17. 3月 2026 · March 17, 2026* Art Book for Stay Home / no.182 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『沈思彷徨』藤原新也(筑摩書房、1996年)

著者藤原新也の肩書は、作家、随筆家、写真家である。その通りであるが、一般的には写真家としてのイメージが強いのではないか。なぜなら2008年に出版した『メメント・モリ』が20万部を超える大ヒットなった。『メメント・モリ』は写真集に言葉が添えられたもので、言葉にも力強いものがあるが、やはり写真の魅力に負うところが大きい。また著者が東京藝術大学油絵科を中退という最終学歴が写真家としてのイメージを強くするのかも知れないが、本著434ページには1点の写真も掲載されてはいない。1969年から1996年にいたる27年間の「語り」を一冊にまとめたものである。「語り」とは、インタビュー、対談、講演である。著者が東京藝術大学を中退しインドを主にアジア各地を放浪、その後アメリカ、アフリカなどを放浪、27年の殆どを海外での放浪で暮らしたことが本著の核となっている。日本を離れて日本がよく分かるという一般的な感覚、それは私にも多くあったが、著者の思考とは根本的に異なる。例えばインドには10数年放浪している。そこは外国ではなく、住む国、生きる国、死んでいく国としてある。町には死体がどうということなしに転がっている。野良犬がそれを喰っている、やがて腐敗し、土になっていく、そのような側で野宿し、飯を喰う。日本とはなにかではなく、生きるとはなにか。日本は、先進の都市はヤバいのではないか。美しく死を弔い、遠ざける。死を想い、死を目の当たりにすることを遠ざけて果たして生きているのだろうか。

日本に戻った著者は、そんな日本人の希薄な生き方を書き綴っている。読めば魂にグサグサと突き刺さって、背筋が伸びる。人類はそう長くなく滅びるであろうことを素直に受け止める。ではどうすればよいのか、著者は「言葉の力」を、ひたすら信じて、執筆をつづけている。

25. 2月 2026 · February 25, 2026* Art Book for Stay Home / no.181 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『華やぐ男たちのために―性とモードの世紀末』山田登世子(ポーラ文化研究所、1990年)

美術史の視点を踏まえ、ファッション(モード)のことを語らせればこの人の右に出る者はいない、と私は思っている。その大きな根拠は、根っからのファッション好きである。本著は学術書としてあるが、ファッションは、装いであり、おしゃれであり、自己アピールであり、遊びである。著者のファッション好きは、躍動する歓びがその文章に表れている。
著名は、2つのテーマが交錯しており、「華やぐ男たちのために」では具体的な事象を取り上げて、20世紀末のファッションシーンを鋭く評論。別な味方をすれば、失礼ながらはしゃいでいるとも見て取れる。当然のことながらファッション用語が飛び交い、英語、フランス語、イタリア語があふれる。そのような中で日本語の「ナウさ」が頻繁に登場し、20世紀末のファッションを象徴している。
一方で「性とモードの世紀末」では、視野を大きく客観的に持ち、モード論を展開している。ファッションが女性のために生み出され、語られ、遊ばれ、消費されていくことは多くの認識であるが、著名に刻まれた「男たち」は敢えて著者が論じたかった大きなテーマであっただろうと思われる。ジェンダーの問題は、ファッションこそ越えなければならない問題であるが、21世紀にも四半世紀が過ぎていまだその問題を積み残したままである。ただし踏み越えることができたのは女性であって、踏み越えることに臆病だったのは男性の方であると、1990年の段階で指摘している。
移ろいやすい衣装、であるがゆえのファッションは、アカデミズムの中で極めて論じにくく、美の記録者である美術館も恐る恐るのままである。存命中の三宅一生や川久保玲の場合はともかく、過去のファッションを考察した展覧会などは、あまりに共感は乏しく、寂しい。本著出版から35年が過ぎて再読して、著者の力量に圧倒された。

06. 2月 2026 · February 6, 2026* Art Book for Stay Home / no.180 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『海峡の霧』辻邦生(新潮社、2001年)

辻邦生のエッセイ集。辻は小説家であり、フランス文学者である。本著は主に文学について書かれたものではあるが、その文学は必ず芸術(美術)と置き換えて読むことができる。それは著者の計り知れない教養の力量であるが、それを見せつけるものではない。マチス、プッサン、コクトーらがあたりまえのように登場する。

著者が同時代の他の小説家と極めて異なる持論がある。引用する。「私が文学に関心を持ちはじめた頃、文壇には三つの原則のようなものがあった。一つは〈病気〉すること、二つは〈貧乏〉で苦しむこと、三つは〈女〉で苦労すること、である。これは芸術家が俗世間と対立し、批判的な機能を果たしたロマン主義の名残りの生き方であったことは明らかだが、当時は、まだ神聖な三原則として尊敬され、その一つをも反せば、芸術に無縁の人間と軽蔑されたものであった。私ははじめから三つとも大嫌いであった。」痛快である。文中の三つは今で言えばクサい。そこが辻文学の洗練を作り上げているのであろうと思う。ちなみに辻は決して経済的に恵まれた状況にあったわけではなく、佐保子夫人ともども貧しい日々を長く共にしている。

