります。前回の公募で「審査員賞」という個人賞を新たに設けたのも、多数決でない評価方法が必要ではないかという提案を審査員から受けたことがきっかけでした。確かに、10人がなんとなくいいな、と思う作品と、たった1人が涙を流すほど感動した作品を比較して、多数決の原理を採用するのは・・・どうでしょうか。

また、トークで高北館長から述べられたのは「応募されたたくさんの作品のなかで求められるのは他と違う個性」ということです。当然といえば当然ですが、やはり美術の表現にも流行や類似はあります。ましてや数百点の作品を一度にすべて目視するなかでは「他の作品とは違う良さがある」ことが評価ポイントのひとつとなります。技術的に優れていたり、見た目にインパクトがあったりすることはとても素晴らしいですが、そういった要素を備えている作品はたくさんあるので、コンクールにおいてはどうしても本質的な評価ポイントにはなりにくいんですね。

言い換えれば、コンクールでの評価は相対的なものだということです。審査員によって見方は違うし、作品のラインナップ、置かれた環境によって結果が変わることは大いにあり得ます。ここでの「いい作品」とは、あくまで特定の条件下においてということであり、だからこそ具体的な価値をもつのだと思います。


 

さて、グーグルアースなどの衛星画像をもとに俯瞰した大地を描く瀨川さん。写真(デジタル画像)を用いた絵画は現代では珍しくありませんが、多くはモデル・モチーフの記録のためであったり、現実の代替として位置付けられます。一方で衛星画像は、現実の人間には物理的に困難な視界(地球を真上から見下ろし、静止したり自由に拡大/縮小したりする)でありながら手のひらで操作できる日常的なイメージでもあります。現実の風景よりもSNSなどで見る写真画像のほうがむしろリアリティを感じる現代の私たちにとって、見慣れたイメージとしての衛星画像を描いた瀨川さんの作品は現代ならではの風景画と言えるのではないか。そういった写真と絵画の関係性を想起させるオリジナリティが評価されました。

瀨川さんの表現意図は評価ポイントとはまた別のところにあるのですが、第三者が作品を見て思考を広げたり、多様な解釈をすることができるというのも、現代アートにおいては重要な要素かもしれません。

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http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/vol100segawa/

 

15. 11月 2022 · 清須アートサポーター アートスポットめぐり「トヨタ産業技術記念館」 はコメントを受け付けていません · Categories: 教育普及

 

 

 

 

 

 

 

清須アートサポーターのみなさんと行くアートスポットめぐり。
今回はトヨタ産業技術記念館(名古屋市西区)へ行ってきました!

ここはかつて豊田紡織株式会社本社工場のあった場所なのだそうです。
エントランスでは記念館のシンボルであり、トヨタグループの創始者 豊田佐吉が発明した「環状織機」(1906年開発)が迎えてくれます。

環状織機

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に訪れたのは常設展の「繊維機械館」。

とても広い建物の中に、糸を紡ぐ機械、布を織る機械がたくさん展示されています。
この建物は大正時代に建てられた紡績工場をそのまま使用しているとのこと!

 

 

 

 

 

 

 

会場のスタッフさんが一つひとつの道具や機械を丁寧に説明してくださいました。
スタッフさんの実演に思わず見入るサポーター一同。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は人の手で行われていた作業がどんどん自動化し、高度な技術が可能な機械へと進化していく様子をたどることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「繊維機械館」のお隣では、金属加工の実演で鋳造や鍛造作業の様子を見学しました。

 

 

 

 

 

 

 

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その後、一旦特別展示室へ移動してトヨタコレクション企画展「うつす展」を鑑賞。

映、写、移、模、遷、、、さまざまな「うつす」をテーマに、江戸時代中期から明治時代初期のカメラや時計、古写真、版画など、科学技術に関する資料が展示されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ここで時間となってしまい、サポーター活動は一旦解散して自由行動に。
再び常設展へ戻って「自動車館」にも行ってみました。

こちらでは、豊田佐吉の長男、豊田喜一郎が創業・発展を遂げた自動車事業の変遷について、豊田喜一郎の人物像とともに紹介されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の写真や設計図、部品、模型、広報物などの展示から国産自動車開発の歩みをたどります。

そして最後の広いホールには自動車をつくるための機械がたくさん!
様々な年代の自動車も並んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

機械の実演を通して自動車がつくられていく行程を知ることができます。
大きな機械が動く様子から、実際の工場を見学しているような感覚になりました。

 

 

 

 

 

 

 

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清須市から近く行きやすい場所にありながら今回初めて訪れたトヨタ産業技術記念館。
想像以上に広い館内と充実した展示に圧倒されっぱなしでした。

