24. 11月 2021 · November 24, 2021* Art Book for Stay Home / no.80 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ピート・モンドリアン その人と芸術-』赤根和生(美術出版社、1984年)

モンドリアン研究において第一人者の著者、赤根和生の執筆動機は「日本において、カンディンスキーやクレーに比べてなぜこんなにもモンドリアンの評価が低いのか」という一点にあった。評価の低さはそのモンドリアンに関する著述の少なさが物語っているという。「その理由の一つにモンドリアン作品のとっつきにくさ」にあるという。自分自身に振り返ってみて、中学生の頃から美術の教科書に紹介されていて、モンドリアンに関しての知識は「初期抽象画家」というほかにほとんど何もないと言ってよかった。

モンドリアンはオランダ生まれである。オランダには先ずレンブラントがいて、モンドリアンの20年ほど前にゴッホがいる。特にゴッホの存在は、モンドリアンにとって初期トラウマ的存在として、画風に強い影響を与えている。さらにフェルメールがいて。このオランダの個性的な4人の画家におけるモンドリアンの位置づけが興味深い。特にほぼ全土埋め立てという人工的国土が画家に与えたと思われる思考形成について。

その後パリに出たモンドリアンは、四半世紀という長い活動にも関わらず、フランスにおいてたったの一点の作品も公的コレクションされなかったこと。第二次世界大戦のもとロンドンを経由してニューヨークに渡ったモンドリアンは、最後の4年をニューヨークで最高の評価を得る。モンドリアンが国籍不明の印象を与えるのもそうした経歴によるところがあるが、作品に国イメージを拒否する、あるいは国から解き放たれる自由を獲得したことによる点が大きいと言えるのではないか。

ひたすら抽象絵画追究の人であったモンドリアンであるが、生涯ダンス狂いだった。アトリエで一人でダンスを踊る姿は、遺作「ヴィクトリー・ブギウギ」に象徴されている。まじめで愛しい人、モンドリアンと出会える著書である。

10. 11月 2021 · November 10, 2021* Art Book for Stay Home / no.79 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ルオー礼讃』鈴木治雄(岩波書店、1998年)

ルオーの絵の虜になってしまった著者が、「ルオーの絵はなぜ素晴らしいのか」をできる限りの客観性をもって書き上げた。著者鈴木治雄は1913年生まれ。東京大学法学部卒業後、昭和電工社長、会長、名誉会長、DDRフンボルト大学経済学名誉博士号等。著書に『化学産業論』『古典に学ぶ』他。いわゆる美術畑の人ではない。ルオー作品と出会い、ルオーに恋した実業家が、自らの一途な恋を成就するために書き上げたものと言えるだろう。

ルオーと交友のあった多くの日本人を訪ね、あるいはルオーについての記述を読み、ルオーに会うがごとく近づいていく。高田博厚(彫刻家)、森有正(哲学・フランス文学者)、谷川徹三(哲学者)、梅原龍三郎(洋画家)、武者小路実篤(小説家)、武者小路実光(フランス文学者)、長與善郎(小説家・劇作家)、岡本謙次郎(美術評論家)、麻生三郎(洋画家)、矢内原伊作(哲学者・ジャコメッティのモデル)、小川国夫(小説家)、古田紹欽(仏教学者)、吉井長三(吉井画廊会長)、柳宗玄(美術史家)、中村草田男(俳人)、小林秀雄(文芸評論家)、河井寛次郎(陶芸家)ほか、なぜこれほど多くの文化人たちがルオーを評価し、愛し、また作品を所有しているのか。ルオーが日本を愛し、訪れたわけではない。彼らがルオーを愛し多くはパリを訪れたのだ。1953年、西洋の画家としては極めて早く東京国立博物館で個展を開催している。日本人のルオーへの想いの一つの実現と見ることができる。

ルオーは敬虔なカトリック教徒であり、多くはキリスト教絵画と呼べるものである。一方上記した殆どはキリスト教信者ではない、キリスト教絵画ではあるが、そういう枠を越えて圧倒的な魅力で存在するルオーなのである。ルオーのことをあまり良く知らなかった人はルオーを知り、ルオーのことが好きになる。ルオーが好きな人はもっと好きになる、そういう本だ。