また文学を志した頃、戦中であったが、「ピアニストは、戦中であろうがなかろうが、一日5-6時間もピアノを弾く、弾かなければ音楽家であり続けることはありえない。そういう当たり前を、当然文学者もなければならない。」と毎日数時間もの文章書きを自らに課し続けた。「当時、私が書いていたのは、一種の日記で、決めたノートに、その日のうちの出来事、考えたこと、読後感、映画の印象など何でも書いてゆく。」

芸術もまた当たり前のことである。芸術に必要と十分条件というものがあるとするならば、それらは必要条件であり、著者はそこを獲得することをあたりまえとしたのである。

辻文学に浸っていると快いリズムがあって、躍動がある。元気が出てくる、幸せな時を過ごすことができる。

文学とは何か、美とは何か、芸術とは何か、生きるとは何かを問うエッセイである。

20. 1月 2026 · January 20, 2026* Art Book for Stay Home / no.179 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『鳥たちの横切る空 辻邦生短篇選集 Ombre』辻邦生著、堀江敏幸編(中央公論新社、2025年)

美術館で開催中の『辻邦生と佐保子』展に因んで、辻邦生著の紹介、3冊目。本著は『辻邦生全集』(新潮社、2004〜2006年)を底本、『辻邦生全短篇』(中央公論新社、1986年)他を適宜参照として、編集されている。当然のことながら編者堀江敏幸は、その膨大な著書(小説、論文、随筆など著作のみで300冊を超え、その他に訳書、共著など)を全貌し、200冊を超える短編より、珠玉の6作を選んだであろうことが、読み終えると実感する。

私のように、辻邦生の著作を僅かしか読んでない者にとって、本著は辻邦生の小説世界を知る上で、誠に好ましいものであった。

その一作『洪水の終り』。中部フランスのある大学で行われる西洋中世関係の夏期講座に参加するために集まった主人公日本人の私、ポーランド、イタリア、ドイツほかの国籍も年齢も異なる聴講生たちが繰り広げるひと夏の出来事。ポーランド人の少女テレーズが、第二次世界大戦中にドイツ人から受けた残虐な仕打ちによって深く刻まれた苦悩が、やがて悲劇を起こす。

他の5作もこのように舞台は、ヨーロッパ、アフリカ、アジアといった大きなスケールであり、時代も近現代という中で、リアリティのあるバックボーンで私的なストーリーが展開される。私的ではあるが故に読者は惹き込まれ、設定は戦争、革命、飢餓、不毛を捉えるに充分な構成がなされている。

短編においても揺るぎない「幸福とは何か」。それはつまり、辻自身の生き方であったのだろうと思われる。

06. 1月 2026 · January 6, 2026* Art Book for Stay Home / no.178 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『小説を書くということ』辻邦生(中央公論新社、2025年)

美術館で開催中の「辻邦生と佐保子」展に因んで、辻邦生著の紹介、2冊目。本著は、著名通りに作家志望者に向けた講座「言葉の箱」、主に創作講義であるが、小説を書くことを全く考えていない私が読んでも大変おもしろい。むしろ小説を書く人に向けてという方法論を述べながら、実は小説を読む人のために辻邦生という作家の立場から書いたものではないかと思う。

文中の引用であるが、小説という芸術は「自分が不幸な生まれであるとか、病弱であるとか、お金がないといったことをほとんど乗り越えられる。なぜかといえば、そういうものが気にならなくなる。プルーストの言葉ですが、『あした死ななきゃならないのに、ヴェネツィアにどうしても発ちたいという思いで胸が張り裂けるほどだ』、という気持ちですね。あした死ぬならヴェネツィアなんか見たってしょうがないじゃないかということではないんですね。美のほうが、はるかに与えられた生きている条件を超えて、本質的なものになってしまう。そういう意味を発見していく。そういう歩みが文学をする、小説を書くということの根底にある。」

もちろん本著には、かなり具体的に小説を書くための「考え方」「発想方法」「技術」も論じられている。しかしそういった手段はどうでもよくって、もっととてつもない大きなテーマ「幸福とは何か」を重要なものとして語っている。大げさ過ぎて読者はたじろいでしまうかも知れないが、著者は全く動じることはない。辻文学の魅力はこうした圧倒的な正論が力強く貫かれているところにあるのではないか。no.177で紹介した長編『西行花伝』しかりであるが、短編においても揺るぎない「幸福とは何か」が描かれている。それはつまり、辻自身の生き方であったのだろうと思われる。

