企画展「はるひ絵画公募展アーカイブ1999―2021 絵描きとともに」関連イベント第二弾は、第1回夢広場はるひ絵画展(1999年)の大賞受賞作家・原田章生さんをお招きしてギャラリートークを開催しました。
大賞受賞時からその後の活動を通して感じたこと、考え方・意識の変化についてお話をうかがいました。聞き手は本展担当学芸員の加藤恵です。
このブログではトークの様子を一部ご紹介します。
原田章生(はらだ あきお)
1974年愛知県生まれ、1997年名古屋造形芸術大学芸術学部美術学科卒業。
第1回夢広場はるひ絵画展(1999年)大賞受賞。
長年、シンガーソングライターとして音楽活動にも携わり、美術と音楽の両方で活動を展開している。

原田章生《犬の力》1999年 油彩、テンペラ 清須市はるひ美術館蔵
加藤:受賞作《犬の力》をご覧になるのは久しぶりではないかと思いますが、いかがですか?
原田:制作していた24歳の頃の生活感や聴いてた音楽が蘇りますね。当時は赤い線を輪郭に入れるのが自分の中で流行っていて、この時なりにいろいろ考えてやっていたなと思い出しました。

《犬の力》(部分)
加藤:制作時は大学に在籍されていた?
原田:名古屋造形芸術大学(現:名古屋造形大学)の嘱託職員として助手をしていました。3年契約のちょうど3年目の時で、自分の現在地を知りたいという気持ちもあって初めて公募展に挑戦しました。学生たちにも「こんな公募あるよ」と薦めたりして、そしたら自分が大賞を取ってしまった(笑)。
加藤:当時は全国的にもいろいろな公募展があったと思いますが、公募に出品することについてどのように考えていましたか?
原田:何かになったらいいなという感覚ですね。やっぱり美術の道に進み始めて不安はあったので、認められるものがあったらいいなという気持ちは常にありました。でも実際に出品したのは、はるひ絵画展と熊谷守一大賞展(中津川市)の2つだけですね。
加藤:その2つのうち一方のはるひ絵画展で大賞を取られたわけですが、受賞の報せを受けた時はいかがでしたか?
原田:この時は、何月何日の何時に受賞の報せが来る事になっていて、自宅で待っていたのを覚えています。変に自信はあったというか、なぜかいけるんじゃないかと勝手に思っていて、でも予定の時間に電話が来なくて。もうダメかなと思っていたら「審査が難航して遅くなりました。おめでとうございます。」と当時の学芸員さんから電話でご連絡をいただきました。
加藤:はるひ絵画展は1人2点まで出品できたのですが、原田さんも2点出品されていました。もう1点の作品《上(かみ)のチカラ》も、実は当館に収蔵されています。審査では2点セットで物語が感じられるところも評価されたようです。

原田章生《上のチカラ》1999年 油彩、テンペラ 清須市はるひ美術館蔵
原田:それは全然考えていなかったです。もちろん同時期に並べて描いていたのでその時の気持ちや作品の方向性は同じだったと思いますが。制作の順番は《犬の力》が先だったと思います。《犬の力》の方がやりたい作品のイメージだったので。
加藤:はるひ絵画公募展の記念すべき第1回の大賞作品ということで、私もはるひ美術館に勤める前から色々な場面で《犬の力》の画像を目にすることがありました。実は今回のトークへ向けて事前に原田さんへインタビューをさせていただいたのですが、受賞後、制作を思い悩んだ時期があったとお聞きしました。その辺りのことをうかがってもよいでしょうか?
原田:受賞時はまだ24歳で吐き出したい思いがいろいろな方向にあって、やりたいことの一つがたまたま賞を取った。いざ認められると、そこから動いてはいけないという考えにもなったし、この表現で認められたのなら、このままやっていけばいいんじゃないかという気持ちにもなっていました。なので、しばらくは首のない犬がしゃがんでいる図をアイコン的に描いていたのですが、それで(自分の活動が)発展するわけでもなく、自分も飽きてしまった。でも「あの絵の人ですよね」と多くの方に言われて、この作品だけが独り歩きしたような感じでした。自分であって自分でないような感じになり絵が描けなくなってしまった時期がありましたね。
加藤:《犬の力》について、審査員の山脇一夫さんはこのようにコメントされています。
斬新な構図と非凡な構成から生まれる緊張感が新鮮な衝撃を与える作品である。
大胆なトリミング。犬の踏ん張る力。青い板に落下した小さな桜の花弁。遠くで弾けるエロスと暴力。絵画の力。新浪漫派の誕生か。「第1回夢広場はるひ絵画展」図録より
原田:「エロスと暴力」「新浪漫派」は自分では思いつかなかった言葉のチョイスだし、(自分の作品について)説明してもらえたという感じはありました。犬の首を描かないというのも、大学で学んだことをやってみたくて、日本の「幽玄の美」のような隠すことで(観る人がよりリアルに)想像するといったことを考えていました。それこそ審査員のお一人の中村英樹先生が(名古屋造形芸術大学の)授業でそういったお話をされていたと思います。犬の顔を切り取ることで、観た人それぞれが画面の外に強烈なイメージを描き出せるのではないかと。見た目の面白さもあったと思いますが。それを山脇先生は「エロスと暴力」と位置づけてくれたのかなと思います。
加藤:作品のモチーフは当時から犬などの動物を描くことが多かったですか?
原田:当時は裸婦が多かったですね。画家と言えば裸婦だろうと。ピカソやディエゴ・リベラの描く人物に影響を受けたり。本当にやりたいことがいっぱいあったので、動物は(《犬の力》で)始めて描いたくらいかもしれません。当時はインターネットが普及していなかったのでフィルムカメラを持ち歩いて、いつもモチーフを探していました。この頃は資料集めも大変で、自分で写真を撮ったり、図書館で資料をコピーしたりしていました。ある時、家の近所のホームセンターの前に(《犬の力》のモデルとなった)この犬がいたんです。繋がれていたのですがなぜか暴れまわってて、その犬を撮った写真の中から一枚を採用しました。犬のポーズや模様は写真のまま描いていますが、実際には雑種犬だった記憶があります。

