03. 4月 2026 · April 3, 2026* Art Book for Stay Home / no.183 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『洲之内徹 絵のある一生』洲之内徹、関川夏央、丹尾安典、大倉宏ほか(新潮社、2007年)

美術ファンには、洲之内徹は馴染みの人も多いと思われるが、その特異な履歴は洲之内の魅力を裏付けるものでもあるので、少し詳しく紹介する。
1913年愛媛県松山生まれ、17歳まで松山で過ごし、東京美術学校(現東京芸大)建築科に入学、在学中にプロレタリア運動に参加、1932年に検挙され、学校は退校処分となって帰郷。松山でも運動をつづけ、1933年、徴兵検査後に検挙・収監されたが、後に「転向」して釈放された。その後1938年に軍の宣撫班員となって中国大陸へ渡り、対共工作と情報収集に携わった。そして終戦を迎え、1946年春に帰国した。戦後、松山に引き揚げて古本屋を開業。その傍ら小説を書き始め、横光利一賞候補となる。1952年上京、妻と3人の息子を抱えつつ無収入で小説を執筆し、一家離散。芥川賞候補にもなるが逸す。中国時代の友人田村泰次郎が1959年に開いた「現代画廊」に入社し、1961年に田村が手を引いた後は同画廊の経営を引き継いだ。
一方で、1973年に美術エッセイ集「絵の中の散歩」を新潮社から刊行、1974年から『芸術新潮』に美術エッセイ「気まぐれ美術館」の連載を始めた。この「私小説的美術評論」の連載は好評で、小林秀雄、青山二郎らから激賞された。「気まぐれ美術館」は休載なく足掛け14年、165回続いたが、1987年10月に洲之内が倒れ、意識不明のまま月末に亡くなったため、突然の終わりを告げた。(ウィキペディア参照)

長い紹介になったが、私はこういう多様なそれでいてそのどれにものめり込むような人が好きである。建築家、運動家、小説家、画商、どれもが人生であり得たであろうし、美術評論だけの人生を目指したわけではないだろう。内なる多様な才覚と鋭い視点、堅気を生きることのできない性分。
洲之内の書こうとしたものは決して美術評論ではなく、それであるがゆえにどの美術評論よりも魅力的なものと評されたのだろう。美術評論は端から美術評論を書くための基礎理論があり、絶対的美術史が横たわる。そこには客観的な思考が求められ、論文という型に蹂躙されていく。圧倒的なアカデミズムから自由でいることは極めて困難である。美術の真の魅力は、そのようなところにはない。洲之内が関わった多くの絵画や彫刻が、多くの美術好きに共感を得たのは「この絵はいい、好きだ」という絶対的個人嗜好が普遍を持ち合わせていたことによる。それは洲之内の多様でのめり込む人生があってのことである。
私もまた、美術史や美術論をまともに勉強したことはない。学生時代教育学部に身をおいていたので、美術史を1単位取得はしたが、講義をほとんど居眠りで過ごした。おかげでそのアカデミズムからは自由なままであるが、膨大な数の美術作品を観て、生きる力を受けてきた。その力を伝えたくて、こうしてブログを書き、講演会を続けている。