2016年10月13日(木)
今日は日本美術の講座を開催。
安土桃山時代に活躍した長谷川等伯の《松林図屏風》を取り上げました。
《松林図屏風》は大変人気が高い水墨画で、1969年に切手も発売されたので、
どこかで見たことがあるという方も多いことでしょう。
また、東京国立博物館で毎年正月に公開されているのを、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、この作品には謎が多く、等伯の作品ではこれだけが群を抜いて有名なため、
今回は等伯の画業の最初から《松林図屏風》を描くに至るまでをたどりながら、お話ししました。
現在の石川県七尾に生まれた等伯は、33歳頃まで郷里で、主に仏画を描いていました。
落款に26歳の時の作品と明記されたものもいくつか残されています。
その後上洛し、画力を蓄えて、大徳寺の三門の天井に龍を描いたり、
同じく大徳寺の塔頭寺院・三玄院の襖に山水図などを描きます。
その後描かれた畢生の大作が、現在智積院に残る《楓図》(写真上)。
当時、信長や秀吉など名だたる天下人の注文を一身に受けていた狩野派の様式から
影響を受けながらも、瀟洒な秋草を散りばめた独自の表現を開拓しています。
等伯は、古の名画からも多くを学び、中国の画僧・牧谿が描いた手長猿から
インスパイアされた作品をいくつか残してもいます。
牧谿に比べて猿の表情は豊かで、親子の情愛が強く打ち出されています。
そして秀逸なのが樹木の表現。勢いのある筆で画面に対角線上に枝が描かれています。
こうした牧谿の様式を消化して生まれたのが《松林図屏風》と考えられています。
《松林図屏風》をプロジェクターで写し、受講者の方に印象を聞いてみました。
皆さんそれぞれに感じるところがあるようで、
春霞を描いたのではないかとか、冬の朝霧を思い起こさせるとか、
この松林の先にはお寺がありそうだとか、興味深い答えが返ってきました。
等伯がいつ、何のために描いたか謎の多い作品《松林図屏風》。
本画ではなく下絵だったのではないかとか、もともとは屏風ではなく、
障壁画として描いたものを後に改装したのではないか、などと推測されています。
ともかく、私たちはこの絵から湿り気のある大気を感じることは確か。
ことさらに武勇を誇り、威を示す外向きの絵ではなく、静かで瞑想的な画面から、
一人の人間としての等伯の生き様をそこに重ね、共感を覚えるのです。
400年という時代を超えてなお愛されるのは、普遍的な心象風景に見えるからでしょう。
次回清須アートラボでは、名古屋市美術館で開催される「アルバレス・ブラボ写真展」を鑑賞します。
お楽しみに。
【開催中の展覧会】
会期:2016年10月4日(火)~12月11日(日)
開館時間:10:00~19:00(入館は18:30まで)
休館日:月曜日
観覧料:一般500円 中学生以下無料