『日本人にとって美しさとは何か』高階秀爾(筑摩書房、2015年)
愛知芸術文化センター1階にあるライブラリーで、図書を借りることが多い。名古屋栄のど真ん中で、少しの時間でも覗くことができる。つまりは返却も便利だ。中央の低い書棚の上に、お薦め図書が何冊か飾られている、そこで本著を見つけた。著者が昨年亡くなられたということもあっての紹介だろう。美術史、美術評論の領域では第一人者で100冊もの著作がある。何冊も読んでいて、美術評論では最も尊敬する一人である。2002年の全国美術館会議の情報交流会でお話することができた。嬉しい思い出である。
さて本著、根幹的なテーマが著名になっている。「美しさ」を語るなら美術ということになるが、本著は日本人における美しさそのものを問いかけている。ただ少し残念なことはテーマを論理的に追求したものではなく、講演、寄稿、論文などを集めたものである。集めるにあたって、本著名が付けられたようである。したがって、類似の内容が何箇所かあって、気分を削ぐところがあるのが残念である。そこを差し引いても名著に変わりなく、「日本人にとっての美しさ」はどこから来るのか、「何をもって美しいと考えるのか」深く納得する内容である。
特に、文学と美術は日本人にとって一体化したもので、互いに補完し合った構造であるとのこと。西洋はもちろん、中国においてもそういうことはない。俳句やエッセイを絵のテーマとしている私にとっては、我が意を得たりの論考であるが、著者の思いはさらに深い。最終章で「世界文化遺産としての富士山」を取り上げているが、日本が文化遺産を登録するにあたって、遺産名称を「富士山」としたが、イコモス(国際記念物遺跡会議)から名称を「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」とするよう提案された。富士山は自然の美しさのみで語られるものではなく、長く文学、美術においてその美しさを育まれてきたものである。そしてそこに日本人独自の信仰がある。人工のものでは全くない自然のものが「自然遺産」ではなく、「文化遺産」として位置づけられたことに「日本人にとって美しさとは何か」が分かるような気がする。