09. 7月 2021 · 清須アートサポーター アートスポットめぐり「あいち朝日遺跡ミュージアム」 はコメントを受け付けていません · Categories: 教育普及

いつも当館の活動を支えてくださる清須アートサポーターのみなさん。
サポーター活動として年に1回、近隣の美術館やアートスポットへおでかけしています。
今回は清須市内に昨年11月オープンした「あいち朝日遺跡ミュージアム」へ行ってきました。

朝日遺跡は清須市から名古屋市西区にまたがる弥生時代の環濠集落遺跡。
その範囲は東西1.4km、南北0.8km、面積は80~100万㎡と推定され、全国的に見ても大規模な集落だったようです。
朝日遺跡ミュージアムでは、朝日遺跡の出土品や貝塚などの遺構、復元竪穴住居などを見ることができます。

この日は特別にミュージアムスタッフの方がガイドをしてくださいました!

映像やジオラマで当時の集落の様子を知り、土器、農具、神事に使われたと思われる品などの出土品を鑑賞。
朝日遺跡の出土品で重要文化財に指定されたものは、なんと2000点以上もあるそうです。
充実した展示とスタッフさんの解説にサポーター一同興味津々!
じっくり時間をかけて鑑賞を楽しみました。

同行した筆者が特に気になった展示品はこちら↑
この土器、大きな穴があいています。
「円窓付土器(まるまどつきどき)」とよばれ、朝日遺跡で数多く出土しているそうです。
でも、穴があいていたら中身がこぼれてしまいますよね???
なぜ穴があいているのか、その理由は具体的には分かっていないそうです。
理由が分からないからこそ、用途を想像して楽しめるちょっと不思議な展示品でした。

この日は開催中の企画展「パレス・スタイル-赤の土器-」も観ることができました。
パレス・スタイル土器は赤い顔料が塗られた土器で、朝日遺跡や愛知県一宮市の遺跡からもまとまって出土しているそうです。
赤彩土器は見た目にも鮮やかで、形や彩色、施された模様の多様さに思わず見入りました。

※企画展「パレス・スタイル-赤の土器-」は2021年6月27日で終了しています。次は特別企画展「弥生人といきもの2021 貝を知ろう!」が2021年7月22日から始まるとのこと。

見所は建物の外にも続きます。
体験水田ではちょうど数日前に古代米の田植えがされたそうです。
他にも環濠や貝塚の遺構、復元竪穴住居など、屋外も見所が多く、みんなでワイワイお話ししながら時間いっぱい楽しみました。

地元の方がほとんどの清須アートサポーターのみなさん。
あいち朝日遺跡ミュージアムも「もう行ったことがあるよ」という方が多かったのですが、みんなでじっくり施設内をまわって充実したアートスポットめぐりとなりました。

あいち朝日遺跡ミュージアムの皆様、ありがとうございました!

 

あいち朝日遺跡ミュージアムのウェブサイトでは「オンライン博物館」や「出土品・遺構ギャラリー」でも朝日遺跡について紹介しています。ぜひご覧ください。

あいち朝日遺跡ミュージアム 公式サイト

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25. 5月 2021 · 清須市 第10回はるひ絵画トリエンナーレ 開催中! はコメントを受け付けていません · Categories: はるひ絵画トリエンナーレ, 展覧会

現在、当館では「清須市 第10回はるひ絵画トリエンナーレ」を開催しています。
1999年に「夢広場はるひ絵画展」として始まり、新進作家の発掘と顕彰をめざし続いてきたこの公募展。めでたく10回目を迎えました!

今回は全国から554点の作品が集まりました。
応募してくださった皆様、本当にありがとうございました。
これからも作品制作をされる皆様のご活躍ご発展を願っております。

展覧会では応募作品の中から審査で選ばれた28点を展示しています。
入賞・入選された皆様、おめでとうございます。

 

 

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清須市が行っている生涯学習講座「清須アートラボ」、「清須キッズアートラボ」や、「清須アートサポーター」でも本展覧会を鑑賞するプログラムを行いました。
今回はその様子をご紹介します。

 

〇清須アートラボ

清須市在住・在勤・在学の方を対象とした年間プログラム。
今回は10名の方が参加し、みんなで展覧会を鑑賞しました。
多種多様な作品がそろう本展覧会。1人だと「どう観ていいのか分からない…」と思うような作品でも、他の人とお話ししながら観ることで新しい見方や解釈につながります。

 

 

〇清須キッズアートラボ

小学生を対象とした年間プログラム。
今回は「みる・きく・つたえる 気になる作品を紹介しよう!」と題し、展覧会を観て気になる作品を見つけて紹介し合いました。

まずは展示室をまわってじっくり作品を鑑賞。その後グループに分かれて気になった作品の注目したところを話し合いました。
選ぶ作品もそれぞれですが、同じ作品でも見え方や注目するところは様々。子どもたちは自分だけでなく他の人の見方にもふれながら作品鑑賞を楽しみました。

 
最後に、気になった作品について紹介カードを書きました。
紹介カードは展覧会の会期中、当館ロビーにて展示しています。
これからご来場される方はこちらもぜひご覧ください♪

 

〇清須アートサポーター

いつも当館の活動を支えてくださるサポーターのみなさんと鑑賞会を行いました。
みんなでワイワイお話ししながら、ところどころ学芸員が話を織り交ぜて、それぞれのペースで作品を観てまわりました。
最後にみんなで「美術館賞」の投票に参加しました。(「美術館賞」の詳細は後述)

 

※清須市生涯学習講座「清須アートラボ」、「清須キッズアートラボ」の本年度申込受付は終了しています。また、清須アートサポーターは現在メンバーの募集は行っておりません。ご了承ください。

 

――美術館賞について――

「清須市 第10回はるひ絵画トリエンナーレ」では「美術館賞」を設けています。
展覧会を観に来てくださった皆様にお気に入りの作品1点を投票していただいております。
ご来場の際はぜひご参加ください。

