臨時休館に入って1か月以上が経ちました。
目まぐるしく変化する状況のなかで、まだ展覧会を開催していた3月初めの頃が遠い過去のように思えます。
真っ先に「自粛」を余儀なくされた劇場やミュージアムは今どうなっているのか?
おそらく中の人たちは、今なにをすべきか、何ができるのかということに悩みながら日々を過ごしているのではなかろうかと思います。
私もその一人です。
とはいいつつ、実は開館中も閉館中も学芸員の仕事としてやっていることはそんなに変わりません。
展覧会の準備、収蔵作品の管理など、表からは見えないところでおこなっている日常業務を今も粛々と続けています。
この機会に、美術館を休館することで生じる様々な問題を、一般化して整理しつつ考えてみたいと思います。
(もちろん、すべての館の状況を把握しているわけではないので、あくまでも学芸員O個人の見解であることをご理解ください。)
休館中の美術館でおこなわれていること
例えば、近年ラッシュの施設改修中であっても、学芸員の仕事がなくなるわけではありません。
所蔵品のコンディションチェック(作品の状態をチェックして記録していくこと。人の健康診断のようなものです。)やアーカイブ整理(作品の写真を撮影したり、データベースを充実させたり)、普段手を付けにくい資料の調査・研究などに力を注いでいます。
つい最近も、桑名市博物館のうれしいニュースがありました。
→中日新聞「臨時休館利用し、調査研究で新発見 桑名市博物館」
オンラインではすでに様々な取り組みがなされていて、SNSでは#エア博物館、#エア美術館、#おうちでミュージアムなどのハッシュタグで作品や展覧会が紹介されていたり、Youtubeでは国立西洋美術館や国立科学博物館がギャラリートークをアップしていたりと、各館ができることを模索している様子がうかがえます。
WEB版美術手帖では連日このような国内外のオンラインコンテンツが取り上げられていて、とくに海外の先進的な試みには感嘆するばかり。
こうして見てみると、ミュージアムの新しい可能性を見出すことができそうな一方で、じゃあ美術館にわざわざ行かなくても楽しめるんじゃない?という意見も出てきそうです。
美術館に親しんでいる方にとっては、特別な空間で本物の作品に出会う価値をよくご存知でしょうし、私たち学芸員もその体験を提供することに尽力しています。
しかし確かに、混雑するし、空調は効きすぎているし、照明は暗いし、ガラスケースや結界で距離があってよく見えない美術館よりも、家の中にいながらどこまでも拡大できる高精細デジタル画像のほうが作品をよく見ることができる場合もあるでしょう。
モノがあること、実物を見てもらうことを前提に成り立っているミュージアムの根幹を揺るがしかねない事態になったとき、私たちはどうしたらいいのか?
私はまだその答えを持ち合わせていません。
展覧会が開かないということ
・スケジュール調整
次に、現在実際に起こっている事態として、「展覧会が開催できない」という問題があります。
美術館では一般的に、展覧会一本につき1年~数年をかけて準備されていて、その間に多くの人の協力を要します。
そのためスケジュール管理はかなり厳密で、予算立て、内容の検討、広報、作品借用がある場合はその交渉、集荷、運搬、そして展示作業と、会期から逆算して無理なく予定を組み立てています。
現在多くの館が、会期途中・会期前に休館になることが急に決まり、その期間が何度か延長していて、いつ再開できるかが明確にわからない、という状況です(少し前までは「〇月〇日まで休館」だった表記が「当面の間休館」と変わる館が増えています)。
中には一度も日の目を見ることなく会期を終えることになる展示もあるでしょう。
再開できたとしても、それぞれの美術館が厳密なスケジュールで動いているので、そのままスケジュールをスライドできるとは限りません。
わかりやすい例では、森美術館で2020年4月8日~6月14日に開催予定だった「ヘザウィック・スタジオ展:共感する建築」が2023年1月~3月(予定)に延期するというニュースがありました。
なんと、3年後です。びっくりしてしまいますが、国外の組織やアーティストが関わるとなるとさらに調整は困難になるでしょう。
また、美術館が「開館する」=お客様に入館していただく、ということです。つまり作品を鑑賞できる状態にしておく必要があります。
したがって、いつ再開するかわからないけれども、いつ再開してもいいように、再開の判断がなされる前の段階で展覧会を完成させておかなくてはいけません。
当館を含め、今現在休館している館でも、先が見えない中でスケジュール調整に奔走しながら展覧会の準備を続けているところが多いと思います。
・予算の問題
運営母体にもよりますが、公立の美術館は基本的に予算を年度単位で組んでいます。
そのため、年度内で事業収支をある程度完結させる必要があり、事業計画を柔軟に変更することが難しいという面があります。
(しかし前述したように、展覧会の準備は年度をまたいで進められており、かつ、学芸員は年度更新などの不安定な短期雇用が少なくない現状と矛盾するところです。。。)
金額が大きい案件であれば入札(決まった条件を提示して、請負者を募集→最も安価な見積額を出した業者に決定するプロセス)をかけることもあるので、その手続きには時間がかかり、素早い動きがとれません。
企業が運営する美術館であれば、単純に収入がなくなるので、ただでさえ採算の取れない美術館の経営が危ぶまれるところもあるかもしれません。
・広報のタイミング
デジタル媒体が隆盛を極める昨今ですが、美術館ではいまだアナログにポスターやチラシなどの紙モノを印刷していて、その文化はなかなか廃れません。
かくいう私も展覧会のチラシ(かっこよく言うとフライヤーですかね)を集めるのが好きで、自館の広報物を作るときの参考にしていたりします。