14. 12月 2025 · December 13, 2025* Art Book for Stay Home / no.177 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『西行花伝』辻邦生(新潮社、1995年)

美術館では、『辻邦生と辻佐保子』展が始まった。この機会に辻邦生の著作を何点か紹介したいと思う。まずは何と言っても『西行花伝』、私が辻邦生に大いにリスペクトを抱くことになった作品である。小説であるが作品と呼びたくなる著作である。

おおよそ文学に限らず、多様な文化のいたるところで西行は登場してくる。西行とはいったい何者なのか。人名辞典やウィキペディアで説明されているようなことではない。自分の言葉で、西行とはこういう人物であると語れることで、私の中に一人の人間として存在することである。

そんなおり、新聞の書籍紹介で『西行花伝』が紹介されているのを見つけた。著者辻邦生のことはよく知らなかったが、紹介文を読んでこれだと即注文した。

A5版525ページ、ハードケース付きが送られてきた。それは本ではなく、書籍と呼ばれるものだった。心して読み始めた、俳句は嗜むが和歌も決して私の得意な領域ではない。内容はやさしくないが、文章は読みやすく、辻邦生の高い文章力がどんどんページを進めてくれるようだった。次第次第に西行が私の中に立ち上がってくる。

読み終えたとき、西行とはこういう人物であったと確信を持って私の中に存在した。読後の興奮のせいか、西行のように行きたい、死にたいと思った。

西行の歌「願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」、著作を読むうち西行に自分が同化し、この歌が自分の声を通して出るようだった。

文学を読む力というものがあって、それを体得していくことが極めて重要だと思うが、辻邦生には文学を読ませる力があるということを知った。

24. 11月 2025 · November 24, 2025* Art Book for Stay Home/no.176 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『北斎漫画、動きの驚異』藤ひさし・田中聡、監修小林忠(河出書房新社、2017年)

図書館の美術コーナー、浮世絵の棚は大きく取られている。中でも北斎に関するものは極めて多い。北斎といえば富嶽三十六景がなんといっても秀作揃いで、画集も集中している。90歳まで生き、なお死ぬまで絵を描き続けた北斎が、生涯で残した作品は3万点以上と言われている。未確認のもの、海外に流出したもの、特に1点ものの肉筆画は今後さらに発見されるかもわからない。生涯旅好き、引っ越し好き、家具をはじめ財産を持たなかった北斎に関する記録は相当曖昧である。

そんな北斎が、生存中、生存後も最も国内外に影響を与えたのは、富嶽三十六景ではなく、北斎漫画である。かの有名な印象派の画家(マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン)たちに影響を与えた富嶽三十六景を外すことはできないが、北斎漫画はそれを凌ぐものである。印象派ではないが、あのパウル・クレーは北斎漫画から直接図柄を引用している。

そもそも、ヨーロッパに渡った最初の浮世絵は北斎漫画であるということが、定説である。「1956年、フランスの版画家ブラックモンはパリで、日本製の陶器の包装用パッキングとして使用されていた『北斎漫画』を偶然発見し、そのデッサンに驚愕、これを友人のマネやドガたちに見せて回ったと言われます」と紹介されている。

本文では、北斎漫画の魅力を「歩く」「吹く」「鍛える」「流れる」「泳ぐ」「喫む」「踊る」「弾く」「働く」「疾る」「食う」「磨く」「眩ます」「化す」「描く」「遊ぶ」「翔ぶ」という動きに注目して考察している。北斎漫画は、絵を描くための教科書で印象派の画家たちからは「Hokusai dessin(北斎デッサン)」として絶賛された。狩野派をはじめとする絵師たちは、弟子に対しての手本は指南書として門外不出であったが、二千人三千人の弟子がいたと言われる北斎には、どんどん手引書を出版していったという次第。それが売れに売れた。といった北斎漫画に関するあれこれの知識が満載されている。

09. 11月 2025 · November 9, 2025* Art Book for Stay Home / no.175 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ユトリロの生涯』J.P.クレスペル、佐藤昌訳(美術公論社、1979年)

近代美術史において欠かすことのできないモーリス・ユトリロ、日本においても人気の高い画家である。しかし画集やハンディな紹介本はあるものの、日本の評論家・美術史家による著作は残念ながらない。本著はフランスで出版された多くのユトリロに関する著作の中の数少ない日本語訳である。ユトリロに関する全人生をくまなく網羅したまさに「生涯」である。