今回もサポーターのみなさんとともに盛り上がったアートスポットめぐりとなりました。
みんなで出かけるのはやっぱり楽しいですね♪

 

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前回のアートスポットめぐりはこちら↓

清須アートサポーター アートスポットめぐり「北名古屋市アートエリアロード」

 

 

25. 10月 2022 · 表現することの不思議――阿野義久展から はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

現在開催中の企画展「清須ゆかりの作家 阿野義久展 生命形態 ―日常・存在・記憶―」では、関連イベントとしてワークショップ「心のなかの形とわたしの風景」をおこないました。

心に思い浮かんだ形を粘土でつくり、それを見ながら絵具でスケッチするというシンプルな工程で、どなたでも気軽に取り組める内容です。

愛知県立芸術大学の先生である阿野さんが大学の授業でおこなっている手法のひとつでもあります。

絵画の授業なのに、なぜ粘土造形をするんでしょう?

そこには絵画制作につきまとう「何を描くか」という問題が関わっているようです。

 

阿野さんのこれまでの制作を振り返ると、5~6年くらいのスパンで描くモチーフや描き方が変化しています。

《Towers of Plant FEB’06》2006年

《TANKS》2010年

《two huts》2015年

《蒼風》2020年

阿野さんの場合、非日常性を感じる特定のモチーフに出会うとしばらくそれをテーマに描き、その非日常性が薄れてくる=日常になじんでくると再びモチーフが変化していくようです。

そこで思考されるのが、次は何を描くのか、なぜ今これを描くのか、という問題です。

描きたいものを描けばよい、と言ってしまえばそれまでなのですが、頭や心の中にもやもやとある何かを表現するって、意外と難しいことです(日常生活でもしかり)。

絵を描くことのできない私は、白紙を渡されて「自由に絵を描いてください」と言われても何を描けばよいのか途方に暮れてしまいます。しかし阿野さんのワークショップに実際に参加してみたとき、粘土を渡されて「自由に何か作ってみてください」と言われると不思議なことに手は動くんですね(久しぶりの粘土の感触が気持ちよかったというのもあります)。

そのまま「〇〇を作ろう」という意識もないまま適当に粘土をこねていると、何か気になる形ができてくる。知っている形に見えてきたりもするけれど、とにかく名前のない「何か」がそこに生まれてくるわけです。

これらをもとに絵具で絵を描いてみると、白い粘土からは想像できなかった色彩やそれぞれの形の関係性が紙の上に構成されていきます。

参加者の様子を見ていると、粘土をモデルに描いているというよりも、粘土あそびの延長で筆が動いているような印象でした。阿野さん自身も「粘土を見ながらでもいいし、見なくてもいい」とおっしゃっていて、絵画のモチーフとして粘土があるわけではなく、粘土を使って表現したときの感覚そのものが絵画に活かされるのかなと感じました。

(ちなみに絵具ではなく鉛筆でデッサンしようとすると、私は途端にその行為がつまらなくなってしまいました。「上手に描きたい」という欲が出てしまったからかもしれません。)

また粘土完成後と絵画完成後にそれぞれ、自身が表現したことについて発表する時間が設けられ、作品について「言葉で表現して、他の人に伝える」ことも重要なプロセスとして組み込まれていました。

 

一般的に美術作品は、まず明確な作家の意図があって、それに従って計画的に作られているというイメージがあるかもしれません。

もちろんそのようなケースもありますが、表現とも呼べないような行為を重ねるうちに思いもよらなかったものができあがったり、さまざまな表現方法を経るなかで自分の内側にあるものが無意識ににじみ出てきたりすることもあるようです。

阿野さんは今では絵画を専門としていますが、30代の頃は立体作品を作っていました。廃材や流木、コーキング材などを組み合わせた作品はとくに具体的なモチーフが念頭にあったわけではありませんが、改めて見ると学生時からの人体デッサンの描写などと呼応するところがあると言います。平面と立体、紙とキャンバスなど異なる媒体を往還することで表現が深まっていくこともあります。

《作品Ⅰ》《作品Ⅱ》《作品Ⅲ》1985年

《作品B》《作品A》1988年

《人のカタチ》1984年

《人のカタチ》1984年

また展覧会のタイトル「生命形態」は、個展開催にあたりこれまでの制作を客観的に振り返ってみたときに浮かび上がってきたテーマということで名付けられたものです。画風が変化しても貫かれる軸のようなものが改めて見出されたと言えるでしょう。

 

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2022年9月10日(土)~11月13日(日)
開館時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日が休館)
観覧料:一般 500円(450円) 中学生以下無料
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