25. 2月 2026 · February 25, 2026* Art Book for Stay Home / no.181 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『華やぐ男たちのために―性とモードの世紀末』山田登世子(ポーラ文化研究所、1990年)

美術史の視点を踏まえ、ファッション(モード)のことを語らせればこの人の右に出る者はいない、と私は思っている。その大きな根拠は、根っからのファッション好きである。本著は学術書としてあるが、ファッションは、装いであり、おしゃれであり、自己アピールであり、遊びである。著者のファッション好きは、躍動する歓びがその文章に表れている。
著名は、2つのテーマが交錯しており、「華やぐ男たちのために」では具体的な事象を取り上げて、20世紀末のファッションシーンを鋭く評論。別な味方をすれば、失礼ながらはしゃいでいるとも見て取れる。当然のことながらファッション用語が飛び交い、英語、フランス語、イタリア語があふれる。そのような中で日本語の「ナウさ」が頻繁に登場し、20世紀末のファッションを象徴している。
一方で「性とモードの世紀末」では、視野を大きく客観的に持ち、モード論を展開している。ファッションが女性のために生み出され、語られ、遊ばれ、消費されていくことは多くの認識であるが、著名に刻まれた「男たち」は敢えて著者が論じたかった大きなテーマであっただろうと思われる。ジェンダーの問題は、ファッションこそ越えなければならない問題であるが、21世紀にも四半世紀が過ぎていまだその問題を積み残したままである。ただし踏み越えることができたのは女性であって、踏み越えることに臆病だったのは男性の方であると、1990年の段階で指摘している。
移ろいやすい衣装、であるがゆえのファッションは、アカデミズムの中で極めて論じにくく、美の記録者である美術館も恐る恐るのままである。存命中の三宅一生や川久保玲の場合はともかく、過去のファッションを考察した展覧会などは、あまりに共感は乏しく、寂しい。本著出版から35年が過ぎて再読して、著者の力量に圧倒された。

06. 2月 2026 · February 6, 2026* Art Book for Stay Home / no.180 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『海峡の霧』辻邦生(新潮社、2001年)

辻邦生のエッセイ集。辻は小説家であり、フランス文学者である。本著は主に文学について書かれたものではあるが、その文学は必ず芸術(美術)と置き換えて読むことができる。それは著者の計り知れない教養の力量であるが、それを見せつけるものではない。マチス、プッサン、コクトーらがあたりまえのように登場する。

著者が同時代の他の小説家と極めて異なる持論がある。引用する。「私が文学に関心を持ちはじめた頃、文壇には三つの原則のようなものがあった。一つは〈病気〉すること、二つは〈貧乏〉で苦しむこと、三つは〈女〉で苦労すること、である。これは芸術家が俗世間と対立し、批判的な機能を果たしたロマン主義の名残りの生き方であったことは明らかだが、当時は、まだ神聖な三原則として尊敬され、その一つをも反せば、芸術に無縁の人間と軽蔑されたものであった。私ははじめから三つとも大嫌いであった。」痛快である。文中の三つは今で言えばクサい。そこが辻文学の洗練を作り上げているのであろうと思う。ちなみに辻は決して経済的に恵まれた状況にあったわけではなく、佐保子夫人ともども貧しい日々を長く共にしている。

また文学を志した頃、戦中であったが、「ピアニストは、戦中であろうがなかろうが、一日5-6時間もピアノを弾く、弾かなければ音楽家であり続けることはありえない。そういう当たり前を、当然文学者もなければならない。」と毎日数時間もの文章書きを自らに課し続けた。「当時、私が書いていたのは、一種の日記で、決めたノートに、その日のうちの出来事、考えたこと、読後感、映画の印象など何でも書いてゆく。」

芸術もまた当たり前のことである。芸術に必要と十分条件というものがあるとするならば、それらは必要条件であり、著者はそこを獲得することをあたりまえとしたのである。

辻文学に浸っていると快いリズムがあって、躍動がある。元気が出てくる、幸せな時を過ごすことができる。

文学とは何か、美とは何か、芸術とは何か、生きるとは何かを問うエッセイである。