『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』原田マハ(集英社新書、2017年)
目当ての作家の本を探しに愛知県芸術文化センターライブラリーに、頻繁に出かける。また栄で時間が余ったらやはりライブラリーで過ごす。
この日は、なんとなく読む本が見つからないかとぶらぶらライブラリー。目に飛び込んで来たのは、「いまいちの絵」。何だそれはと凄く心を掴まれて、見つめ直せば「いちまいの絵」。一枚だったら漢字だろう、と突っ込みつつ手に取った。
原田マハか、まあ間違いのない著者。少し読んでみる。知っている作家の知らないことが書かれている、と早速借りて来た。
数ある評論とは全く異なるアプローチ、そこには著者と、一枚の絵との出会いのドラマが書かれている。読者は、著者の気分に便乗して絵と出会う、そのような導入である。したがって絵の批評というよりは、感想であり、著者の主観である。しかし、どのような名批評であろうと、批評は常に主観である。論を巧みに展開し、資料を並べても所詮主観を否定することはできない。その絵の作者ではないのだから。
その上で本著は、旅行記であり、エッセイであり、心地良い共感をくれる絵画の批評でもある。
例えばポール・セザンヌの《セザンヌ夫人》について、「彼女が身につけている服――長い丈のワンピースだろうか――は、一見ごわごわした硬い感じがある。おそらく麻か木綿、決して豪華なものではなく、粗末といってもいい普段着だ。けれど彼女の体にとてもよくなじみ、そしてよく似合っている。」なんという素敵な批評だろう。絵に描かれたセザンヌ夫人を絵ではなく目の前に存在しているかに語る。それは、描いたセザンヌの眼であるし、セザンヌの距離である。私もそんなふうに肖像画を観てみたいと強く感じた。
その項目の最後には、「《セザンヌ夫人》の心の声をようやく聞いた。ポーズをとるのはイヤ。だけどポール・セザンヌにみつめてもらえないのはもっといやなの――と。」


