『沈思彷徨』藤原新也(筑摩書房、1996年)
著者藤原新也の肩書は、作家、随筆家、写真家である。その通りであるが、一般的には写真家としてのイメージが強いのではないか。なぜなら2008年に出版した『メメント・モリ』が20万部を超える大ヒットなった。『メメント・モリ』は写真集に言葉が添えられたもので、言葉にも力強いものがあるが、やはり写真の魅力に負うところが大きい。また著者が東京藝術大学油絵科を中退という最終学歴が写真家としてのイメージを強くするのかも知れないが、本著434ページには1点の写真も掲載されてはいない。1969年から1996年にいたる27年間の「語り」を一冊にまとめたものである。「語り」とは、インタビュー、対談、講演である。著者が東京藝術大学を中退しインドを主にアジア各地を放浪、その後アメリカ、アフリカなどを放浪、27年の殆どを海外での放浪で暮らしたことが本著の核となっている。日本を離れて日本がよく分かるという一般的な感覚、それは私にも多くあったが、著者の思考とは根本的に異なる。例えばインドには10数年放浪している。そこは外国ではなく、住む国、生きる国、死んでいく国としてある。町には死体がどうということなしに転がっている。野良犬がそれを喰っている、やがて腐敗し、土になっていく、そのような側で野宿し、飯を喰う。日本とはなにかではなく、生きるとはなにか。日本は、先進の都市はヤバいのではないか。美しく死を弔い、遠ざける。死を想い、死を目の当たりにすることを遠ざけて果たして生きているのだろうか。
日本に戻った著者は、そんな日本人の希薄な生き方を書き綴っている。読めば魂にグサグサと突き刺さって、背筋が伸びる。人類はそう長くなく滅びるであろうことを素直に受け止める。ではどうすればよいのか、著者は「言葉の力」を、ひたすら信じて、執筆をつづけている。