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「清須市 第10回はるひ絵画トリエンナーレ」、会期は6/20までです。
皆様ぜひお出かけください♪

http://www.museum-kiyosu.jp/echibition/2021-triennale/

24. 1月 2021 · アーティストシリーズVol.94 干場月花展「一人ひとりの世界の中で。」 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

はるひ絵画トリエンナーレで評価された作家から選抜して個展形式でご紹介するアーティストシリーズ。

美術館に足を運びづらい状況ということもあり、ごく一部ではありますが、ブログでその内容を綴りたいと思います。

2018年の第9回はるひ絵画トリエンナーレで入選/きよす賞/美術館賞 のトリプル受賞を果たした干場さん。

画面全体を支配する青緑色が印象的な《青になるまで。》が選ばれました。

《青になるまで。》

実は干場さん、2015年の第8回展でも入選に選ばれていました。

そのときの受賞作がこちら、

《cardigan》

※今回は展示されていません。

粗い筆致で捉えられたアノニマスな人物(細かなパーツや表情は読み取れない)、幾何学的に切り取られた鮮やかな色面が共通しています。

 

干場さんは一貫して人を描いていますが、特定の「誰か」を描きたいわけではなさそうです。

関心があるのは、同じ人間であってもそれぞれが持つ価値観や思いは異なること、そしてその多様性と表裏一体の、孤独や不安です。

 《ここにない、気持ち。》

《ある日のガードレール。》

《出会いのたび。》

どこにでもあるような日常のふとした一瞬を、スナップショット的に捉え(実際に、まずは写真を撮るそうです)、人物にフォーカスするために背景を色面にそぎ落とす。

現実の世界ではおそらく周りにも人がいたり、雑踏や道路などの生活音が聞こえているのでしょうが、ここではヘッドフォンを付けたときのように、それらのノイズから切り離されて、痛いほどの静けさを感じます。

と同時に、描かれた人々から発せられるとてもプライベートな空気感が、カラフルな色塊によって可視化されています。

 

具体的な特徴が描かれているわけではないのに、その人の年代や性格がなんとなく想像できてしまうのは、干場さんの表現力の高さが成せる技と言えるでしょう。

そこに自分自身を見る方もいるのではないでしょうか。

普遍的でありながら個性的であり、「こういうシチュエーション共感できるな」とか、「この人が考えてることなんかわかる」とか、

これまでの人生で経験してきたことと照らし合わせたときに、琴線に触れる何かがあるように思います。

《2人の夕暮れ。》

 《いつも通る道。》

《見つめる先にあるもの。》

 

「みんなちがってみんないい」を理想とする、現代日本社会のお題目のひとつ、「多様性」。

「個」を生きることは、「孤」を引き受けることでもあります。

とどのつまり、私たちは皆ひとり。干場さんの描きだす絵画には、その事実のもとに、淡々と、そして誠実に生きる人々の姿があります。

一人ひとりの小さな営みがモザイクのように寄り集まって形作られる世界は、個の多様さが際立つほどに色彩の深みを帯びていくでしょう。

 

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清須市はるひ絵画トリエンナーレ

アーティストシリーズVol.94 干場月花展

「一人ひとりの世界の中で。」

2021年1月9日(土)ー1月31日(日)

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition_info/2020/artistseries_hoshiba/index.html

 

 

 

 

 

 

22. 12月 2020 · アーティストシリーズVol.93 幸山ひかり展「Go To Trip!最果ての景色へ」 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

はるひ絵画トリエンナーレで評価された作家から選抜して個展形式でご紹介するアーティストシリーズ。

美術館に足を運びづらい状況ということもあり、ごく一部ではありますが、ブログでその内容を綴りたいと思います。

 

2018年の第9回展で入選に選ばれた幸山ひかりさんは、鶏頭(ケイトウ)の花をモチーフに、人の生と死を日本画で描き続けています。

今回の展覧会は、「胎内めぐり」をテーマに構成されました。

タイトルの‟Go To Trip”は、話題の「Go To Travel」をもじって、地獄やあの世への小旅行をイメージしています。

入口が可動壁でちょっと狭くなっています。地獄への入口、あるいは胎内へと遡る産道のごとく・・・

   

小さな作品たちが奥へと誘います。

土の山や宇宙空間をあらわした作品のなかに、「九相図(くそうず:外に打ち捨てられた死骸が朽ちていく様子を描いた仏教絵画の画題)」に寄せた鶏頭の花が。

埋葬され、肉体は滅び、魂や精神と分離していく。枯れゆく鶏頭が人の死に重なります。

《温蓄》

《九相に寄せて》

鶏頭の花って、ちょっとグロテスクですよね。とくに久留米鶏頭と言われる種類は、その色も相まって、人間の脳みそや内臓を思い起こさせます。

1点だけ強くスポットの当たる作品《hito》。

幸山さんは、鶏頭を花としてというより、人に近いものとして(わかりやすく言えば、擬人化して)描き出しています。

産道を抜け視界が拓けると、もうそこは彼岸の世界。

 

3つのケースの中には写生画が収まっています。日本画の基礎であり、作品が生まれる前の大切な修練でもある写生。

実物を観察しながらその輪郭を丁寧になぞり、生命の本質をとらえる作業です。

それぞれのケースには「遺物」「餞(はなむけ)」「イメージへの昇華」というテーマがあります。

視線を上に移すと、新作《まんまんちゃんあん》が吊り下がっています。

こちらは実物を前にした写生ではなく、幸山さんの記憶に刷り込まれたいわば「想像上の鶏頭」。朱の線描で、さまざまな形の鶏頭が描かれています。それはまるで祈りのような作業。

仏画のような神聖さを醸す10点の連作は、ゆらゆらと宙に浮き迷路のように空間を分断して私たちを惑わせます。

《まんまんちゃんあん》部分

 

