『ピート・モンドリアン その人と芸術-』赤根和生(美術出版社、1984年)
モンドリアン研究において第一人者の著者、赤根和生の執筆動機は「日本において、カンディンスキーやクレーに比べてなぜこんなにもモンドリアンの評価が低いのか」という一点にあった。評価の低さはそのモンドリアンに関する著述の少なさが物語っているという。「その理由の一つにモンドリアン作品のとっつきにくさ」にあるという。自分自身に振り返ってみて、中学生の頃から美術の教科書に紹介されていて、モンドリアンに関しての知識は「初期抽象画家」というほかにほとんど何もないと言ってよかった。
モンドリアンはオランダ生まれである。オランダには先ずレンブラントがいて、モンドリアンの20年ほど前にゴッホがいる。特にゴッホの存在は、モンドリアンにとって初期トラウマ的存在として、画風に強い影響を与えている。さらにフェルメールがいて。このオランダの個性的な4人の画家におけるモンドリアンの位置づけが興味深い。特にほぼ全土埋め立てという人工的国土が画家に与えたと思われる思考形成について。
その後パリに出たモンドリアンは、四半世紀という長い活動にも関わらず、フランスにおいてたったの一点の作品も公的コレクションされなかったこと。第二次世界大戦のもとロンドンを経由してニューヨークに渡ったモンドリアンは、最後の4年をニューヨークで最高の評価を得る。モンドリアンが国籍不明の印象を与えるのもそうした経歴によるところがあるが、作品に国イメージを拒否する、あるいは国から解き放たれる自由を獲得したことによる点が大きいと言えるのではないか。
ひたすら抽象絵画追究の人であったモンドリアンであるが、生涯ダンス狂いだった。アトリエで一人でダンスを踊る姿は、遺作「ヴィクトリー・ブギウギ」に象徴されている。まじめで愛しい人、モンドリアンと出会える著書である。