東京都立美術館で開催された若冲展は、1ヶ月で44万人という熱狂的な入場者数を誇って終えた。待ち時間2時間〜5時間という美術展とはとても思えない盛況ぶりであった。
その若冲、謎だらけ、魅力だらけ。トークとしてもこれほどおもしろい人物と作品は滅多になく、特につい最近まで日本美術史に若冲が取り上げられていなかったことに特別関心を持って調べた。
そもそも日本美術史は誰に依って作られたのか。なぜ若冲を外したのか。というのは、江戸時代に発刊された「平安人物志」の画家では、円山応挙についで伊藤若冲が位置しており、池大雅、与謝蕪村が続く。つまり江戸時代に美術史が作られていたとしたら、欠かすことのできない絵師であったのである。
明治初頭に編纂された日本美術史から若冲が外れたのは、とてつもない何かの意志が働いたもので、怪しげな興味が尽きない。2000年に京都国立博物館で開催されたとき、オープン時は誰も知らなくて客もパラパラであった。たった16年で日本における最も人気の作家ということになった。
50枚の作品映像と、若冲の不思議を語った時間オーバーのアートトークであった。