「鶏頭」はその名の通り鶏のトサカに似ていることからつけられた名前ですが、学名は「燃え盛る炎」という意味だそう。

幸山さんの描く鶏頭も、しばしば炎や蝋燭の灯のイメージに重ねられています。

《灯燭の輝くところ》

《点在する光》

《私とタネと花と土》

壁面には大作が並びます。

暗く不毛な大地に咲く幾種類かの鶏頭の花。強い存在感は人間の情念のようなものまで感じさせます。

《火焔光》

《まんまんちゃんあん》の迷路を抜けて行き着いた最深部(展示室の入口付近からは奥が見えないように配置しています)には、不動明王の迦楼羅炎のごとく激しく燃え盛る炎のなかで凛と発光する白い鶏頭。

最果ての世界の景色です。

 

 

《秋霊》

さらにその奥の壁面に亡霊のごとく浮かび上がる、その名も《秋霊》。

普段はあまり作品を展示しない場所ですが、あえてここにしてみました。鑑賞者は少し離れた場所からしか見ることができません。

《灯燭鶏頭図》

《なだる心体》

《とあるそこらへんの、》

《此岸より》

ぐるりと一周りして、最後は《此岸より》。

旅を終え、彼岸の世界をあとにして、此岸の世界へ再び戻っていきます。

 

 

瞑想空間のような展示室で、‟Trip”をお楽しみください。

 

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清須市はるひ絵画トリエンナーレ

アーティストシリーズVol.93 幸山ひかり展

「Go To Trip!最果ての景色へ」

2020年12月5日(土)ー12月27日(日)

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition_info/2020/artistseries_koyama/index.html

 

 

 

 

29. 9月 2020 · SNSと美術館のカンケイ。 はコメントを受け付けていません · Categories: その他, 展覧会

 

とても久しぶりのブログです。

臨時休館が3か月続いた後、「清須ゆかりの作家 富永敏博展 自分の世界、あなたの世界」「原田治 展『かわいい』の発見」 と駆け抜けてきました。

ありがたいことに開館後は例年よりも多くのお客様にご来館いただき、とくに原田治展ではハード面でもソフト面でもキャパオーバーとなる状況で、お客様には大変ご迷惑をおかけしました…

老若男女の方々にお楽しみいただけたことは主催者として何よりの喜びです。

 

さて、コロナ禍を通してますます実感しているのが、オンラインの世界の力です。自粛期間はもちろんのこと、経済活動が再開された今も私たちには欠かせないインフラの一つになりました。

とくにSNSはミュージアムにとっても今や当たり前の広報ツールですし、SNSでの効果が展覧会の入場者数を左右するまでになっていると言っても過言ではないでしょう。

当館の原田治展に関しても、「オサムグッズ」世代でもなく、「ミスタードーナツのノベルティ」世代でもない10~20代の若者が多く来館してくださったのはおそらくSNSの発信力・拡散力の影響なんだろうなあと想像しています。

普段はあまり表に出ない我々学芸員も、この夏はお客様誘導のヘルプなどに当たることが多かったので、展示室でスマホのカメラ(だけでなく一眼レフのような高性能カメラも!)をかまえるお客様を毎日お見かけしました。

昨今、日本の美術館では情報公開の公益性から急速に「撮影可」化が進んでいて、以前よりも写真撮影に対するハードルが下がったことで作品情報に触れられる機会が多くなっていると思います。私自身も、気になる作品が撮影許可されていれば嬉々としてカメラアプリを起動しますし、またSNSで流れてきた画像から素敵な作品に出会うこともあります。美術館や美術作品へアクセスするきっかけとしてはとても大きい役割を果たしているのは間違いない!みんな上手に撮るな~と感心しています。

 

しかし良い面だけでもないのが難しいところ。

個人的に少し複雑な思いを抱いたのは、カメラ越しでしか作品を見ていただけないとき、そして作品がセルフィーのための道具や背景になっている場面に遭遇したときです。

美術館は「作品の実物」があることが強みであり、存在意義でもあります。そして鑑賞とは作品(あるいはそれを作った作者)との対話であり思考することでもあると考えています。

せっかく美術館に足を運んでくださったのならば、まずは自分の眼で!作品と向き合ってほしいなと思います。「面白い」「よくわからん」「キレイ」「色が好き」「嫌い」「かわいい」「なんかここが気になる」「気持ち悪い」などなど、どう感じるかは人それぞれ。気になった作品やもっと知りたいことがあれば解説文を読んでみるもよし、友人や家族と来たならば、それぞれの思いを話し合ってみるもよし。理解するよりも、自分の頭で考えたり、よーく観察したりすると意外な発見があったりもします。

なんだか小姑の小言みたいですが、もちろん、映えるアートを撮りたい気持ちはとてもよくわかるし否定もしません!

ただ(これは私も覚えがあるのですが)、かっこいい写真を撮りたいがゆえに画角選びに奔走したり、近づいて作品を見たい方がカメラの前を「すみません…」と通り過ぎる光景はなんだかな?と思ってしまったりするのです。

 

現在開催中の「物語としての建築-若山滋と弟子たち展-」は、タイトルの通り建築の展覧会です。

当館を設計した若山滋さんが先日のトークで興味深いお話をされていました。

建築というのは当然のことながらその場所に行かなければ見ることができないので、展覧会ではどうしても模型や写真、図面といった二次的な資料が展示されることがほとんどです。

であれば、その場でしか体感できない建築の情報を逆に抽象化して、建築がまとう「物語」、つまり言葉で表現することで想像力を喚起する展示にしたかった、という内容で、

実際に本展では情報を削いだ真っ白の模型とともに言葉を「読む」展示構成となっています(館長ブログも参照!)。

これは美術館で美術作品を展示することと真逆のあり方なんですね。

実物はここにはないけれど、ある方向から照らすことでその陰影を浮かび上がらせる、とでも言いましょうか。その陰影は実物を見てもわからないがゆえに、独自の価値を持ちます。

 

SNSもそんな使い方ができないかしらと思う次第です。

 

★今回唯一の「実物」は美術館の建物そのものです!若山氏が手がけた建築空間をぜひ五感で体感してください。

O

20. 4月 2020 · 臨時休館に入って1か月以上が経ちました。 はコメントを受け付けていません · Categories: 未分類

臨時休館に入って1か月以上が経ちました。

目まぐるしく変化する状況のなかで、まだ展覧会を開催していた3月初めの頃が遠い過去のように思えます。

真っ先に「自粛」を余儀なくされた劇場やミュージアムは今どうなっているのか?

