22. 3月 2024 · March 22, 2024* Art Book for Stay Home / no.138 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『よみがえる天才6 ガウディ』鳥居徳敏(ちくまプリマー新書、2021年)

ガウディの誕生から死まで、資料に基づき徹底した論考を展開している。それはガウディの建築にとどまることなく、人生を追うといった形をとっている。ガウディは天才なのかどうか、天才としたらの並走するテーマへのこだわりが本著の特徴となっている。もちろん、ガウディの建築についても、サグラダ・ファミリアのみならず、手掛けた全ての建築について述べている。

ガウデイには、天才とともに伝説化されたところもあって、間違って知られているところも少なくない。著者はその点にも細かく切り込んで、一体どこが天才なのかを述べている。むしろ、天才として論を進めるのではないと言ったほうが良いかもしれない。

興味深かったのは、ガウディの生きた時代、カタルーニアという州の特殊性が、ガウディという建築家を作り上げたという観点である。

建築家になるためには、その資格が必要なことは現代と同様、ガウディが中等教育を受けた1860年代においても簡単なことではなかった。そしてスペイン全体の就学人口が1,2%に過ぎない中に、ガウディは含まれており、その境遇は大変恵まれたものであったということ。また資格を取得するための建築学校が当時バルセロナにはなく、首都マドリードまで行かなければならなかったのだが、都市の拡張が決定していたバルセロナでは建築家不足が激しく、バルセロナ美術アカデミーは建築学校の新設を申請し認可を得た。その一期生4名のうちにガウディが含まれるという幸運を得ている。

拡張する都市バルセロナは、ガウディの卒業後も建築家不足で、ガウディに多くの仕事の機会を与えることになった。それは天才とは異なるものだが、天才と言われる者はそうした恵まれた背景をも持つ者であることを述べている。それはガウディの大理解者で多くの建築のパトロンとなった繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルとの出会いもまた興味深いことである。

12. 3月 2024 · March 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.137 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『今日の芸術-時代を創造するものは誰か』岡本太郎(光文社、1999年)

本著は1954年に光文社から出版された『今日の芸術』の再版である。つまり70年前の著作を25年前に再版したものを2024年に読んだ。再版のきっかけは1996年に岡本太郎が亡くなったことによる。横尾忠則が『今日の芸術』を思い出し、出版を提案したとのことである。因みにそのあたりのことは序文に横尾忠則が書いている。

美術・芸術の本としては珍しくベストセラーであったという。歯に衣を着せない太郎の語り同様に本著も書かれていて、誠に痛快である。新しい美術・芸術を目指す若者たちは飛びついて読んだに違いない。しかし、「今日の芸術とはなにか」の内容だけにとどまらず、太郎の知名度によるところも大きかったに違いない。1970年の大阪万博における《太陽の塔》の制作、頻繁に流れるテレビコマーシャル「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」「芸術は爆発だ」、バラエティ番組での人気レギュラー出演。

本著で太郎は多くの問題提起を行っているが、象徴的なのは「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない」の言葉だ。現代でもこの言葉の意味を、謎として理解しかねる人も少なくないに違いない。太郎は美術と芸術の意味を極めて強くこだわっており、いつも芸術を論じ芸術を創る人であった。1970年代の日本では美術と芸術の区別は極めて曖昧であり、美術であれば芸術であるといった理解が多かった。そして美術は「うまい、きれい、ここちよい」ことが大きな価値として扱われていた。残念ながら、この感覚は今も大きくは変化していないと言えるのだが。太郎は「美術の価値は旧態依然としている、そこから真の芸術は生まれない」とする。1970年代の日本美術界の重鎮らを敵に回し、孤軍奮闘であった。

しかし太郎を慕う次世代の前衛アーティストも多く、本著で解説を書いている赤瀬川原平ら多くの追従者を生んでいった。またデザイナー、建築家、文学者、政治家、実業家など他領域で意を共にする友人も多かったことが、こういう太郎の孤軍奮闘に力を与えていたのであろうと思われる。