21. 2月 2025 · February 21, 2025* Art Book for Stay Home / no.160 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本の美、浮世絵はどこからきたか』上河滉(文芸社、2008年)

「美術は難しいので、好きじゃないです」とおっしゃる方が大変多い。その場合、指しているのは西洋美術であったり、現代美術であったり、抽象作品であるようだ。そして解らないから苦手ということも大きな理由なのだろう。美術の全てを理解する、あるいは好きになるなどということは、美術館の学芸員でもありえないことだろうと思う。

そういう方に切り返して「では、浮世絵はどうですか」と問うと、少しほっとされる。浮世絵は「何が言いたいのか」ほぼ解る。役者絵、美人画、風景画、化け物画、春画、どれをとっても、風俗画であって、だから浮世絵という。そもそも庶民の誰もが解らなければ絶対売れない。解る、それが絵画の基本である。

さて、本著はその「浮世絵がどこから来たのか」と問う。世界を圧倒させたこの浮世絵の表現はどのように生まれたのか。世俗を楽しませるこのモチーフやテーマはどのように始まったのか。またなぜ世界の美術史に残ることとなったのか。著者は法学部の出身で、いわゆるサラリーマンである。国際浮世絵学会会員、アダチ伝統木版画技術保存財団賛助会員という肩書があるので、相当な浮世絵マニアであることには違いない。その著者が浮世絵について徹底した調査、学習のもとに書き上げている。とにかく誠実で、読者の疑問をことごとく答えようとしている。因みに個々の作品や絵師についての説明は必要最小限にとどめている。あくまで「浮世絵とは」である。

私は、浮世絵の個々の作品や絵師について当然興味深いが、別途社会的意味、影響に考えを及ばせることに関心が高い。「浮世絵はメディアだ」「浮世絵はマーケットだ」という視点を強く持っていて、美術史や造形性においてもそのことを欠かすことができないと考えている。本著においては、その考えにも肯定的な論考がいくつもあった。いわゆる美術の専門家ではない著者の力量に大いに感服した。本著を読めば、「浮世絵は解る美術」として、もっと好きになるだろう。

06. 2月 2025 · February 6, 2025* Art Book for Stay Home / no.159 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本人にとって美しさとは何か』高階秀爾(筑摩書房、2015年)

愛知芸術文化センター1階にあるライブラリーで、図書を借りることが多い。名古屋栄のど真ん中で、少しの時間でも覗くことができる。つまりは返却も便利だ。中央の低い書棚の上に、お薦め図書が何冊か飾られている、そこで本著を見つけた。著者が昨年亡くなられたということもあっての紹介だろう。美術史、美術評論の領域では第一人者で100冊もの著作がある。何冊も読んでいて、美術評論では最も尊敬する一人である。2002年の全国美術館会議の情報交流会でお話することができた。嬉しい思い出である。

さて本著、根幹的なテーマが著名になっている。「美しさ」を語るなら美術ということになるが、本著は日本人における美しさそのものを問いかけている。ただ少し残念なことはテーマを論理的に追求したものではなく、講演、寄稿、論文などを集めたものである。集めるにあたって、本著名が付けられたようである。したがって、類似の内容が何箇所かあって、気分を削ぐところがあるのが残念である。そこを差し引いても名著に変わりなく、「日本人にとっての美しさ」はどこから来るのか、「何をもって美しいと考えるのか」深く納得する内容である。

特に、文学と美術は日本人にとって一体化したもので、互いに補完し合った構造であるとのこと。西洋はもちろん、中国においてもそういうことはない。俳句やエッセイを絵のテーマとしている私にとっては、我が意を得たりの論考であるが、著者の思いはさらに深い。最終章で「世界文化遺産としての富士山」を取り上げているが、日本が文化遺産を登録するにあたって、遺産名称を「富士山」としたが、イコモス(国際記念物遺跡会議)から名称を「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」とするよう提案された。富士山は自然の美しさのみで語られるものではなく、長く文学、美術においてその美しさを育まれてきたものである。そしてそこに日本人独自の信仰がある。人工のものでは全くない自然のものが「自然遺産」ではなく、「文化遺産」として位置づけられたことに「日本人にとって美しさとは何か」が分かるような気がする。