ユトリロがどのような画家であったかを一言で語るなら「酔っぱらい画家」である。もちろんパリ人にとって酒といえばワインとブランデー、そして安酒アブサント。ユトリロは育児放棄の若い母シュザンヌ・ヴァラドンに代わって祖母マドレーヌに育てられたが、マドレーヌはユトリロの機嫌を取るために8歳よりワインを与えた。以来ユトリロはひたすらワインを呑むアルコール中毒となり、それは精神異常とみなされることも度々あり精神病院の入退院を繰り返した。また泥酔して警察のお世話になることも度々あった。一晩で3リットルも4リットルも飲み干したことが常習化していた。

救いは、絵を描くことであり、酔っ払って絵を描くのではなく、絵を描きその絵でワインを呑むために描くのである。それはユトリロの絵が高額になっても続けられ、高額な絵も一本の安ワインにしかならないことも普通であった。絵を売るというマネージメントの才能は全くなく、販売は主に母ヴァラドンとその夫ユッテルに委ねられた。そして利益は二人の遊興費に当てられた。

因みに、ヴァラドンは私生児であり、その子ユトリロも私生児であった。義理の父ユッテルは、元々ユトリロの画家友だちで2歳年下であった。ヴァラドンの誘惑によって二人は結婚し、ユッテルはユトリロにとって友人から年下の義父となったのである。

様々な混乱と苦悩の中でユトリロは70歳までの人生を画家として全うし、美術史に名を刻んだ。本著は伝記に近いものであるが、ユトリロを知り、その絵を理解する優れた一冊である。

21. 10月 2025 · October 20, 2025* Art Book for Stay Home / no.174 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『NHK 『迷宮美術館』 巨匠の言葉』NHK「迷宮美術館」制作チーム(三笠書房、2009年)

本を買うときも、借りるときも著名にピンときたら、先ずは書棚から取り出して立ち読みする。美術の本は図版の扱い、モノクロは致し方ないにしても画像が小さいとちょっと読む気が失せる。本文文字の小さいのも苦手、横書きは基本拒否するが、それでも読みたいかどうかである。
本著の「巨匠の言葉」はベタすぎて、著名に惹かれた訳ではない。それでもどんな言葉が取り上げられているのか、気になって手に取ってみた。モディリアーニ「天国までついてきてくれないか。そうすれば、あの世でも最高のモデルをもつことができる」。貧困と結核という病を背負って、認められないままの画家生活、最愛の恋人ジャンヌ・エビュテルヌをモデルに何枚もの絵を描いた。私たちが多く知るあのモディリアーニの絵である。モディリアーニの生活は荒れてさらに酒に溺れる日々が増える。ついに病に倒れた。放心状態で傍らに坐るジャンヌに、「天国まで・・・」そしてわずか35歳の人生を閉じた。モディリアーニの死の2日後、ジャンヌはアパートの6階から身を投げ、モディリアーニの後を追った。
「巨匠の言葉」にもいろいろある。成功、達成、歓びの言葉、苦悩、悲哀、不条理への言葉。それがどのように記録され残されたのか、巨匠の生き様から紡ぎ出されるように後日作られたのか。私たちは残された絵画を観るとき、その言葉が心に深く響くものであってほしい。決して言葉だけが感動を生んでくれるものではない。

01. 10月 2025 · October 1, 2025* Art Book for Stay Home / no.173 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日々の絶筆 井上有一全文集』井上有一 編者海上雅臣(芸術新聞社、1989年)

書家井上有一の作品をよく知っていた。大いに気になる書であり、私なりに理解をしていた。こういう書が生まれるのは、天才の為せる技ではないか。篠田桃紅をはじめアートの世界で書家が評価を受けるのは、書本来のあり方を蔑んで、どこかアートに媚びたところがあるが、井上有一の書は、全くそういうものとは異なった堂々と正面切って強い書の力を見せつけてくる。

井上有一を大きく評価した人たちに1970年代のグラフィックデザイン界がある。当時私は20代で、グラフィックデザイナーとして貪欲で熱い若者だった。それまで学んだグラフィックデザインの方法、例えばレタリングなどとは全く真反対の造形が、ドーンと登場した。根気よくちまちまとした礼儀正しいレタリングを教科書にしている者にとって、思いっきり殴打される思いだった。書というものもやはり礼儀正しく美しいものと考えていた。

本著は、装丁浅葉克己、帯コピー糸井重里、肖像操上和美、グラフィックデザイン界のトップが手掛けている。編者海上雅臣は、美術評論家であるがいわゆる美術史や美術市場に偏った体制視点とは大きく異にしている骨太い評論家である。本文を読めば井上有一の剥き出しな人間が露出されるのは、編者海上の力に負うところが大きいと思われる。

私の「天才の為せる技」的視点は間違っており、そこには這いつくばって、貧しく、ただただ負けず嫌いの井上有一がいた。そして天才が持ち得ないけんめいな努力と優れた判断力を持ち合わせていた。そして、華々しい書家としての活躍とは別に、家族を守り校長まで勤め上げる小中学校の超熱血先生がいた。