おそらく中の人たちは、今なにをすべきか、何ができるのかということに悩みながら日々を過ごしているのではなかろうかと思います。

私もその一人です。

 

とはいいつつ、実は開館中も閉館中も学芸員の仕事としてやっていることはそんなに変わりません。

展覧会の準備、収蔵作品の管理など、表からは見えないところでおこなっている日常業務を今も粛々と続けています。

この機会に、美術館を休館することで生じる様々な問題を、一般化して整理しつつ考えてみたいと思います。

(もちろん、すべての館の状況を把握しているわけではないので、あくまでも学芸員O個人の見解であることをご理解ください。)

 

休館中の美術館でおこなわれていること

例えば、近年ラッシュの施設改修中であっても、学芸員の仕事がなくなるわけではありません。

所蔵品のコンディションチェック(作品の状態をチェックして記録していくこと。人の健康診断のようなものです。)やアーカイブ整理(作品の写真を撮影したり、データベースを充実させたり)、普段手を付けにくい資料の調査・研究などに力を注いでいます。

つい最近も、桑名市博物館のうれしいニュースがありました。

中日新聞「臨時休館利用し、調査研究で新発見 桑名市博物館」

オンラインではすでに様々な取り組みがなされていて、SNSでは#エア博物館#エア美術館#おうちでミュージアムなどのハッシュタグで作品や展覧会が紹介されていたり、Youtubeでは国立西洋美術館国立科学博物館がギャラリートークをアップしていたりと、各館ができることを模索している様子がうかがえます。

WEB版美術手帖では連日このような国内外のオンラインコンテンツが取り上げられていて、とくに海外の先進的な試みには感嘆するばかり。

 

こうして見てみると、ミュージアムの新しい可能性を見出すことができそうな一方で、じゃあ美術館にわざわざ行かなくても楽しめるんじゃない?という意見も出てきそうです。

美術館に親しんでいる方にとっては、特別な空間で本物の作品に出会う価値をよくご存知でしょうし、私たち学芸員もその体験を提供することに尽力しています。

しかし確かに、混雑するし、空調は効きすぎているし、照明は暗いし、ガラスケースや結界で距離があってよく見えない美術館よりも、家の中にいながらどこまでも拡大できる高精細デジタル画像のほうが作品をよく見ることができる場合もあるでしょう。

モノがあること、実物を見てもらうことを前提に成り立っているミュージアムの根幹を揺るがしかねない事態になったとき、私たちはどうしたらいいのか?

私はまだその答えを持ち合わせていません。

 

展覧会が開かないということ

・スケジュール調整

次に、現在実際に起こっている事態として、「展覧会が開催できない」という問題があります。

美術館では一般的に、展覧会一本につき1年~数年をかけて準備されていて、その間に多くの人の協力を要します。

そのためスケジュール管理はかなり厳密で、予算立て、内容の検討、広報、作品借用がある場合はその交渉、集荷、運搬、そして展示作業と、会期から逆算して無理なく予定を組み立てています。

現在多くの館が、会期途中・会期前に休館になることが急に決まり、その期間が何度か延長していて、いつ再開できるかが明確にわからない、という状況です(少し前までは「〇月〇日まで休館」だった表記が「当面の間休館」と変わる館が増えています)。

中には一度も日の目を見ることなく会期を終えることになる展示もあるでしょう。

再開できたとしても、それぞれの美術館が厳密なスケジュールで動いているので、そのままスケジュールをスライドできるとは限りません。

わかりやすい例では、森美術館で2020年4月8日~6月14日に開催予定だった「ヘザウィック・スタジオ展:共感する建築」が2023年1月~3月(予定)に延期するというニュースがありました。

なんと、3年後です。びっくりしてしまいますが、国外の組織やアーティストが関わるとなるとさらに調整は困難になるでしょう。

また、美術館が「開館する」=お客様に入館していただく、ということです。つまり作品を鑑賞できる状態にしておく必要があります。

したがって、いつ再開するかわからないけれども、いつ再開してもいいように、再開の判断がなされる前の段階で展覧会を完成させておかなくてはいけません。

当館を含め、今現在休館している館でも、先が見えない中でスケジュール調整に奔走しながら展覧会の準備を続けているところが多いと思います。

 

・予算の問題

運営母体にもよりますが、公立の美術館は基本的に予算を年度単位で組んでいます。

そのため、年度内で事業収支をある程度完結させる必要があり、事業計画を柔軟に変更することが難しいという面があります。

(しかし前述したように、展覧会の準備は年度をまたいで進められており、かつ、学芸員は年度更新などの不安定な短期雇用が少なくない現状と矛盾するところです。。。)

金額が大きい案件であれば入札(決まった条件を提示して、請負者を募集→最も安価な見積額を出した業者に決定するプロセス)をかけることもあるので、その手続きには時間がかかり、素早い動きがとれません。

企業が運営する美術館であれば、単純に収入がなくなるので、ただでさえ採算の取れない美術館の経営が危ぶまれるところもあるかもしれません。

 

・広報のタイミング

デジタル媒体が隆盛を極める昨今ですが、美術館ではいまだアナログにポスターやチラシなどの紙モノを印刷していて、その文化はなかなか廃れません。

かくいう私も展覧会のチラシ(かっこよく言うとフライヤーですかね)を集めるのが好きで、自館の広報物を作るときの参考にしていたりします。

当館の場合は開会の約1か月前には広報物を完成させて、デジタル媒体も併用しながら各種広報を展開します。

そこから逆算すると、開会の3~2か月前くらいからデザインの検討を始めます。

デザイナーや印刷会社と打ち合わせしながらデザインの細部まで詰め、微妙な色味の調整(作品画像を印刷物に使うことが多い美術館の広報物。できるだけ本物の印象を損なわないよう、インクの乗り方や紙の質感などにも気を使います。)を重ねながらようやく納品される、何万枚もの紙の束。というか山。