ギャラリートークの様子
加藤:受賞後の描けなかった時期に音楽活動をされていたとお聞きしました。
原田:25歳の時に「録れコン2000」というオーディションでグランプリをいただいて。宅録したデモテープの審査なのですが、これも運試しで送ってみたものの一つです。その受賞をきっかけにプロモーターが付いて、ある意味(美術から)逃げるように音楽活動をしていました。
でも、実はちょこちょこ絵は描いていて、グループ展に誘われて出品したりしていました。一応、プロモーション会社的には「絵が描けるシンガーソングライター」を売りにしていて、「印象派ポップ」のようなキャッチフレーズをマキシシングルの帯に書かれたりしました(笑)。ライブ後のサイン会で1分似顔絵などもやっていましたね。ただし、ライブなどの活動だけで生活できたわけではなかったので、他のアーティストの楽曲アレンジやゲーム音楽の制作の仕事、その一方で美術講師でデッサンを教える仕事もして、両方をやって繋いでいたような感じです。
加藤:今日は特別に新作《パラレルワールドの味/Taste of parallel world》を持って来ていただきました。現在は再び絵画制作に力を入れられているようですが、何かきっかけはあったのでしょうか?
原田:やっぱり子どもが生まれたことが大きかったですね。18年前に長男が生まれて、子どもを育て上げないといけないとなった時に、絵を描いて収入を得るにはどんな作品を描いてどんな場所で展示したらいいかを考えました。ちょうどそのタイミングで豊橋のインテリアショップの空間を使ってほしいというお話が来て、それまではいわゆるホワイトキューブの生活感のない空間で展示することが多かったのですが、インテリアショップで展示をすることで、自分の作品がビジネス的に繋がっていくのではないか、作品自体も変わっていくチャンスなのではないかと感じました。それがうまくいって、作家業と講師業と並行しながら子どもも育てられたという感じです。
また、子どもが大きくなってくると子どものために絵を描くような意識も生まれました。やっぱり子どもは動物が好きなので、子どもが喜ぶか、絵を観た人が喜ぶかに標準をあわせていったところもありました。よく、現代アーティストが(周りの人や社会に)媚びないことが格好良いみたいな考え方ってあると思うのですが、僕はその方向ではないなと。誰かのために絵を描いていきたいなと思うようになりましたね。

原田章生《パラレルワールドの味/Taste of parallel world》2025年 アクリル絵具、キャンバス
加藤:《犬の力》は色々な表現を試している過程で、ある意味自分のために描いているところもあったのかなと思います。それがお子さんや作品の鑑賞者に向かっていくのは大きな意識の違いですね。
美術作品の制作と音楽活動を通して、原田さんの中でここは繋がっているなと感じることはありますか?
原田:正直、音楽活動を始めた頃はプロモーション会社が強引に結びつけようとしたところがあって、音楽はCDを作れば多くの人に聴いてもらえる、大衆性、普及性のあるものだと思うのですが、美術では(大衆に)うけてはいけないとか、自分の中で現代美術をやらなくてはいけないという考えもあった。自分にとって作り方の住みわけが違うものを同じものとしてプロモーションされる苦しさはありました。でも、音楽はポップで人のために詩を書くような世界観があって、最終的に自分は美術の活動が音楽に歩み寄っていったように思います。最近では(画家として運営している)インスタグラムのリールに投稿するショート動画も音楽的なカット割りやリズム感で編集したりしますね。今だったらプロモーターが付いても美術と音楽を同じ感覚でできるかもしれません。
加藤:今の美術のお話で、20代の頃に作品や表現を俗的なものから切り離そうとしていたというのは、美大や周りの環境の影響もあったのでしょうか?
原田:それはあると思います。僕が美大で違和感を覚えたのは、みんな何かを背負っているんですよね。今回の展覧会に出品されている作品からも、みんな重たいものを背負っていて大きなメッセージがあるように感じました。自分も学生の頃はそうならなくてはいけないと思っていたのですが、どこかで自分は普通の人間なんだと、絵が描ける普通の感覚の人なんだと分かって、等身大で描けるようになってからはだいぶ楽になりました。今はそんな大きなメッセージを作品の中で言いたくないし、誰かが幸せになってくれればいいと思って描いています。
今日持ってきた作品《パラレルワールドの味/Taste of parallel world》は(動物が)宇宙の外の神様のようなイメージで(神様が)世界を壊しているんだけど、壊している1cmがその世界の時間では1億年くらいだったりするのかなとか。コーラを飲んでいる時に泡1粒の中に世界が入っているんじゃないかとか、空想遊びから発展して自分で物語を見つけています。
加藤:そういった発想は日常生活のいろいろな場面で思いつくのですか?
原田:今は思いつこうとしていますね。いつもネタ帳感覚でipadを持ち歩いています。

