『表現の現場』田窪恭治(講談社現代新書、2003年)
パリの街には数百の美術館がある。巨大な美術館とその収蔵作品、来館者の数にはいつも圧倒される。しかし訪れる人の少ない小さな美術館もまた魅力的である。ギュスターヴ・モロー美術館、ブールデル美術館、ドラクロア美術館などは画家、彫刻家がアトリエとしていたところを美術館に改装した。また映画「ジャコメッティ 最後の肖像」では、アトリエを克明に再現し好評を得た。愛知県においても一宮市三岸節子記念美術館や、稲沢市荻須記念美術館では画家のアトリエを美術館内に再現している。
かくもアトリエという表現の現場は美術鑑賞者において興味深いものである。作家がここでどのような想いでチューブから絵の具を絞り、筆を振るい、キャンバスに描いたのか。
香川県金刀比羅宮奥書院には、若冲がここに来て描いた《百花図》がある。作品が傷むことをおそれ非公開とされている。私はそのことを本著『表現の現場』で知った。若冲ファンである私は観たくてたまらず金刀比羅宮宛に鑑賞依頼の手紙を書いた。美術館の館長であることが幸いしたのか、ぜひご来場をという許可を得て、2013年3月6日《百花図》を拝見することができた。
田窪恭治は本著で、表現の現場に立ち会うことを美術の追体験としている。追体験は、アンリ・マチスのロザリオの礼拝堂、北斎の岩松院天井画《鳳凰図》、ル・コルビジェの《ロンシャンの礼拝堂》へと続く。表現の現場に立ち会い創作を追体験する鑑賞は、極めて贅沢である。また表現の現場(それは時代、ときには社会情勢、風土)を想像して鑑賞することは「あっ」という発見の出会いともなる可能性を秘めている。
金刀比羅宮奥書院を出て休憩所の傍、田窪恭治が描いた椿のタイル壁画を追体験した。まだまだ寒い3月はじめであったが、その日はあたたかな一日で、境内の藪椿も2つ3つ咲き始めていた。