展覧会が開けられないとなると、それらが無駄になってしまいます。

すでに全国に配布された後に中止や延期が決まった展覧会も多く、今は各館から「中止のお知らせ」「延期のお知らせ」「チラシの回収」といった書面が届いています。作成の手間や追加の郵送料もかかります。

名古屋市美術館で4月25日から開催予定だった「みんなのミュシャ」展のポスターが名古屋駅に掲示されていましたが、会期の日付の上から「開幕が延期となります」というシール?が貼られていました。すべてのポスターに貼りに回っているんでしょうか…大変です。

 

・美術品輸送、ディスプレイ

作品を展示するにあたり、学芸員だけではできないこと、プロの協力が不可欠な場面がたくさんあります。

その最たる例が美術品の輸送と展示です。

ここでお世話になるのが、美術品の扱いと輸送に習熟した専門のスタッフです。

細心の注意を払った梱包技術、適切に温湿度管理され、安全面とセキュリティに特化した輸送技術、そして多様な作品の形態に合わせた展示技術によって、私たちは国内外の作品を、適切な環境で鑑賞することができます。

海外と比べて、日本の美術専門業者の技術はとくにすぐれていると言われていますが、特殊性ゆえその数は限られていて、複数の美術館が同じ会社に委託することもしばしば。

展覧会が開催されないことで、彼らの仕事にも影響が出ています。

 

また、展覧会の会場で目にするキャプション(作品情報が書かれた名札のようなもの)や解説のパネル、セクションごとに色が変えられた壁、展示台などなど、展示をよりよく演出するための設えを形にしてくれるのは、空間デザイナーやディスプレイ業者です。

展覧会によっては床から天井まで、部屋丸ごとを限られた期間のためだけに作る(ちょっとした建築工事です)こともあり、ときに本来の展示室の状態がわからないほどに作りこまれた会場もありますね。

展覧会に合わせてその環境・空間まで設えるのは、来館される方々が鑑賞に埋没できるように、そして作品の良さをより引き立てるためです。

そしてお気づきかと思いますが、ここまでのことをするにはかなり費用がかかる場合もあります。

一つの展覧会の中止で数百万の案件が飛ぶことにもなります。業者の損失は大きいでしょう。

 

・館内のスタッフ

これも館によりけりですが、展示室の要所要所にいる看視スタッフや警備員は、非正規職員や派遣アルバイトの枠で雇用されていることが多く、彼らの収入保障も考慮しなければなりません。

(看視スタッフの視点で美術館の中を描いた漫画『ミュージアムの女』は電子書籍でも読める!おすすめです。)

ミュージアムショップ、カフェやレストランは外部委託のところもあるでしょうね。お客様が来なければ収入はありません。

ネット通販は可能かもしれませんが、展覧会に関連したグッズや図録などは、展覧会が開催されていない状態では売ることもままならないのではないでしょうか。

このほかにも、たくさんの人々の協力によって、美術館の運営は支えられています。

 

・アーティストの負担

言わずもがな、です。

とくに現存アーティストの場合ですが、数年前に決定された個展ともなると、アーティストは会期に照準を合わせて集中して作品を制作し、準備し、構成を練ります。

オリンピックという特別な場で最高のパフォーマンスができるように鍛錬を重ねるアスリートと同じですね。

不測の事態とはいえ、突然表現の機会を失ってしまった芸術家たちの思い、そして経済的な側面も含めた損失というのは、私たちが想像する以上に過酷なものだと思います。

モチベーションを維持するのも大変でしょう(アーティストじゃなくても大変ですよね)。

 

しかし、この状況で私たちの心を救ってくれているのは彼らの創造力に依るところが大きいはずです。

こんな状況だからこそ、芸術がますます必要とされているように感じます。

文学、音楽、美術、演劇、映画、ダンス…などなど、stay homeしながら楽しめるこれらの術が、この世にあってよかったと心底思いますし、ネットのあちこちで、日夜表現活動を私たちに提供してくれているアーティストたちに感謝の意を表したいです(しかし無償の提供が当たり前ではないことも強調しておきたいです)。

優先順位はいつも低く、軽んじられ、消費され、利用されてきた芸術が、今、私たちの人間らしさを保つ力になっていることを、忘れないでほしい。

 

***

今はどんな職種も(もちろん仕事をもっていない方も)未曽有の危機のなかで苦労を強いられています。

恨み節にならないように、休館という状況を受け入れたうえで、いまだブラックボックス視されている美術館の仕事を知っていただけたらと、できるだけ客観的に記述したつもりです。

こんな長い文章をここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

命を守ることを最優先に、ともにこの危機を乗り越えましょう。

そして、開館の折には、また当館にお越しいただければうれしいです。

 

O

29. 3月 2020 · 美術館で「よくみて、考える」ということ はコメントを受け付けていません · Categories: 未分類

こんにちは。

 

前回のブログ(http://museum-kiyosu.jp/blog/curator/)の通り、学芸員のFさんがご卒業されました。

そしてこのブログを書いている学芸員IがFさんの後任として、今後みなさまに美術館のいろいろを発信していきます。

 

3月のはじめ、この美術館にやってきましたが、

残念なことに、コロナウイルスの影響で臨時休館することになってしまいました。

そして臨時休館は4月末まで延長になりました。

 

今日は寒いですが、だんだんと春が近づいてきています。美術館近くでは菜の花が咲いています。

 

さて、今回は新たにやってきたIの今後の抱負を綴っていきたいと思います。

わたしの抱負は、

 

美術館での活動を通じて「よくみて、考える」経験を多くの方々と共有すること

 

です。

 

突然の質問ですが、日常のなかで、なにかを「よくみる」ことはありますか。

 

忙しない日々を過ごしていると、ふぅと気持ちを落ち着けて、なにかをじっとみてじっくり考える機会は少ないように思えます。

 

わたしは、作品をよく知るためには、「よくみて、考える」ことがとても大切だと考えています。

作品のキャプションに記載された「情報」も重要ですが、

まず自分の目で作品をよくみて、なにがどんなふうに描かれているのか確認し、

そこから疑問や気づきをみつけることが、作品の深い理解につながると思います。

 

