24. 10月 2017 · 日常を綴る 宮脇綾子展 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

アップリケと聞いて、みなさんはどんなイメージを持つでしょうか。

昔ズボンのひざが破れて繕ってもらったなあ・・・とか、お母さんにねだってかわいいワッペンを縫い付けてもらったなあ・・・とか。

どこか懐かしい響きです。アップリケ。(展覧会のチラシなどでは、原語の発音に近い「アプリケ」で統一しています。)

現在開催中の展覧会では、アップリケを制作手法としたことで知られる、宮脇綾子の作品をご紹介しています。

今回、彼女の作品を取り上げるにあたって強く意識したのが「日常性」です。

「日常を綴る」というタイトルにもなっていますが、取り上げるモチーフ、制作の姿勢、そしてアップリケという手法どれもが、身近で、親密で、あたたかい。

庭の草花を愛で、野菜の断面の美しさに驚き、食材としてまな板に上がった魚たちの表情に思いをはせる——何気ない日常のなかで、綾子さんは小さな喜びや驚きを積み重ねて生きてこられたのだろうと思います。

部位によって微妙に異なる色合いや絶妙な輪郭線のカーブなど、特徴をよくとらえていながらも、どこか歪で不格好なところも作品の魅力です。「世の中に同じようであって、同じものは二つない。」と本人が語っているように、一つ一つが個性的で完成された自然の造形を、さまざまな布を巧みに使い分けて表現しています。

アップリケや刺繍、編み物といった「手芸」は、家庭内での仕事や、手軽にできる趣味として位置付けられ、芸術の領域外に置かれてきました。

多様な表現が生まれている昨今のアート業界ですが、ようやく最近日の目を見るようになってきた工芸やデザインに比べても、まだ手芸は芸術として認められてはいないようです(「手芸」側からしても「芸術」であることを求めてはいないのかもしれません)。

綾子さんもおそらく芸術と手芸をめぐる複雑な関係性は多かれ少なかれ実感していたのでしょう、自らの作品を「芸術だと思ったことがない」としつつも、「でも、手芸家といわれるのもイヤ。」と言っていたりして、自身の作品に対する芸術性を否定しながらも、従来の手芸の範疇を超えて、表現を追求しようとしていたことがうかがえます。

また、東西を問わず古くから女性の生業であった「縫う」という行為は、どうしてもジェンダー論的な立場から語られがちです。綾子さんがアップリケという技法を選択したのも、嫁・母としての役割を果たす以上身に付けざるをえなかった針仕事の技術があったからこそですし、彼女が主婦としてできることだったからです。が、作品そのものにはそのような観点はあまり関係がありません。

自分の思いや考えを可視化し誰かに伝達するためのツール、というのが芸術のひとつの定義だとするならば、綾子さんの場合、その方法がアップリケだったということなのでしょう。

彼女の作品のファンが多いのは、アップリケという技術に親近感を覚えるからだけでなく、誰もが共感できる日常的で普遍的な感情――美しいものを見たときの喜びや面白い形に気づいた時の驚き――が直接感じられるからなのだと思います。

 

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