原田章生さん
原田:大賞をとった当時、はるひ美術館に在籍していた学芸員の阿野文香さんから「原田君は下手なのが良いよね」と言われたことがあって…(笑)。自分では全然下手だと思っていなくて、大学でも割と優等生な方だったので、井の中の蛙ということも感じました。また、「次の(作品の)展開が見えない」と言われたこともあって、それでとても苦しみました。《犬の力》の次をどうするか。作品はどんどん変化していかないといけないことをその時に知りました。それから何十年もかかりましたが、今は自分が展開しやすい絵を描けていると思います。なので、その時の阿野さんの言葉には、今の活動のヒントがあったように思います。
加藤:アーティストによっては、審査員や学芸員の言葉をあまり気にしない方や、深く受け止めない方もいると思うのですが、原田さんは色々な人の言葉をとても真剣に受け止めて深く考えて来られたのだなと、今日のお話からも感じました。今の作品制作も受賞時の作品と繋がっている部分もあり、原田さんの自然な考え方の中で現在の表現にたどり着いたのではないかと思います。
最近は海外でも展示をされる機会があり、アーティスト活動を広く展開されていますが、次にやってみたいことは何かありますか?
原田:あえて今音楽をやりたいという考えは前々からあって、画家の立ち位置で音楽をつくってみたらどうなるかなという構想はあります。美術の方はもっと世界に出て活動したいですが、そこは流れに任せています。

ギャラリートークの様子
<来場者からのご質問>
___ビジネス的に絵を描いているとおっしゃっていたのですが、今、制作の芯にあるものは何ですか?また、ビジネス度外視で描きたい作品はありますか?
原田:制作の芯は、やっぱり子どもを育てることが大きかったですね。子どもが生まれた時は本当に不安でしたが、大学を選ばせてあげられるくらいに育てることはできました。子どもの手が離れたらまた変わってくるかもしれませんね。
描きたい作品は、自分はシルエットがはっきりした描き方をしているので、ふわっとした感情的な描写に憧れはあります。
___作品をつくる上でアイデアのために何かされていることはありますか?
原田:(毎日制作だけしていると)朝起きてアトリエへ行って制作して、毎日同じことの繰り返しになるので、あえて違う道を通ってみるとか、外からの刺激を期待しているところがあります。インターネットで動画を観る時も、観たことのないもの、観ないようなものをあえて選ぶと新しい刺激が来るので、そういう刺激を起こしやすい環境をつくることは意識しています。結局、自分だけのアイデアでは同じものしか出て来ないので、外の刺激を受けて、自分の思いと合致した時に作品になっていくと思います。かといって生みの苦しみはあるし、みんな苦労するところではありますよね。
___制作は没頭するタイプですか?散歩したりリラックスしながら描かれるタイプでしょうか?
原田:没頭して一気に描き上げるタイプですね。アクリル絵具を使うようになったのも(絵具の乾きが早いので)一気に思いを吐き出せるからです。油絵具は(絵具を重ねる時に)1日待ったりしてたら意識が変わってくるので。1日1点は描くようにしています。展覧会が続くと複数枚を同時進行で描く時もありますが、基本的には1点ずつ進めています。
___「自分は普通の人だ」と気付いたというお話が印象的でした。気付いた瞬間は何かきっかけがあったのでしょうか?
原田:それまでは背伸びをしていたんだと思います。若い頃は周りの人たちも普通の人ではないことを演じていたのかもしれないけど(自分にも、他人にも)ずっと違和感を持ちながら描いていて。自分の描いた絵が人に受け入れられた時ですかね。周りが喜んでくれることが嬉しいと感じた時に、自分は普通の人間だなと。普通の行為というか、それがたまたま絵を描くことだっただけなのかなと思います。
アーティストのリアルな心境をお話してくださった原田さん。評価されたことで感じた苦悩や、生活と創作活動を続けていくうえで生まれる葛藤と向き合い、それでもなお美術と音楽を続けてきた強い気持ちと、普通であることを受け入れる優しさを感じるトークとなりました。
原田さん、参加してくださったみなさま、ありがとうございました。
※この展覧会は2025年2月24日で終了いたしました。
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