作品は必ずしも誰がみても明らかな表現をしているとは限りません。

そのため、作品をみたときに、人によって異なることを感じ、考えることは不思議なことではないのです。

 

作品はみる人に多様な解釈をもたらすという前提で、他人と共に作品をみると、

自分とは異なるみかたや意見が現れたとき、

「こんなみかたもあるのか!」とわくわくすると思います。

多様な意見を共有し、尊重し、楽しむことは、

自分とは異なる意見を排除する傾向にある現代において、とても大切だと思います。

 

来館された方が、美術館で「よくみて、考える」経験をし、

その経験を普段の暮らしにまでつなげ、

日常がわくわくすることに包まれるような展覧会やイベントを企画していきたいと思います。

 

美術館でわくわくしましょう。

 

I

26. 3月 2020 · 【卒業ブログ】展覧会から溢れる学芸員のカラー はコメントを受け付けていません · Categories: その他

2020.3.26

本日をもって、学芸員Fは清須市はるひ美術館から卒業します。

新型コロナウイルス感染の拡大防止のため、今月末まで臨時休館中・・・。

来館者の方やサポーターの方にもう会うことなく、去るのか・・・と、大変名残惜しく、

ブログで思いを綴っていこうと思います

このブログでは、Fが企画してきた展覧会を振り返りながら、

展覧会から滲み出る担当学芸員の個性・こだわり・モットーの面白さをお伝えしたいと思います。

また、学芸員について少しでも馴染みを持ってもらえる機会になれば幸いです!

わたしが、清須市はるひ美術館にきたのは2016年12月のことです。

(それまでは大学院で19世紀フランス美術(特にドガ)の研究をしていました。)

ここでわたしが企画・担当した展覧会は・・・

〇収蔵作品展「四季と日本画、ふたつの移ろい―星野逸朗コレクションを中心に―」

〇特別展「イラストレーター 安西水丸―漂う水平線(ホリゾン)―」

〇企画展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.84 生川和美」

〇企画展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.86 野中洋一」

〇特別展「元永定正展 おどりだすいろんないろとかたちたち」

〇企画展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.87 田中秀介」

〇企画展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.89 堀至以」

〇収蔵作品展「どこからみる?彫刻・立体作品の魅力」

〇企画展「清須ゆかりの作家 岡崎達也展 セラミックデザインとクラフト」

〇収蔵作品展「はるひ美術館の足跡」

〇企画展「嗅覚のための迷路」

〇企画展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ Vol.92 羽尻敬人」

〇収蔵作品展「つなげる、過去から未来へー作品の修復ー」

みなさん、いくつ来ましたか?

当館に在籍している学芸員は2名。

1年に開催する展覧会(6本くらい)を交互に担当します。

(したがって、大体1年3本を担当することに!)

ほとんどの方は、展覧会を見にいって「これは学芸員の○○さんが担当したんだ~」と

考えることはないと思います(同業者間では、結構考えたりします)。

作品の魅力を引き出す企画・展示を考えるのは学芸員の仕事では当たり前ですが、

やはりわたしたちも人間。担当者のこだわりや好みはあります。

作品の見せ方、空間作りは個人によってどうしてもかわってくるのです。

わたしが展示構成を考えるときには、まず、第一印象を大切にしています

展示室に足を一歩踏み入れたときの「わぁ!」という気持ち。

なんかよくわからないけれど「楽しそう!」と思ってもらえる空間。

わくわくした気持ちで美術館に来てほしいと常に思っています。

たとえば・・・

▲元永定正展(2018)の展示室2

本展では、メインとなる作品をはじめにもってきて、来館者をお出迎え。

入ってすぐに壁を立てて、全体をすぐに見渡すことができないようにしました。

そして壁の向こうには、広がる色の海

章解説は、ポンジ生地のものを天井から吊るしました。

 

実はこれ、前年に開催した安西水丸展でもやっていました(笑)

▲安西水丸展(2017)

そう。わたしは、これがだいすきなんです!

静的な展示室で風に揺れる章解説。

動きのあるものが存在すると、展示室の空気がスッと抜けるような、

なんともいえない安心感がでていいなと気に入っています。

(とはいえ、動くから少し読みにくいですよね・・・すみません。)

また、ここでは・・・

▲元永定正展(2018)の展示室1

わたしの優柔不断さが・・・(笑)

本当にいいものって、ひとつに決められない。

そこはいっそ欲張りになって、全部みせちゃえ!と考えています。

▲元永定正展(2018)、岡崎達也展(2019)のフライヤー

これらも、決められなかった例のひとつです。

バリエーションのあるフライヤーになりました。

元永定正展に関していえば、左は大人向けで、右は子ども向けのつもりでつくりました。

フライヤーを手に取るときも、選べた方が絶対に楽しい!

展覧会が開幕する前からも楽しいという感覚を味わってもらいたかったのです。

さて、

「で、Fともうひとりの学芸員Oとの違いは!?」と気になりますよね。

このブログを書くにあたって、過去の展覧会の写真を見直したり、

Oさんに「展示のときに気にしていることは?!」と(いまさらながら)聞いたりして、

(後任の学芸員Iさんがナイスなことをいってくれたおかげで!!)わかってきたのは、

「調和」の違いでしょうか。

わたしの展示は、

建物や展示室に作品が馴染むような「空間を統一する調和」だとすると、

学芸員Oさんの展示は、

建物や作品の新たな面をみせるような「メリハリある調和」といえるのかもしれません。

 

学芸員Fの場合・・・

▲元永定正展(2018)

トイレの鏡に丸いカラーシールで、絵本『ころころころ』にでてくるシーンを再現。

▲いろんなかたちと素材を楽しむスペース。

\わたしは、館内全体を展覧会カラーに染めるのが、とにかく好きでした。

(ボールと友だち・・・ならぬ、建物と友だち

「○○の空間には、こういうスペースが似合いそうね」とか考えたり・・・

展覧会をみて得た気づきや感動、学びを展示室のなかだけで完結させたくない。

家まで、(なんなら今後の人生まで)持ち帰ってもらえればと思って企画しました。

 

一方、学芸員Oさんは・・・

MAYA MAXX展(2019)

作品に合わせて片方の壁色を黒色に!!

