『聖書のなかの女性たち』遠藤周作(講談社文庫、1972年)
遠藤周作の著書を初めて読んだ。著名な小説家の本はたいてい先ず一冊という考えで読んでいる。遠藤周作を読んでなかったのは例のテレビコマーシャル「狐狸庵先生、違いのわかる男のコーヒー」で最初に知ってしまったことで、何だか薄っぺらい作家という印象を持ってしまったせいであろうと思う。当時私は学生で当然ネスカフェのお世話になっていたのだが、違いのわかる作家が私のような貧乏学生と同じインスタントコーヒーを飲んでいるとはとても思えなかった。
さて『聖書のなかの女性たち』、マリアをはじめとして、ヴェロニカ、マグダラのマリア、サロメ、マルタら11人が登場する。そしてその多くがキリスト教絵画にも描かれている。
美術を鑑賞するために説明は不要という考えがある。美術館には多くの場合展覧会の主旨、説明、作家紹介がある。それは先入観を与えるもので、不要であるという考えと、そうではなく説明が無いとわからないという考えがある。私の考えは、鑑賞者の体験、知識、さらに美術鑑賞に何を求めるかによって取捨選択するものであるとしている。例えば北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」を鑑賞する場合、多くの日本人であれば、富士がどういう山で、日本人にとってどういう存在か、また江戸時代に対する知識、浮世絵の知識がある。しかし外国人が鑑賞する場合、構図や造形的おもしろさは理解できても日本人の鑑賞のような深さは難しい。同様に多くの私たち日本人はキリスト教絵画の鑑賞が難しい。十字架に貼り付けにされているのは誰なのか、なぜ貼り付けにされているのか、なぜそれがキリスト教にとってのイコンになるのか。キリスト教絵画に登場する女性は、マリア様以外にも多くの女性が描かれる。それは誰でどういうシーンなのか、『聖書のなかの女性たち』はそれを教えてくれる。
遠藤周作は小説家で、12歳でカトリックの洗礼を受けている。キリスト教絵画を鑑賞するために、信者でもない私たちが聖書を読むことは本来ではないだろう。『聖書のなかの女性たち』は、学者が書いた解説本ではない。小説家遠藤周作が書いた物語である。「違いのわかる男のコーヒー」のコマーシャルに出ていなかったら、もっと早く遠藤文学に出会えたに違いない。