『鮮烈なる断片―日本の深層と創作現場の接点』中村英樹(杉山書店、1984年)
著者中村英樹は、私が務めていた大学の先輩で、本著が出版された1984年は助教授(助教授は2007年の法改正で廃止、准教授に名称変更)で44歳、私は34歳専任講師であった。親しくさせていただき、酒席を共にすることも度々あった。本著は初めての著作で、同時期に同じ杉山書店より『日本美術の基軸―現代の批評的視点から』が出版されている。ずいぶんと気合の入った時期であったと思われる。
「現代美術論は難解だ」という多くの声がある。これは現代美術思想を牽引する雑誌「美術手帖」(美術出版社)に掲載される美術論評に対する声であった。現代美術論が難解な理由としては、現代美術が難解ということと同義で、難解な現代美術をわかりやすく解説するのが現代美術論であると認識されていたことにそもそも問題がある。理論はあくまで解説ではない。現代美術作品と現代美術論は互いに切磋するものであり、互いが補い合うものではない。現代美術が難解であるのは、作品や論評のせいではない。私たちの教育を受けた美術に対する概念と異なるもの、対抗するものが現代美術であるので、私たちの教育を受けた美術概念で理解することは極めて難解なことは当然である。例えば「美術は美しいものである」という概念があるが、現代美術は「美しいものという概念を殊更否定して存在する」。難解な理由はそこから生まれる。
その上で本著はやはり難解である。本著の初読より40年が過ぎて再読するにあたり、果たして難解かどうかを頭において読んだ。40年の私の知識の進化は残念ながら殆どなかった。本著の難解さは読者の知識レベルもさることながら、著者の文章表現にもあるということである。向井美恵作品についての一文を紹介する。「感覚的にそれを純化するものだろうか。ときに蒸気機関車の動輪のごとくダイナミックに連動するシステムが登場する。一方の変化につれて変わる関数に似ている。ただし、この複眼的なシステムはカオスに網打つ仮の手立てであり、宇宙の一端を見る天体望遠鏡、肉眼の及ばぬ極小を明らかにする電子顕微鏡のようなものであって、それ自身を目的とはしていない」。つまり、一文が長く、説明が多重に行われており、その形容は互いに肯定しあわない、ときには否定する余韻を残している。具体的な例をあげてはいるが、その具体例は抽象性を意味する事が多く、読者を困惑させる。一方で向井美恵作品そのもの持つ問題も孕んでいるという厄介な文である。
著者はその後1990年に、『北斎万華鏡―ポリフォニー的主体へ』(美術出版社)を出版、こちらは小説、随筆の形を取り、北斎に関する評論を展開した。こちらは難解とはほど遠い見事な著書となっている。