宮脇綾子展(2017)

一点一点、作品の魅力を損なわないように、かつ単調にならないように、展示に緩急を付けています。

(ちなみに、学芸員Oさんは段違いに展示するのが好き

▲宮脇綾子展と同時開催していたモンデンエミコ展(2017)

モンデンさんが1日1点ずつ制作している《刺繍日記》。

カレンダーに見立てて展示することで作品の日記的要素を提示したり、

▲モンデンエミコ展(2017)

作品にも使われている赤い糸を作品を囲むように巻き付け、

結界のかわりにしたり。

(ここでは、モンデンさんの一日一日の出来事に注目してもらいたかったようです。)

 

一言断りをいれておきたいのですが、

もちろん個人の「好き」ですべて展示しているわけでは決してありません。

「どの作品を展示すべきか、その作品をどうみせるか」が第一にあって、

その手段としてよく使う(好きな)方法があるというお話になります。

そこには担当学芸員の個性が溢れていて、そこが魅力だったりするのだろうと思います。

それから、展覧会の企画内容について。

とりあえずわたしは、「やったことのないことをやってみたい!」という挑戦心が

強くありました。

▲収蔵作品展「どこからみる?彫刻・立体作品の魅力」

当館は、公募展「清須市はるひ絵画トリエンナーレ」をベースに作品をコレクションしているため、収蔵作品は平面(絵画や額に入った作品)がほとんど。

わずかに収蔵している立体作品を展示する機会はあまりありませんでした。

▲収蔵作品展のイベント様子

「彫刻をあらゆるところから見てほしい」と思い、展示室で横になるワークショップを企画・・・!

大変シュールな光景となりました。

 

▲嗅覚のための迷路(2019)展示室2

「嗅覚のための迷路」展では、

スマートフォンやパソコンといったデジタル画面をみることに辟易し、

視覚情報ばかりで目も心も疲れた・・・という日常での気づきと、

パリの香水博物館での経験が加わり、「嗅覚をつかった展覧会がしたい!」と

企画を進めていきました。動機はほんの些細なことなんです。

進めるうちに、越えなくてはならない壁がいくつも出てきました。

たとえば、

「香りアレルギーの方が来た時の対応はどうするのか」

「何かあったときは誰がリスクをとるのか」

「木で迷路をつくるには、予算が足りない!でも展示したい!」

(実際には、当初予定していた作品3点のうち2点を変更することに)

展覧会が開幕できるか、白紙になるか、

それは結構、担当学芸員の熱量&愛にかかっているのかもしれませんね。

(もちろん、作家さんやまわりの力も必要ですが!あとは運!!)

学生の頃から、ずっとなりたかった学芸員。

そのデビューがはるひ美術館で本当によかったと思っています。

わたしは本日で、はるひ美術館とさよならですが、

学芸員Fの担当した展覧会が好み!という、そこのあなた!!

近い将来、「この展覧会気になる~」と思ったものが

実はわたしの企画だったりして・・・!なんて。そうなるといいですね。

 

展覧会は一人では決して作り上げることはできません・・・

いつも応援してくださっている、はるひ美術館ファンの皆様!!

(美術缶アンケートやTwitterなど全部読んでおります!心の支えでした。)

収蔵作家の皆様に、サポーターさん、展覧会に携わってもらった全ての方々、

そして、美術館スタッフの皆さん。

本当にありがとうございました!

はるひ美術館で学芸員として過ごせてしあわせでした。

またどこかでお会いしましょう。

 

清須市はるひ美術館学芸員

藤本 奈七

 

 

 

05. 1月 2020 · 想いを伝えるために はコメントを受け付けていません · Categories: その他

12月の半ばに、全国美術館会議の学芸員研修会に参加しました。

毎年異なるテーマが設定されるこの研修会。今回は「大規模災害被災地における学芸員の役割を知る」というお題でした。

会場は東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市にある、リアス・アーク美術館

これまでに何度も津波を経験している土地の在りようを、歴史的・文化的に伝えるため、震災直後から膨大な記録による調査・研究をおこない、常設展示として展開している館です。

(美術館の取り組みについは、学芸員の山内宏泰さんが詳しく語られていますのでぜひ。https://artscape.jp/report/curator/10156245_1634.html

防災や歴史教育の観点から災害が扱われることは一般的ですが、美術館として災害をどのように伝えていくのか、学芸員として何ができるのかということはとても難しい問題で、学芸員個人がスキルを磨けばどうにかなるというものではありません。

実際、震災当時は美術業界やアート界隈が自粛ムードになり、「こんな大変なときに芸術なんて」という空気があったように思います。

しかしそれでも、何年か経った後に必要になるのは、記録であり記憶です。「〇〇年にこんなことがあった」という客観的事実だけでなく、「このときに、人が何に対しどのように向き合い、感じ、考えたのか」というとてもナイーブなことを可視化し、表現し、共有することが人間には必要なのだということを登壇者の皆さんが口々におっしゃっていました(登壇者の立場は研究者、学芸員、自治体職員とそれぞれですが、皆さん自身、自宅が流されるなど被災者でもあります)。

過去・現在を含め、人の生きた証としての文化を守り未来へ伝えていくことがミュージアムの役割であるとすれば、私たち学芸員こそが「伝承」に際しできることがあるのではないかと考えさせられた、とても濃い研修会でした。

 

2019年、震災の記憶を伝えるための新たな施設「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」が新たにオープンしました。

海岸のすぐそばに位置し4階まで津波が到達した気仙沼向洋高校の旧校舎を遺構としてそのまま残し、映像や写真で生々しく震災の様子を伝える伝承館は、市の依頼で計画段階からリアス・アーク美術館が協力して、学芸員のマインドが全面的に生かされたそうです。

