26. 12月 2024 · December 26 , 2024* Art Book for Stay Home / no.156 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ヒトはなぜ絵を描くのか』中原佑介編著(フィルムアート社、2001年)

現代美術気鋭の評論家が、根源的なテーマ「ヒトはなぜ絵を描くのか」を追求した本著は、美術に関わる者の多くが手に取りたくなる一冊だろう。
しかし、その前に「ヒトはなぜ絵を描くのか」は、「ヒトはなぜ歩くのか」「ヒトはなぜ道具を使うのか」との問とは異なっているところが気になった。つまり、「ヒトは皆絵を描く訳ではない、描くことができるだけである」。絵を描く者からしてみれば「ヒトはなぜ絵を描かないでいられるのか」あるいは「ヒトはなぜ絵を描き続けるのか」といった新たな問となる。気になったままで本著を興味深く開いた。
「ヒト」が「人」や「ひと」でないのは、人類を指しているので、そこは広く、深いところの視点で著されている。人類の絵と言えば、洞窟壁画から始まると言ってよいが、本編はすべてこの1万5千年前から4万年前のアルタミラ、ラスコーなどの「洞窟壁画がなぜ描かれたか」になっている。それは言い換えれば「ヒトはなぜ絵を描くのか」の原点かも知れない。
著者の論考と11名との対談で構成されており、テーマからブレることがない。対談者は、田淵安一(画家)、河合雅雄(サル学者)、橘秀樹(音響工学者)、中沢新一(宗教学者)、若林奮(彫刻家)、梅棹忠夫(民族学者)、岩田誠(脳神経学者)、片山一道(形質人類学者)、前田常作(画家)、李禹煥(造形作家)、木村重信(美術史家)。あらゆる角度から「ヒトはなぜ絵を描き続けるのか」を探り追求する。この対談者の多くは著者を含めて、洞窟壁画を訪れている。そこから様々な、あっと思わせる基本的なことが浮かび上がる。「歴史というのは残存するものを最も古いとされるが、残っていない絵はもっと膨大であった。洞窟の奥という気候変化に影響が少なかったのでたまたま残った。太陽の下の絵は残りにくい」「絵は見せるために描くのではなかったのではないか。例えば死者を弔うもの、あるいは縄張りとして」「音、音楽、踊りなど残っていない文化も当然あったと考えるべき」「絵があって、後に文字が作られた(残存するものからの歴史)として、文字が絵を迫害してきた。文字がないから絵がコミュニケーションツールとして力を持っていた」「表現は自分自身の生命の存在確認である。他者に見せるために絵を描くのは、近代の考え。子どもは最初、見せるためには描かない」「絵は身体表現の一端である」「そもそもテーマがなくとも、描きたい気持ちは消えない」
本著の疑問が答えられているわけではないが、多くの手がかりが著されている。

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