02. 5月 2021 · May 2, 2021* Art Book for Stay Home / no.63 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『NHK 美の壺 柳宗悦の民藝』NHK「美の壺」制作班 編(日本放送出版協会、2009年)

民藝に関する柳宗悦による著作は膨大にあって、緻密な説明、解説、紹介がなされている。そして根本に流れる考えは「民藝とは何か」である。一見簡単そうに思える民藝の意味、民藝の美しさは、感覚的には理解可能なものであるが、言葉にするには極めて難しい。領域的に近いものとして、工芸、デザインが挙げられるがそれとは異なるものである。

NHK BSテレビでは、その壺を3つ紹介して説明する。「柳宗悦の民藝」においても、壱のツボ「てらいが無いから美しい」、弐のツボ「自然の意思を感じよ」、参のツボ「使い込むほど美しい」としている。的を得たツボであるが、壱と弐は極めて難しい。「てらいが無い」ということはモノを作る上で極めて困難である。上記の工芸、デザインにおいててらい無く造り出されたものは殆どないと言える。また美術作品で言えば、てらい無く作り出されたとしたら、それは芸術ではないとさえ言える。芸術において作者の想い、思想、感情、狙い、喜怒哀楽がてらいも含めてどのようなものであるかが鑑賞者の共感を生むからである。民藝はそこを否定する。従って無名であること、作者は民(庶民、農民、常民、平民)であることが民藝における「てらいが無い」を生み出す。弐のツボ「自然の意思を感じよ」においても、この自然の意味は現在我々の認識する自然ではない。近い言葉で言えば風土を指している。柳宗悦らが提案して作られた日本民藝館には柳宗悦の審美眼を通して蒐められたものが17,000点に及ぶ。アイヌ、沖縄、東北、朝鮮、そして都市から遠く離れた日本奥地。つまり暮らしそのものが風土に根ざしたものであって、民藝が伝えられ残されていたのである。

現代においても民藝と呼ぶに値するものはあるが、極めて少ない。民藝が息づく民家と暮らしがほとんど失われてしまったからである。それでも民藝精神が生き残るのは柳宗悦が民藝の美を伝え、残したからである。