知識や数字で学ぶだけでなく、心で感じてほしい、体感してほしいという意向から、被災物が物語る強さや被災者の思いがダイレクトに伝わる施設になっています。

震災遺構はまさに衝撃的。

教室のなかに丸太や車が流れ込んできています。

津波によって流れてきた別の建物が外壁にぶつかってえぐれたんだそう。金属の手すりのポールが針金のようにぐにゃぐにゃ。

 こんな目を疑うような光景も。

震災直後は地域全体がこんな感じだったんですね・・・

 

災害後にもっとも危惧されるのは風化。伝承にあたり必要になるのは、想像力、表現力、感性、主観といった、アートにも通じるキーワードです。きれいごとにも思われるかもしれませんが、物事を他人事ではなく自分事として考えるには、結局「想い」や「心」に行き着くんだなと感じました。

遺構の屋上から見た穏やかな海と、早朝運よく見られた気嵐(けあらし)。

 

 

O

05. 12月 2019 · 「学芸員は展示作品」 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会, 教育普及

今週末(12月8日)で企画展「嗅覚のための迷路」(以後、嗅覚展)も閉幕します。どの展覧会でもそうなのですが、会期が終わりに近づくと寂しくなるものですね。

前回のブログには、展覧会紹介と企画した背景について書かせていただきました。今回は、本展で新しく挑戦した「視覚障がい者向けのガイドツアー」について書きたいと思います。

嗅覚展の開催が決まったと同時に、やってみたいと思ったことが、視覚障がい者向けのイベントでした。

これまで、絵画から彫刻、映像と幅広いジャンルの展示をおこなってきましたが、視覚障がい者の方が来館されたことは(私の知る限り)ほとんどありませんでした。

嗅覚を使った鑑賞であれば、障がいに関係なく鑑賞していただけるのではと、ぼんやりと考えていました。しかし私自身、障がいをもっている方を対象としたイベントを企画したこともなければ、参加したこともない・・・

そんな時、あいちトリエンナーレで視覚障がい者向けイベントを実施すると知り、お邪魔させていただけるかアタック。ありがたいことに研修から参加させていただくことができました。本当に感謝しています。

研修では、視覚障がい者の方が普段どういった生活を送っているのか(たとえば、蛍光灯がまぶしくてサングラスをかけることがある、エレベーターやエスカレーターよりも階段のほうが安心するため利用することが多い、などなど)を知りました。

ほかにも、案内をする際は、どんな道を歩くのか、凹凸や傾斜の有無を確認したり、「10mくらい歩きます」など距離を具体的に伝えたり、どれくらいの広さの空間なのか数値で表したり。当たり前のことですが、言われないと気づかないことばかりでした。

「いざ企画するぞ!」となったものの、今回の展示作品の説明は特に難しかったです。たとえば、展示室2の《嗅覚のための迷路 ver. 4》では・・・

「天井から小瓶が108個ぶら下がっています」という説明だけでなく、どのくらいの大きさの瓶がどういった状態でぶら下がっているのかを伝える必要があります。

「碁盤の目のように規則正しくぶらさがっていて、1列に6つの瓶がぶら下がっています。それが18列あります。瓶と瓶の間は70センチです。」

どんな言葉を使えばいいのか・・・。誤解のないように伝えるには・・・。

もうひとりの学芸員に目を瞑ってもらい、練習を重ね、二人でどういった言い回しがいいのか考えました。

そもそも、当館の建物は特殊な形をしているので、手で触れる模型をつくってまずは建物のかたちを理解してもらおう!というところから始めました。

この模型もどういう風につくればいいのか試行錯誤しました(平面図の建物の輪郭に紐を貼り付ける?あるいは平面図の裏から鉛筆でつよくなぞって立体的にしてみる?などなど。→結果、全体を把握しにくいため没!ダンボールで外形を切り抜いてみました)。

そして、いざ本番!!

まず、当館がどういった建物、空間なのかということを模型を使いながらお話しします。

模型の緑マークは、作品のある場所を指しています。事務所にあった丸シールを何枚も重ねて貼り、ぷっくりとさせました(今、自分がどこにいるのか、今からどこに向かうのかをイメージしてもらうため)。

《嗅覚のための迷路 ver. 4》鑑賞中

腕を広げて、身体に当たった瓶を嗅いでいってもらいました。

「さっきよりも匂いが濃いかな~」なんて話しながら、一つずつ匂いを確認します。

実際のお花見では、手に取れる高さの桜の枝をもって匂いを嗅いでいるそうです。

《嗅覚のための迷路 ver. 5》鑑賞中

珪藻土マットを触って、どれくらいのサイズのマットが敷き詰められているのかをイメージしてもらいます。

そのあとに、それぞれのスリッパの色をお伝えしながら匂いを嗅いでもらい「あぁ~、これは何の匂いだっけ?」としっかり悩んでもらいました。

そして、スリッパを履いてナビゲートをしながら足跡をつけてもらい、さっき歩いたところを匂いだけで辿ります。ゴールまで辿りつけるかは、人それぞれ。

《OLFACTOSCAPEーローズ香の分解ー》鑑賞中

カーテンに触れながら8つの香料を嗅いでもらいました。

匂いは混ざり合っていると知る機会になった!と喜ばれていました。

目には見えない匂いだからこそ、障がいの有無に関わらずフラットに共有できる。嗅覚アートの可能性をまた一層強く感じました。

↑ 談笑中。嗅覚に関するエピソードなど。

最後に参加者の方から胸に刺さる言葉をいただきました。

「私たちにとって、学芸員は展示作品なんです。」

「学芸員の話を聞くこと、コミュニケーションをとることが面白い。美術館に行けば会える学芸員は作品と同じ。」

学芸員は癌だと言う人もいれば、作品と言う人もいる。ほんとうに面白い職業です。

みなさまにも、嗅覚アートの可能性を是非感じていただきたいと思います。

お待ちしております。

【開催中の展覧会】

「嗅覚のための迷路」

会期:2019年10月12日(土)~12月8日(日)

開館時間:10:00~19:00(入館は18:30まで)

休館日:月曜日(ただし祝日の場合は開館、翌火曜日が休館)

観覧料:一般500円 中学生以下無料

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