12. 9月 2024 · September 12, 2024* Art Book for Stay Home / no.149 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『一〇〇米の観光——情報デザインの発想法』田名網敬一+稲田雅子(筑摩書房、1996年)

来週、本美術館の館長アートトークで田名網敬一を取り上げる。というので本著を再読した。以前読んだのは発刊当初であるので、30年近く過ぎている。その間に著者の個展は30数回、画集は20冊を超える。しかし、著書は共著のこの一冊のみである。

私は著者と30年ほど交友関係にあり、著作が少ないのは解る気がする。つまり、作品制作が楽しく、忙しく、圧倒的な時間を制作に奪われてきたのだろう。そういう意味でも本著は田名網敬一を知る上で貴重な一冊である。

さて本著は、著者が請われて京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授として指導に当たった際のカリキュラムがベースになっている。それは著者自身の創作のための発想の源であり、「田名網敬一の創作作法」とも読めるものである。発想の源は、少年時代の記憶であり、夢であり、思い出である。互いにコラージュされ再構成されたものが作品として溢れ出す。具体的な手法として、『記憶』を記録、採集する作業を紹介している。毎日決まった時間、決まった場所で、自分の過去と対峙する。個室にこもり、午後8時から12時まで瞑想状態に自分を置き、これまで埋もれていた記憶を掘り出している。その数は5000枚を超えようとしている。これを「記憶をたどる旅」と名づけている。

アーティストにとって、表現技術は学ぶことができ、訓練することはできる。しかし創造に関しては、学ぶことも訓練することもできない。指導者としては、「私はこうして創造している」とその姿を見せるだけである。

現在、国立新美術館で開催中の「田名網敬一 記憶の冒険」では、無数の作品群が展示されている、その物理的制作時間の脅威にさらされるが、むしろ枯れることのない創作の泉に私は打ちのめされてしまった。

なお本著はすべて田名網敬一の「私」の一人称で書き進められており、共著者の姿が見えない。田名網は、稲田とコラボレーションしたと紹介している。著作が面倒な著者は、調査、執筆、構成のすべてを託したと思われる。その上で稲田の存在が感じられないのは、完璧な仕事をこなした証だと思われる。