26. 5月 2026 · May 26, 2026* Art Book for Stay Home / no.186 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』原田マハ(集英社新書、2017年)

目当ての作家の本を探しに愛知県芸術文化センターライブラリーに、頻繁に出かける。また栄で時間が余ったらやはりライブラリーで過ごす。

この日は、なんとなく読む本が見つからないかとぶらぶらライブラリー。目に飛び込んで来たのは、「いまいちの絵」。何だそれはと凄く心を掴まれて、見つめ直せば「いちまいの絵」。一枚だったら漢字だろう、と突っ込みつつ手に取った。

原田マハか、まあ間違いのない著者。少し読んでみる。知っている作家の知らないことが書かれている、と早速借りて来た。

数ある評論とは全く異なるアプローチ、そこには著者と、一枚の絵との出会いのドラマが書かれている。読者は、著者の気分に便乗して絵と出会う、そのような導入である。したがって絵の批評というよりは、感想であり、著者の主観である。しかし、どのような名批評であろうと、批評は常に主観である。論を巧みに展開し、資料を並べても所詮主観を否定することはできない。その絵の作者ではないのだから。

その上で本著は、旅行記であり、エッセイであり、心地良い共感をくれる絵画の批評でもある。

例えばポール・セザンヌの《セザンヌ夫人》について、「彼女が身につけている服――長い丈のワンピースだろうか――は、一見ごわごわした硬い感じがある。おそらく麻か木綿、決して豪華なものではなく、粗末といってもいい普段着だ。けれど彼女の体にとてもよくなじみ、そしてよく似合っている。」なんという素敵な批評だろう。絵に描かれたセザンヌ夫人を絵ではなく目の前に存在しているかに語る。それは、描いたセザンヌの眼であるし、セザンヌの距離である。私もそんなふうに肖像画を観てみたいと強く感じた。

その項目の最後には、「《セザンヌ夫人》の心の声をようやく聞いた。ポーズをとるのはイヤ。だけどポール・セザンヌにみつめてもらえないのはもっといやなの――と。」

12. 5月 2026 · May 11 , 2026* Art Book for Stay Home / no.185 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本美の再発見(増補改訳版)』ブルーノ・タウト、篠田英雄訳(岩波新書、1962年(初版1939年))

「日本美の再発見」はブルーノ・タウトが再発見したということであるが、「日本人よ、お前たちもこんな素晴らしい日本美をきちんと認識しろよ」と言っているような本著である。

タウトは、ドイツの建築家であり、1933年にナチスを逃れて日本に3年半滞在、その間精力的に日本の各所を巡り、桂離宮、伊勢神宮、飛騨白川の合掌造り、秋田の民家の素晴らしさ、魅力を絶賛した。とくに桂離宮において「これぞ日本の誇るべき美、精神」とした。一方で、日光廟(日光東照宮と東照宮と大猷院)を日本の恥ずべき建築として徹底的にけなしている。私利私欲のない外国人の著作であるがゆえに、この賛否は強い説得力をもって読者に訴える。

日本美術史における「侘び寂び」の価値観は、タウトによって決定的なものになったのではないか。1926年に東京帝室博物館(東京国立博物館)で、伊藤若冲の『動植綵絵』30点が展示され、若冲への関心が高まりつつあった。しかし、その「反・侘び寂び」的作品への関心は削がれることとなったのではないか。

美術史は、美術があってこそ存在するが、美術もまた美術史によって存在を確認される。「日本美の再発見」は、桂離宮などそれまでの美術史を塗り変える名著であるが、諸刃の剣でもあることを読者は心得なければならない。