当館の場合は開会の約1か月前には広報物を完成させて、デジタル媒体も併用しながら各種広報を展開します。
そこから逆算すると、開会の3~2か月前くらいからデザインの検討を始めます。
デザイナーや印刷会社と打ち合わせしながらデザインの細部まで詰め、微妙な色味の調整(作品画像を印刷物に使うことが多い美術館の広報物。できるだけ本物の印象を損なわないよう、インクの乗り方や紙の質感などにも気を使います。)を重ねながらようやく納品される、何万枚もの紙の束。というか山。
展覧会が開けられないとなると、それらが無駄になってしまいます。
すでに全国に配布された後に中止や延期が決まった展覧会も多く、今は各館から「中止のお知らせ」「延期のお知らせ」「チラシの回収」といった書面が届いています。作成の手間や追加の郵送料もかかります。
名古屋市美術館で4月25日から開催予定だった「みんなのミュシャ」展のポスターが名古屋駅に掲示されていましたが、会期の日付の上から「開幕が延期となります」というシール?が貼られていました。すべてのポスターに貼りに回っているんでしょうか…大変です。
・美術品輸送、ディスプレイ
作品を展示するにあたり、学芸員だけではできないこと、プロの協力が不可欠な場面がたくさんあります。
その最たる例が美術品の輸送と展示です。
ここでお世話になるのが、美術品の扱いと輸送に習熟した専門のスタッフです。
細心の注意を払った梱包技術、適切に温湿度管理され、安全面とセキュリティに特化した輸送技術、そして多様な作品の形態に合わせた展示技術によって、私たちは国内外の作品を、適切な環境で鑑賞することができます。
海外と比べて、日本の美術専門業者の技術はとくにすぐれていると言われていますが、特殊性ゆえその数は限られていて、複数の美術館が同じ会社に委託することもしばしば。
展覧会が開催されないことで、彼らの仕事にも影響が出ています。
また、展覧会の会場で目にするキャプション(作品情報が書かれた名札のようなもの)や解説のパネル、セクションごとに色が変えられた壁、展示台などなど、展示をよりよく演出するための設えを形にしてくれるのは、空間デザイナーやディスプレイ業者です。
展覧会によっては床から天井まで、部屋丸ごとを限られた期間のためだけに作る(ちょっとした建築工事です)こともあり、ときに本来の展示室の状態がわからないほどに作りこまれた会場もありますね。
展覧会に合わせてその環境・空間まで設えるのは、来館される方々が鑑賞に埋没できるように、そして作品の良さをより引き立てるためです。
そしてお気づきかと思いますが、ここまでのことをするにはかなり費用がかかる場合もあります。
一つの展覧会の中止で数百万の案件が飛ぶことにもなります。業者の損失は大きいでしょう。
・館内のスタッフ
これも館によりけりですが、展示室の要所要所にいる看視スタッフや警備員は、非正規職員や派遣アルバイトの枠で雇用されていることが多く、彼らの収入保障も考慮しなければなりません。
(看視スタッフの視点で美術館の中を描いた漫画『ミュージアムの女』は電子書籍でも読める!おすすめです。)
ミュージアムショップ、カフェやレストランは外部委託のところもあるでしょうね。お客様が来なければ収入はありません。
ネット通販は可能かもしれませんが、展覧会に関連したグッズや図録などは、展覧会が開催されていない状態では売ることもままならないのではないでしょうか。
このほかにも、たくさんの人々の協力によって、美術館の運営は支えられています。
・アーティストの負担
言わずもがな、です。
とくに現存アーティストの場合ですが、数年前に決定された個展ともなると、アーティストは会期に照準を合わせて集中して作品を制作し、準備し、構成を練ります。
オリンピックという特別な場で最高のパフォーマンスができるように鍛錬を重ねるアスリートと同じですね。
不測の事態とはいえ、突然表現の機会を失ってしまった芸術家たちの思い、そして経済的な側面も含めた損失というのは、私たちが想像する以上に過酷なものだと思います。
モチベーションを維持するのも大変でしょう(アーティストじゃなくても大変ですよね)。
しかし、この状況で私たちの心を救ってくれているのは彼らの創造力に依るところが大きいはずです。
こんな状況だからこそ、芸術がますます必要とされているように感じます。
文学、音楽、美術、演劇、映画、ダンス…などなど、stay homeしながら楽しめるこれらの術が、この世にあってよかったと心底思いますし、ネットのあちこちで、日夜表現活動を私たちに提供してくれているアーティストたちに感謝の意を表したいです(しかし無償の提供が当たり前ではないことも強調しておきたいです)。
優先順位はいつも低く、軽んじられ、消費され、利用されてきた芸術が、今、私たちの人間らしさを保つ力になっていることを、忘れないでほしい。
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今はどんな職種も(もちろん仕事をもっていない方も)未曽有の危機のなかで苦労を強いられています。
恨み節にならないように、休館という状況を受け入れたうえで、いまだブラックボックス視されている美術館の仕事を知っていただけたらと、できるだけ客観的に記述したつもりです。
こんな長い文章をここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
命を守ることを最優先に、ともにこの危機を乗り越えましょう。
そして、開館の折には、また当館にお越しいただければうれしいです。
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