2015年6月27日(土)
今回のアートトークのテーマは、愛知県にもゆかりのある日本画家、片岡球子。
現在愛知県美術館にて「生誕110年 片岡球子展」が開催されていますね
一度見たら忘れられない、強烈な作品はどのようにして生まれたのでしょうか
北海道札幌市で生まれた球子。
画家を目指して上京し、大学卒業後は小学校の教師をしながら制作に励みます
エリート街道を進んでいたにもかかわらず、帝展や院展では落選が続き、ようやく入選したのが《枇杷》という作品↓
あの独特の雰囲気はこのころはまだほとんど見られず、伝統的な日本画の繊細な美が表現されています
その後も不遇の時期が続きますが、1940年ごろから次第に頭角をあらわし、小学校教師をやめて大学教授に就任。
1966年に開校した愛知県立芸術大学の日本画科主任教授も務めています
だんだんと球子スタイルが現れ始め・・・
型破りな描き方や激しい色づかいに対し、当時の大家・小林古径はなんと「ゲテモノ」とまで評しています
しかし古径は球子を否定しているのではなく、続けて「ゲテモノと本物は紙一重。あなたはこの絵を変えてはいけない!」と、その得体の知れない才能に期待を寄せたのです
代表作のひとつである「富士山」シリーズは、それまで多くの画家たちが描いてきた富士のイメージを一変させるものでした
球子が描く富士は鮮やかに彩られ、ごつごつとした山肌や圧倒的な存在感が観る者を圧倒し、生命感にあふれています
美しさだけが表現の全てではないと信じ、描く対象を通して自らの内側から湧き上がるエネルギーそのものを映し出した境地です。
スケッチなどの資料も多く残っていますが、このスケッチだけでも表現に対する球子の並々ならぬ思いや熱量が十分に伝わってきますね
また1966年からのライフワークとなった「面構(つらがまえ)」シリーズでは、足利尊氏や葛飾北斎などの歴史上の人物や物語の登場人物が、球子というフィルターを通して描き出されました。
球子は古い図像を徹底的に研究したうえで、濃厚な色彩や主張の激しい着物の文様などを用いて、球子ワールドのなかに彼らを住まわせています。
実際に存在しないものまでも、目の前で言葉を発しているかのように描き出す球子の力それは単に「リアル」という言葉では説明できません。
103歳で亡くなるまで、描き続けた球子
自らの芸術のために、文字通り命をかけて信念を貫き通したスーパーウーマンです
【次回の展覧会】
特別展 ミッフィーのたのしいお花畑 ディック・ブルーナが描くお花と絵本の世界展
会期:2015年7月4日[土]~9月30日[水]
時間:10:00~19:00 (入館は18:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌火曜日が休館)